サラダ蒸し豆はあんこの代用になり得るのか?

結論

結論から述べると、断じてなりえない。絶対にありえない。私の作り方が悪かったのかもしれないが、あんこは小豆でのみ作ることができる。言い方を変えると、あんこは小豆でしか作ることができない。

きっかけ

私は口に残る甘さゆえにあんこが苦手なのだが、突然無性におしるこを食べたくなった。おそらく正月に大容量パックで買った切り餅がまだ残っており、きな粉や雑煮、納豆など様々な方法で餅を味わったのだが、おしるこに挑戦していないことが心残りだったことも影響した。しかし家にあんこは無い。おそらくコンビニにも無いが、わざわざそのためだけにスーパーに行くのも気が引ける。次の買い物まで待とうかと考えたものの、もともとあんこを好まない、そして気分屋である私は明日おしるこに興味を失っているかもしれない。挑戦の年にしよう、鉄は熱いうちに打て、二つの言葉が頭の中を駆け回った結果、冷蔵庫にあるサラダ蒸し豆を砂糖で茹で、代用あんこを作ればいいのではないかと思いついた。

作り方

料理サイトに「蒸し豆からあんこを作る!」と銘打ったレシピがあることに安心し、それを参考に調理を開始した。手順は以下の通りである。

①サラダ蒸し豆をペースト状にする。

②1を火にかけ砂糖を加え、とろみがつくまで温める。

袋に入った状態での色合いから既に覚悟を決めていたが、ペースト状になったサラダ蒸し豆は、グロテスクな様相を呈していた。そこに目をつぶればきっと大丈夫、そう自分に言い聞かせつつ、サラダ蒸し豆あんこは完成した。

自分史上最悪の食経験

出来上がったものをスプーンで口に運ぶ。まずサラダ蒸し豆の皮と思われるボソボソとした、いやな舌触り。次に訪れたのは筆舌に尽くしがたい不味さであり、それも段階的にやってきた。思い出しただけでも顔がゆがむほどである。

まず豪雨のごとく舌を刺したのち、じっとりと広がるしつこい甘さ。経験は無いが、砂糖の塊を直に口へ放り込むのと似ているのかもしれない。その後まもなく花開くのはサラダ蒸し豆特有の酸味と臭み。口内を満たし、どっしりと居座り続ける。一刻も早く、無理やり飲み込もうとすると、舌の奥と喉元の間で泥砂のようにしぶとく留まり、もったり滑り落ちてゆく。

それの味わいを消し去るべく流し込んだ水道水が、今までにないほどおいしく感じられた。皿に残る忌まわしき塊を見つめつつ考えた。これを世に生み出してしまったのは自分自身であり、その責任を取らなければならない。しかし労働の対価として得た商品を、十分使い切らずに捨てることは自らのポリシーに反する。また砂糖と塩を入れ間違えた塩分過多のクッキーなどとは違い、これは我慢さえすれば健康を害することなく食べられる。かくして私はサラダ蒸し豆あんこの完食を決意した。

さらなる悲劇

鼻をつまみ食べ物の味を分からなくすることは、私が小学生のころに実践していた、苦手な海藻サラダを残さず食べるための知恵である。まさかこの技をまた使う日が来るとは思いもしなかった。鼻をつまみ口呼吸をしながらエセあんこを口に詰め込んだ瞬間、さらなる悲劇に襲われた。味という問題を乗り越えたものの束の間(相変わらずイヤな食感は残る)舌への激しい刺激を感じたのである。酸味、甘味、塩味、苦味、どのセンサーも警報を鳴らしているように思えた。センサーが反応しない場所を探り当てるべく急いで転がしてみても、逃げ場はなく痛みが続く。

己を呪いつつ呻きながら、薬の苦手な子供のように水をごくごく飲みながら、私はサラダ蒸し豆あんこを残さず食べ終えた。

愚かさを振り返って

私が今回の経験から得たものは、サラダ蒸し豆の十分な食物繊維と大さじ1の砂糖、ひたすらな無力感に過ぎない。しかし食べきることに意味があったとそう信じたい。

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