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『なぜ働いていると本を読めなくなるのか』についての非常に脊髄反射的な感想

さて、感想を書く前に要約を書くのが習わしであるが、この本の内容は著者のこの2行に言い尽くされている。

働きながら本を読める社会をつくるために。
半身で働こう。それが可能な社会にしよう。

三宅香帆(2024)『なぜ働いていると本を読めなくなるのか』、集英社

本書は趣味の一つとしての読書を、自分自身とは離れた文脈に触れる機会であるとしている。読書と働き方についてのレビューから、最終的には社会構造の変革こそが働きながら本を読めるようになる方法であるという主張にまで踏み込む。
そう、実はこの本、働きながらでも本を読める方法のハウツーを教えてくれるわけではないのである(あとがきにちらっと出てくるが)。非常に戦略的な本書は、実は明確な思想を持ち、そしてその思想を広める為に開発されたものなのである(と思う)。
最近読書量が減った私は、この本を読み終えて尚その問題の解法を見出せていない。まあ恐らくほとんど異常な通学時間に因るのだろうけれども。その意味では著者の主張に前段は同意である。つまり読書には時間が必要である。しかしながら、そのために社会を変えるのでは遅すぎる。困った。
そして著者は、趣味と仕事の区別が曖昧になっているような人をこの本では、その人に罪はなく社会構造のせいだとしながらも、しかしその状態は悪であるのだという。

去年大学院の先輩と、まちづくり界隈には「公私混同」が多いという話を半ば冗談としてしていた記憶がある。休日もイベントやまちあるきや、そういったことに費やしているから、彼らはどこまで働いていてどこから休んでいるのかが分からないということである。うちの先生が丁度、働いているのは惨めではなくてポジティブなもので、「消費者ではなく生産者として自分のアイデンティティを確立したい」と言っていました。あとは左ききのエレンでの「僕人間ちゃうわ、デザイナーや」とか仕事は「人生の半分ではある」とかも非常にそういう思想を表しているように思われます。
つまるところ仕事を通したいわゆる自己実現のようなものは、そう悪いものなんだろうかと思うわけなのです。ただこういう事が言えるのも恐らく、ある程度仕事としたいこととが一致している幸運によりそうです。
まあこんなこと書いておいて、別に社会人として働いた経験は無いんですが。


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