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3つの好きな映画|坂本龍一 シンプルで、複雑で、深い[怪物、怒り、アフター・ヤン]
「体力的に全曲の書き下ろしはできないので、
何曲かイメージしているものを形にしますから
聞いてください」
映画『怪物』を手がける是枝監督のオファーに対する、坂本龍一の手紙での返答。しばらくして、2曲が書き下ろされ、これが最後に手がけた映画音楽となる。
怪物と言われると誰が怪物なんだと探し回ってしまうんだが、それはうまくいかない。誰が怪物かというのはとても難しい問いで、その難しい問いをこの映画は投げかけている。
さて、その難解なテーマの映画にどんな音楽をつければいいのだろう。救いは子供たちの生の気持ち。それに導かれて指がピアノの上を動いた。正解はない。
音も言葉も、シンプルで、複雑で、深い。
完成後、映画『怪物』に対する坂本龍一のコメントが、もうすべて。「怪物を探してもうまくいかない、救いは子供、正解はない」
音も言葉も、シンプルで、それでいて複雑。多くを語らず、とても深い。すごい人だなぁ、とあらためて思う。
*
絵画や彫刻と違い、映画には時間の流れがある作品。同じく音楽も時間軸をもっている。映画と音楽は、互いに寄り添い、共鳴し合い、最高の物語を紡ぎ出す。
ということで、音楽として素晴らしいのはもちろん、映画としても素晴らしい、坂本龍一の遺した音楽で紡ぐ最高の映画でもどうでしょう、という話。
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意識させない音楽、心を震わせる音
弱いストーリーを補完するかの如く、強引に盛り上げる音楽は好きじゃない。環境音や心理描写をさりげなく補完する、“意識させない音楽”がいい。かといって無音とも違う。単なる物理現象である空気の振動が、観るものの心を震わせ、映像を脳裏に焼き付ける。そんな音が美しい。
共鳴し、包み込み、寄り添う
怪物|2人の少年と「hibari」が共鳴する
怒り|映画の中に宿る怒りや慟哭を包み込む
ヤン|驚嘆や悲哀が混じる複雑な感情に寄り添う
怪物|hibari
怪物だーれだ
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物語が進むにつれ、自分がいかに先入観に支配されているかを思い知らされる。同じ時間を共有しているはずなのに、まったく違う世界に住んでいるみたい。
2人の少年と「hibari」の共鳴
劇中に流れる「hibari」は、シンプルなワンフレーズを少しずつずらしながら反復するピアノ曲。即興で弾いたピアノフレーズのループで構成され、少しずつ長さを変えて重ねることで、ずれが生じ曲の終わりに再び出合うようになる、という仕組みが施されている。
近づいたり離れたり。未来へ流れる時間。複雑に絡み合い、共鳴し、共振し、ループする。登場人物の2人の少年をイメージして、曲が生み出されたかのような素晴らしい音楽と、是枝さんの選曲の妙。
ホルンとトロンボーンの音を邪魔しない
音楽室のシーンがすごく好きで、邪魔しない音楽を作ろうと思った、と坂本さんは言う。その言葉通り、意識させない音楽。それでいて観るものの心震わせる、とても印象的なワンシーン。
怒り|M21 - 許し forgiveness
映画の中に宿る、怒りや慟哭を包み込む旋律
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一つの殺人事件をきっかけに、家族や友人、愛する人さえ、つい疑ってしまう“不信”の時代に、“信じる”という根源的な問いかけを投げかける群像ミステリー。
最初それが“不信”として聴こえてきて、後半になるにつれて“信頼”に転じていく。そんな音楽を求められた、と坂本さんはいう。同じフレーズを繰り返しながら、少しずつ少しずつ変化していく旋律が、映画の中に宿る怒りや慟哭を包み込み、美しい音楽へと昇華させている。
たぎるような怒りと、すべてを諦め冷めてしまった怒り、人を信じる気持ちと、信じられない気持ち。揺れる感情を、雲をも掴み取ってしまうような鋭い感性で表現する。
もっと深く、もっと濃密に…
アフター・ヤン|Memory Bank
驚嘆や悲哀が混じる複雑な感情に寄り添う旋律
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一般家庭にAIロボットが同居している近未来。とある家族と暮らすAIロボット・ヤンが不調をきたし、動きが止まる。修復のため、ヤンのなかに残された記録映像を観ると、ある秘密が。。
彼がみて、愛した“生”を辿る、やさしい物語。
音楽は坂本龍一とAska Matsumiya。「新しく、近未来的でありながら、人間味のある音楽」と語る通り、チェロやピアノといった人間味のある楽器に、未来的なシンセを重ねる。徐々に移り変わる和音の繊細さと力強さが、シンプルながらも重層的な楽曲に仕上がっている。
温かく愛情に満ちた眼差しの切なさ
映画は、派手な視覚効果やスペクタクルに頼ることなく、静謐な未来の世界観を構築している。その人はもう帰っては来ない。でも、その人のことは忘れない。喪失と記憶を、映像と音楽によって表現した、とても美しく静かな映画。
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