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原点回帰

イントロダクション

表現者の魂003

8歳まで北海道にいました。
居間には、亡き父が職場から借りていた(と後に知った)真っ白なソファーがありました。背もたれが緩やかに反っていて、壁につけて置かれてたけど、壁とソファーの間に少しだけ隙間があったんです。ワンパク幼児の私は、そこの隙間に入り込むのが大好きでした。すぐそこに親がいるのにコソコソ隠れられる秘密基地みたいで。

ソファーの背面は、薄暗いけど真っ白な巨大キャンバスのようで、私はそこに自由気ままに落書きしました。画材は、たぶんクレヨン。油性ペンもあったかな?
気が向いた時に、その時にある何かで描いていたような気がします。

借り物のソファーを返却する時、落書きが発覚。
その時、怒られた記憶がないんですよね・・・
だから、父がどう処理したのかは不明ですが、そんなに絵を描きたいなら存分に描かせてやろうと思ったらしく、近所のお絵描き教室に通わせてくれました。

表現者の魂008

お絵描き教室に通い始めたのが3歳だと親が言ってたので、ちょうど幼稚園に入園した頃ですね。その頃から東京へ引っ越すまで、お気に入りの遊びがありました。

北海道の家には、庭があって、その端に木造の倉庫があったんです。
いわゆる掘ったて小屋ってやつ。
庭の広葉樹の葉っぱをちぎって、地面に落ちてる枝で引っ掻くように葉っぱに絵を描いては、その小屋の壁の隙間から葉っぱを入れるという遊び。
たまに壁の隙間に入れた葉っぱが、下の方から出てくることがあって、何回もやり直しすることもありました。

幼女みう「今日はいい天気🌞!」
 ⇩
葉っぱに枝で太陽の絵を描く🍃🖌️
 ⇩
葉っぱを小屋の壁の隙間から入れる🏚️
 ⇩
満足💗

その小屋の扉には鍵がかかっていて、幼い私には中に何が入ってるのか見当もつきませんでした。中を見たのは、たった1回。
8歳の夏休みに東京へ引っ越すことになり、その前に小屋の扉が開かれました。でも、中に何が入ってたか覚えてないんです。
なぜなら、私が毎日のように壁の隙間から入れていた葉っぱが、小さな山となって積もっていて、それに目を奪われたから。

それは、枯れ果て茶色く変色してたけど、窓のない薄暗い小屋の隙間から差し込んだ陽射しで黄金色に輝き、ささやかな風に吹かれると乾いた音を立ててふわっと舞い、同時に舞い上がる埃はまるで舞台装置のスモークのようで、私にとって本当にドラマチックな光景でした。

先天性アウトプッターの魂

説明しよう!

私が何気なくやり始めたこのひとり遊びは、後に小学校で絵日記や作文となり、中学校で文通となり、高校でファンマガジン配布となり、20代では雑誌の原稿となり、30代でブログとなり、40代でSNSとなり、50代で配信や投稿として形を変え、今に続いてます。

私が生まれた土地には海がなかったから「小屋に葉っぱ」だったけど、海があったらボトルレターだったかもしれませんね。
文通だけ特定の相手になるけど、それ以外は誰に届くかわからない自分の思いをずっと発信してきたわけです。昭和40年代から、現在の令和に至るまでその本質は何も変わってない。我ながらビックリだけども・・・


自分のスタイル

今年4月、ここnoteで投稿した記事「Twitterに代わるSNS」は今でもスキされるほど反響がありました。ありがとうございました。

個人ブログや個人サイトに回帰すべきではないかという声もあります。

AppStory「Twitter終了した時のために今から始められるおすすめのアプリとサービス」より

私もそう思います。

というわけで、今まで数々の無料ブログサービスを渡り歩いてきましたが、夫の全面協力のもと、ついにWordPressを開設することになりました。公開は来月予定です。

みう「Twitterに代わるSNS」より

夫の全面協力・・・んー、金銭的なことで言えば、確かにそうですね。
WordPressで自分のサイトを運用していくためには、サーバー費用などがかかるので、夫には費用を全面協力してもらってます。
そして、今年5月、初めてWordPressを利用して個人サイト「Vのハコ」を開設しました。
あの、い、言っていいですか・・・?

こんなに大変だと思わなかった😱💦!!

ゲフンゲフン・・・

19歳で出版業界に飛び込み、20代で雑誌編集のノウハウは働きながら学びました。とは言っても、ただの編集アルバイトです。業界というのは、いつでも人材不足なもんで、時給500円(1987年当時)で専門学生の私はコキ使われました。

出版のことなんてなーんにも知らない小娘だったので、理解するため当時の愛読書は、書体見本帳と級数表(現在のフォント見本帳とサイズ表)で、しおり代わりにサイズ指定スケールを挟んでました。
今、思い出しても、アホだなって思うけど、書体を眺めるの大好きだったんですよ、本当に。今でも好きだけど(笑)

勤務していた出版社はいち早くPCによるDTPを導入していたので、そこでパソコンスキルも身につけました。
ページレイアウト、校閲、文字校正・色校正まで出来るようになり、フリーライターとして独立した22歳には、エディトリアルデザインの知識と経験もあったし、24歳には初めて自分のパソコンを持ちました(Macintosh SE/30←この子も大好きだった)

こういう下地があったから、仕事を辞めて闘病期に入ってから始めたブログもすんなり手掛けられました。無料ブログサイトも渡り歩いたし、社会復帰した40代にはコンサル会社でWindowsも使って仕事していたし・・・
WordPressって費用がかかるだけでしょ( ¯−¯ )くらいに思ってた自分を殴りたい!(((c=(゚ロ゚;qホワチャー

コンサル会社では、作成したパンフレットの表紙、フライヤーなどのデザインを依頼されると嬉々として作成してました。クライアントに提出するのにデザイン案2~3枚作ってと言われたのに、こんなのどう?こんなのもアリ?こんなのも良くない?みたいな感じで、イラレとフォトショを駆使して毎回5~7枚も作って呆れられてました。

そういえば、昨日、声活垢で相互さんの誕生日祝いとしてコラボ歌投稿したんですが、その際に作成したサムネで総計400点達成しましたね。

歌投稿用自作サムネ400点目(※ZEPETO使用)

そんなこんなで多少なりともWebデザインの知識があったつもりなんですが、とんでもない!

個人サイトを開設して3ヵ月が過ぎましたが、今の形に落ち着くまで本当に試行錯誤しました。一生懸命調べながらの作業で、今もわかってるかというと、やっぱりとんでもない!
正直、付け焼刃のスキルでやっと構築&運営してます💦

自分らしくやれるスタイル

自分らしさを考えた時、理想と現実をごっちゃにしがち

私は、興味を持ったら、とりあえずやってみたくなる人で、それはネットでの活動でも同じ。すぐ辞められるものもあれば、もうちょい様子みようとかでゆる~く手をつけたものが、アレもコレもってとっ散らかってます。
3年前からそれが悩みでした。

とっ散らかしたなら、片づければいい。
アプリの断捨離、関わりのある人の断捨離・・・できないっ!!!!!
思い入れのあるアプリ、人を断捨離するのが苦手なんです💧
なのに、どんどん新しいことに手をつけてアプリも人もやることも増えて手が回らなくなる・・・そんな葛藤を3年間。

ふと、思ったんです。
なんで断捨離しようとしてる?
3年間葛藤していまだにできないのに?
それって私の理想なのでは?
とっ散らかってる私、それこそ自分らしいのでは?
しんどい思いして断捨離する必要ある?

ふむ。

ある程度の断捨離計画は、この3年間で考えてきました。
あとは、それを実行して、とっ散らかりすととして、とっ散らかり道を邁進して行こうか、と。あとは、なるようになります。なってきたし(経験談)

個人サイトを立ち上げたこの令和5年。
今年も残すところ、あと4ヶ月。
断捨離計画のひとつとして、このnoteはこれを最後とします。

こちらの記事で個人サイトに移転したいものは、少しずつ移転しています。その続編や新しい記事などは個人サイトで展開していきます。とは言っても、記事移転作業やその他投稿ネタ作成作業、リアルライフでのあれこれを考慮したら、個人サイトを積極的に動かすのは来年以降かな・・・

このアカウントは消しません。
主なる記事もそのまま残します。
誰かのためになるかもしれないけど、
自分の生きた証として。
長文失礼。今までありがとうございました。

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