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生きるということ。

率直な話。暗い話。あまりいい話ではない出来事。
私は先日自殺未遂をしました。
カフェインを多量摂取し、カフェイン中毒を起こして死のうとしました。
危機を感じとった彼が仕事を切り上げて帰ってきて、止めてくれていなければ私は死んでいました。

そんなことを起こした理由は省きますが、そのような行動に出るくらいには、私にとってとても辛い出来事がありました。

次の日通院している心療内科に行き、自殺未遂をしたことを告白しました。
今までひた隠しにしていた両親に、連絡が行きました。
住んでいる場所から300キロ以上離れた実家から、車で6時間かけて病院にきてくれました。
申し訳なさと反省の気持ちとその他いろんな感情がごちゃまぜになり、両親の顔を見た途端泣きました。
3人と主治医と話をし、24時間体制で1週間、私のことを見守る(監視をする)ということになり、私はようやく家へ帰れました。

このような出来事があり、それがきっかけで私は両親と今まで話せなかったこと、普通は話さないような悪行、思っていること、感じていること、私の感情の動き方、幸せの概念、沢山話しました。
そこで私は今まで生きてきて28年、両親との真剣な会話が足りていなかったことに気がつきました。

「そんなことを思っていたんだね」
「知らないところで苦労してたんだね」
「貴方のことわかってなくてごめんね」

そう言われました。
私は今まで両親の悪いところ、嫌いなところばかり目を向け、いいところを全然知ろうとしていませんでした。
でも親もひとりの人間で、長女である私を一生懸命育ててくれて、私のやりたい事は何でもやらせてくれて、親の嫌な部分ばかり見て否定し続けていたことが恥ずかしくなりました。
こんなにも私のことを考えてくれて、1番に想っていてくれていて、気にかけてくれていた。
私、本当は両親のことが大好きだったんだ、と気づきました。

学生時代10年間いじめを受け、すっかり空っぽになってしまっていた自己肯定感、自分への自信のなさ、完璧主義者、その他諸々で出来ていた私は、人を信じることに極端に時間がかかり、人に頼ることの出来ない人間でした。

でもそこで両親が言ってくれたんです。

「今傍にいてくれている彼は、貴方がいなくなったらどうなるの?」と。

両親だけでなく、私を大切に思ってくれている人は周りにたくさんいる。
もっとそこに目を向けなさい。向き合いなさい。
そして頼りなさい。
そう言われました。
人に頼ることは恥ずかしいことではない。自分で解決しなきゃいけないと思うのは間違っている。
頼ることが信頼関係を築くことに繋がり、支え合う関係が生まれる。
この歳になってようやく初めてそんなことに気づきました。

生きることは簡単ではなくて、いい事も悪い事も必ず起きる。
その都度の悪い事柄に飲み込まれてしまっていては、いつか暗い感情に食い尽くされてなくなってしまう。
だからこそ、都度這い上がるために。惨めでも意地で生きるために、人に頼る。話す。
解決策を求めなくてもいい。聞いてもらうだけでもいい。吐き出す。
その行為が大切なんだと。それが生き繋ぐことになるのだと。
私はそう思いました。

「自分が生きているというだけで生きていける人もいる」

人は皆どこかで思い合い、それが支え合いになり、生きることにつながる。
死んだら支えがなくなり、もしかしたら負の連鎖が起きるかもしれない。
そう思うと私はまだ生きようと思えました。
死にたくないし、死ななくてよかったと思えました。
私が生きることで生きられる命もある。

私は自分が無責任に死なないように、インコを飼っています。
私がいなくなったらこの子達はどうやって生きていくんだ。
死のうと思った自分を馬鹿だと思いました。

多分これからも死にたいと思うことが絶対来ると思います。
でもそれを行動にうつして自殺しようとしないように、そうなる前に誰かに助けを求めることができるようになれたらなって、今は思います。

自分のためだと思えなくていい。
大切な家族のために。彼のために。インコのために。友達のために。
これからも私は自分の病気と向き合い、人と向き合い、感情と向き合い、生きていこうと思います。

以上、私の取り留めのない呟きでした。
読んでくれてありがとうございます。

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