能登地震被災住民を見捨てる政府自民党の冷酷な「新自由主義棄民政策」
被災者救援先進国イタリアの「被災者緊急支援システムTKB48」
政府と石川県の能登地震被災地への対応が異常であまりにもひどすぎるので、私見を書いておく。
日本の災害被災者支援がどれほどひどいかは、同じG7加盟国のイタリアと比べてみるとよく分かる。
能登地震発生後の予算委員会で日本共産党井上議員が、日本が見習うべき先進的な先行事例としてイタリアの「自然災害被災者救援システム」を取り上げた。
自称「先進国日本」と違って本物の先進国イタリアも地震など自然災害が多い国だが、1980年代から各地に「被災者緊急支援システム=TKB48(大規模地域分散備蓄体制)」が整備されるようになった。
被災後48時間以内にシャワー付きトイレ、キッチンカー、空調付きテント+ベッド、生活用品等の救援セットが被災者に届けられる。その効果もあって、日本で多発しているる災害関連死はほとんどない。
人口が日本の半分のイタリアには、700名の職員を擁する政府の災害専門機関「市民保護省(=防災省)」があり、年間予算は約3000億円。
22の州には地域の司令塔となる分局が置かれており、災害発生時には国主導で迅速に被災地救援活動が開始される。彼らは専門トレーニングを受けた災害対応のプロであり、それまでに蓄積されたノウハウを駆使して救援活動にあたる。
イタリアでは災害が発生すると政府が州の市民保護局に対して、緊急避難所を設置するよう指令を出す。ここで大事なのは、指令を受けるのは被災地周辺で被害をまぬがれた自治体の市民保護局であって、日本のように被災した自治体の職員が避難所の設置や運営を行う訳ではない点。
勤務が可能な被災自治体職員は災害対応は応援スタッフに任せ、主に通常業務を担当する。日本のように自身も被災者である被災自治体職員が災害対応に駆り出されるなどあり得ず、そんなことをすれば人権侵害やハラスメントとして非難の的になる。
「TKB48」の備品は人口の0.5%にあたる数量が常時備蓄されているが、近い将来の地震津波が予想されているシチリアでは3%を目指している。備品はすべて公費で購入され、管理や設営などの運用は主に各地域のトレーニングを受けたボランティア団体が担当する。
会社員のボランティアが災害で出動すれば、その間の賃金は国が会社に補償する。災害現場に向かう際の移動費などの実費は国の負担。つまり、イタリアのボランティアは日本と違って、無給でも手弁当でもないのだ。
キッチンカーにはコックが同乗し、彼らによってパスタやピザ、野菜やデザートなど栄養バランスを配慮した温かくて美味しい食事が被災者に提供される。それだけではなく、薬を必要とする被災者のために小さな薬局まで開設される。
国の訓練を受けたコック、テント設営、電気設備、水道設備、通信、ロジスティクス、保育、運転手などの支援ボランティアは「職能支援者」として登録され、国が管理している。
「報道ステーション」によればその数は300万人に達する。定期的に災害を想定した大規模総合訓練も行われており、災害発生の際はは災害対応のエキスパートとして大きな力を発揮する。
災害が発生すると、まず国の市民保護局が迅速に捜索・救助チームを被災地に派遣。それと並行して避難所を現地に設営するチームが準備を開始。市民保護局からの指令を受けて概ね発災後12時間以内には避難所設営チームが現地に向けて出発する。
こうした迅速な対応が可能なのは、市民保護局には警察や消防、軍などと共にボランティア団体の代表も参加しており、刻々と入って来る被災情報や支援方針を共有しているからだ。
イタリアでは、「様々なノウハウを待ち、責任をもって全体の指揮・管理を行う司令塔としての市民保護局」、「充実した機材・設備・備蓄物資」、「訓練を受けた多数のボランティア」の三つで被災者の命や健康を守っている。
ボランティアたちの合言葉は、「ベネッセレ(精神的な健康や快適さ)」。イタリアの避難所は日本のような苦しさを耐え忍ぶ場所ではなく、被災者が元気を取り戻し復興への希望を見出す場所なのだ。
仮設住宅についてもイタリアと日本では考え方に大きな違いがある。
日本の仮設住宅は応急に作られた壁が薄く耐震・断熱性能の低い安普請の「プレハブ小屋」で、使用期間は2年間。つまり、2年後には撤去されて被災者は追い出されるので、2年もてばよいという仕様で作られている。
これに対し、イタリアの仮設住宅は10年間は住み続けられることを前提に作られている災害公営住宅であり、断熱性能や耐震性もしっかり備えた仕様になっている。
広さも日本の仮設住宅よりずっと広くて60~80㎡とゆったりしている。二人用でも二つのベッドルーム、リヴィング、シャワールームを備えており収納も充実している。
勿論、被災者が快適に生活できるよう、ベッド、ソファ、タンス、洗濯機、TVなどの家具、システムキッチンやピザを焼くオープンレンジ、調理道具や食器類なども完備している。
台湾花蓮地震における迅速な被災者救援
以上のように日本から見れば羨ましいとしか言いようのない「至れり尽くせりの快適な避難所」はイタリアだけの特殊事情かと言えば、決してそんな事はない。
日本の隣国台湾でも独自の自然災害救援システムが整備されており、2024年4月3日に発生した「花蓮地震」における素早い被災者救援につながり、日本のTVでも報道されたように倒壊した大きなビルの解体と瓦礫処理も迅速に行われた。
花蓮市の避難所では地震発生後3時間以内にプライバシーを確保できる簡易ベッド付き個室テントが設置され、温かい食事、下着などの日用品のほか、アロママッサージまで提供されているのには驚かされる。
イタリアや台湾には出来て、なぜ日本では出来ないのか。そう、出来ないのではなく、やらないのだ。
自助共助が最優先で公助を嫌う新自由主義で凝り固まった政府自民党には、その気が全くないだけなのだ。
被災者の生活再建支援
被災者の生活再建に関しても日本とイタリアとでは天と地ほどの大きな開きがある。イタリアでは、被災した個人の住宅も基本的に国の負担で再建される。
日本では「私有財産に公金は使えない」との政府に都合のよい新自由主義的な考えが広められており、国の「被災者生活再建支援金」は全壊でも僅か300万円に過ぎない。大規模半壊250万円、中規模半壊100万円だが、半壊以下は支給対象外。
しかも、支出予算を極力絞りたいためか、罹災証明書の発行に必要な第1次調査の判定基準が厳しく、例えば民間保険会社の調査では全壊と判定された場合でも行政の1次調査では半壊と判定されるなど、被害を低く見積もられる事も少なくない。
このため、納得がいかない被災者が住宅内部まで立ち入って詳しく調べる第2次判定を求めるがケースが相次いでいる。
円安による輸入品価格の高騰や大阪万博などで建築資材などが激しく高騰している中、そもそもこんな僅かな支援金で生活のよりどころである住宅が再建できると考える方がどうかしている。
それもそのはずで政府支給の支援金は生活再建のための補助金ではなく、実態は単なる「見舞金」の扱いなのだ。見舞金なら私有財産に公金を使った事にはならないからだ。
「この度は運が悪かったですね。お見舞い申し上げます。私有財産の問題に国はこれ以上関われませんので、後は、自助努力でお願いします。」
要するに日本の災害被災者対応は一種の棄民政策であり、初めから被災者の生活再建を本気で支援する気など更々ないのだ。
前近代的な日本の自然災害被災者救援
国が責任をもって救援を主導するイタリアに対し、既述のように日本の被災地救援は国レベルの統一された常設司令塔がなく、被災した現地の自治体にほぼ丸投げ。国の基準がないため自治体ごとの対応には大きなばらつきがあり、支援のレベルも一定していない。
政府はなるべく国の関与を減らしたいので国家レベルの司令塔を作らず、国には頼らず自治体職員や住民同士の共助、自助で災害を乗り切るように仕向けている。
内閣府の「避難所運営ガイドライン」自体が「被災者自らが行動し、助け合いながら避難所を運営する」と明記するなど、日本の避難所は被災者自身に丸投げの「自助」を最優先にしているのだ。
これは「公助を当てにするな、被災者同士で助け合え、自助で何とかしろ」と言っているに等しい。まさしく「小さな政府」の新自由主義思想そのもので、税金を納めている国民に対する政府の責任放棄に他ならない。
何度も書くが、本来であれば保護の対象になる被災自治体の公務員自身が被災者の保護活動にあたらねばならない事自体、先進国ではありえない。
また、対応にあたる自治体職員も概ね3年程度で部署を入れ替わるので、国と同様ノウハウの蓄積継承が出来ていない。災害対応の専門知識がない上に十分な訓練も受けておらず、迅速的確かつ臨機応変に動けないケースも多い。
その際、頼りになるのが被災地救援の経験を積んだベテラン・ボランティアだが、能登地震では維新の典型的無能愚鈍政治家馳知事による謎の「ボランティアは、控えて。」発言が尾を引き、能登のボランティア活動は終始低調のまま推移した。
また、上に書いたように自治体職員の多くが同時に被災者でもあるため小さな自治体ではすぐにマンパワー不足に陥り、ボランティアや自衛隊となどとの連携もなかなかうまくいかない。
マンパワー不足は、公務員数自体を削減した上に正規職員を減らして非正規職員に置き換えて来た地方自治の新自由主義政策にも大きな責任がある。今では、全国の地方公務員の3~4割が非正規となっている。
難民収容所以下の日本の劣悪な避難所
被災者は災害発生直後から長期間、空調設備のない体育館等でプライバシーもないすし詰め状態の雑魚寝を強いられる。チープな段ボールで簡単な仕切りが導入されている避難所もあるが、これさえまだごく一部に限られている。
しかも1次避難所に入れるのはまだよい方で、被災者が多くて避難所が満杯になってしまえば水道も下水も使えない半壊した自宅や車の中で生活する事を余儀なくされる。
中には農業用ビニールハウスの中で孤立無援状態で過ごしている人たちもいるほどだ。水や食料なども避難所まで自力で取りに行かなければならない。
避難所での一番の問題はトイレで、避難者数に対して圧倒的に数が足りないため行きたくても行けないストレスに24時間苛まれ続ける。断水していれば更に悲惨な事になる。
仮設トイレの設置は迅速とは言い難く、簡易トイレも不足しているため、被災者は排せつ物の処理に困窮する。日本はトイレカー自体が少なく、各地の自治体や民間会社が保有するトイレカーを応援で派遣したとしても、全く需要に追い付けない。
2024年6月28日、政府の中央防災会議(会長・岸田首相)は、防災基本計画を修正。「避難所にトイレカーを設置するなど、福祉的な支援の充実が必要だ」と明記した。日本政府は、イタリアより40年遅れでようやくトイレカーの必要性を理解したらしい。
シャワーや風呂はもっぱら自衛隊頼み。しかし、自衛隊が装備している「野外入浴セッ」トは、数が少ないため大きな避難所にしか設置されていない(能登地震では最大でも18か所)。自衛隊は入浴支援の他に、19か所で給食支援、98か所で給水支援を実施している。
毎日の洗濯も大きな問題だが、移動式ランドリーカーは例えば珠洲市には数台しか配置されていないという状況で、こちらも需要に全く対応できない。
自治体から提供される食事もビスケット、菓子パン、乾パン、おにぎり、弁当など炭水化物に偏っており、温かなものは提供不能なのでボランティアの炊き出しだけが頼り。
イタリアなど先進国では被災後迅速に温かい食事が提供されるので、「非常食」は日本だけの現象だ。
日本の避難所と言えば体育館などで長期間の雑魚寝が当たり前で、明治時代から全く改善されていない。長年の慣習でこれを不思議に思わない国民が多いが、所謂先進諸国でこんな事がまかり通っているのは日本だけ。欧米でこれをやったら非難ごうごうは確実で、とんでもない人権侵害だと訴訟沙汰になるだろう。
設備にしてもエアコンのない体育館が非常に多い。文科省の調査では、エアコンを備えた学校体育館は僅か15.3%。冬であれば石油ストーブや毛布などで何とか凌げるかもしれないが、夏季はそうはいかない。
今後、猛暑日や熱帯夜は益々増えると予想されるので、体育館等避難所への空調設備設置を急がないとせっかく助かった命が熱中症等の災害関連死で失われることになる。
岸田政権は今回補正予算編成を拒否しているので、圧倒的に予算が足りない。避難所の維持管理費用は、1日1人たったの340円なので、100人でも1日3万4000円。
それで光熱水費や消耗品、仮設トイレ、暖房機、レンタルスポットエアコンなど諸経費全部まかなうなど土台無理な話。東日本大震災では、当時の民主党政府が340円を1000円に増額して対応した。
外国からも、「日本の避難所は難民収容所以下で人権侵害」と指摘されて久しいが一向に改善されず、自然災害発生の度に多発する「災害関連死」の大きな原因になっている。
十年一日のような日本の避難所の光景
避難所の改善を阻む「災害被害受忍論」
自然災害被災者の置かれた劣悪な環境は憲法13条「幸福追求権」及び憲法25条「生存権」に対する明白な違反だが、日本にはこうした憲法違反がまかり通ってしまう素地がある。
それが、公的扶助を受けている被災者は生活上多少の不便があっても文句を言わずに我慢すべきという「災害被害受忍論」。加えて常に政府側に加担して「強きを助け、弱きを挫く」事ばかりしている最高裁の弱者に冷たい判決。
戦後、恩給が支給されるようになった軍人・軍属やその遺族に対し、空襲や艦砲射撃などによって被害を受けた民間人(死者だけでも40~50万人)は一切の補償を受けられず放置されていた。
多数の死者、負傷者を出した背景には、民間人に消火活動を押し付けた「防空法」の存在がある。昭和16年の「防空法」改正によって帝国臣民は空襲の際、避難したり、傍観したりする事は許されず、焼夷弾に向かって「突撃」して火を消すことを義務付けらた。
政府の防空政策担当者は米軍の高性能油脂焼夷弾は消す事が出来ない事を知っていたにも関わらず、「空襲は怖くない」「米軍の焼夷弾など大したことはない」との「安全神話」を広げ、焼夷弾の消し方を説明したポスター(一組12枚セット)まで配布していた。そのために、避難していれば助かったはずの多くの命が失われた。
「爆弾くらいは手で受けよ」1941
以上のように、帝国政府の人命無視の無謀な防空政策によって国民の空襲被害が拡大したのは、隠しようのない事実である。
それにも関わらず、民間人戦争被害の国家賠償を求めて起こされた行政訴訟に対し、最高裁は1968年、「国の非常事態下で起きた身体や財産の被害は、国民が等しく受忍(我慢)しなければならない」との政府に都合のよい「戦争被害受忍論」を打ち出して冷酷にこれを退けた。
法律まで制定して国民が避難することを許さず、無謀な消火活動まで強制した国家犯罪と言ってもよい政府の責任は一切不問に付した上、「政争被害は自己責任」で片付けたのだ。
防空法により銃後の国民も空襲による火災と戦う事を義務付けられていたという点は重要で、前線で敵軍と戦う事を義務付けられていた軍人と何ら変わりはなく、国家による雇用関係(公務)にあるか否かで差別するのは理不尽極まりない。
その後、政府の設けた有識者会議「原爆被爆者対策基本問題懇談会」も1980年に「空襲被害などを受忍すべき一般の犠牲」と位置づけて最高裁判決を追認。その後の裁判で国に賠償義務がないことの根拠となった。
だから、政府は民間戦争被害に対する戦後の国家賠償を何ら気にすることなく、今すぐにでも大手を振って戦争を始められるのだ。
この「戦争被害受忍論」は、そのまま「災害被害受忍論」に繋がる。「災害被害」も「国の非常事態下で起きた身体や財産の被害」だからだ。
国民全体の権利意識の低さも手伝い、災害被災者が劣悪な環境に対する不満や改善要望を言い出しにくい雰囲気は、現在でも厳然として存在している。
不満を口にすれば「自治体職員や支援員の心証を害して弱い立場の自分たち家族が不利益を被るかもしれない」、あるいは、「公費で助けてもらっているのに我儘と思われるのが怖い」などの心理も働き、言いたくても言えずに我慢してしまうケースが大半だろう。
被災者がやむにやまれずSNSで窮状を訴え、国や自治体に改善を求めただけで、常に強い者(政府自民党)の味方をして(あるいは雇われて)弱者をいじめるネトウヨ共がわらわらと集まって来て、一斉に誹謗中傷の集中攻撃を加えて黙らせようとするのが日本という国なのだ。
こうした風潮は、「お上のやる事は常に正しいのだから(権力無謬性の原則) 、下々は文句を言わずに黙って従え」という戦前から変わらない日本の「権威主義」と無関係ではない。
能登地震で行われている「過疎地に置ける新自由主義棄民政策」~「選択と集中」~
以上のように世界一の自然災害大国日本はイタリアのような救援システムを整備するどころか、その真逆を行っている世界でも非常に珍しい愚かな国なのだ。
この問題は大規模自然災害が発生する度に国会でも取り上げられているが、例えば安倍元総理は在任中「現在の枠組み自体については、最近の大規模災害に際しても十分な機能を果たしたものと認識して」いると自信たっぷりに豪語しており、改善する気は全くないらしい。
政府自民党の災害被災者救援を軽視する姿勢は岸田政権でも一貫しているが、能登地震ではその傾向が更に強まり、ついに一線を超えてしまった感がある。
現在、政府自民党は能登地震で、公助を大幅に削り、被災住民を自助任せで放置して見捨て、復興させない「選択と集中論」に基づく「過疎地の新自由主義棄民政策」の実験を進めている。
この実験が成功すれば、補正予算さえ組まず政府の責任を放棄した「能登方式」が今後の被災地「救援」モデルになるだろう。つまり、他人事ではなく、明日は我が身なのだ。
自衛隊の動き
人命にかかわる災害では最初の72時間(できれば48時間)が勝負で、それ以降は生存率が急激に下がるとされている。能登地震以前はその鉄則通り概ね三日以内に自衛隊の大量動員が行われていた。
しかるに今回の能登地震の場合は初期の自衛隊大量動員はなく、三日目までは1000人から2000人、それ以降は概ね数百人ずつの少数逐次投入しか行われていない。地震規模は違うが、東日本大震災で民主党政権は初日に8400人、2日後には一気に5万人を派遣した。
政府とマスコミは自衛隊を大量動員しない言い訳として「道路が寸断されて自衛隊が現地に入れない」と大宣伝を行い、国民を洗脳した。「それでは仕方がない」と納得してしまった国民も多いと思われるが、この言い訳は根本的におかしい。
仮に地震直後の奥能登に外国軍隊が侵入した場合、政府は「道路が寸断されて自衛隊が現地に入れない」と何の対応もせず、住民に危害が加えられ、領土が占領され行くのは仕方がないとでも言うのか。
自衛隊はそうした事態を想定した訓練や作戦研究を綿密に行っており、当然の事だが様々な事態に備えた即応部隊を現地に迅速に送り込む能力をもっている。
陸上自衛隊には普通科(歩兵)連隊の他に迅速に道路を啓開するための各種建設土木重機とノウハウを持つ強力な施設科(工兵)部隊があるのだから、それを最初から全力投入すればよかったのだ。しかし、実際は京都の第4施設団が僅かに三か所の県道を修復したのみで、それ以外の部隊は全く投入されていない。
また、政府にやる気があれば落下傘降下によるエアボーン作戦やヘリコプターによるヘリボーン作戦を実施する事も可能だ。発災直後に多数の空挺部隊や救助機材を迅速に現地に送り込み、倒壊家屋の下敷きになったり、土砂で生き埋めになったりした被災者の救出活動に当たらせる事も出来たはずだが、全く実施されていない。
では同時期、チェンソー、エンジンカッター、レバーブロック、オイルジャッキなどの救出機材を50セットずつ装備し、過酷なレンジャー訓練に耐え抜いた猛者揃いの陸自最強部隊「第1空挺団」(1900名)は一体何をしていたのか?
驚く事に千葉県習志野演習場で一般見学者を多数集めた展示訓練である新年恒例の「降下訓練始め」を当初の予定通り1月7日(日)に完全実施していたのだ。これには、米英、カナダなど7か国の陸軍部隊も参加ししていた。
原則として方面隊の管轄地域以外の災害救助には当たらない教条的な隊区主義もあり、第1空挺団は能登地震には全く投入されていない。第1空挺団は即応特殊部隊であるため方面隊ではなく陸上総隊隷下にあるが、災害派遣隊区は千葉県と定められているためである。
所属するCH47Jヘリは30トンの積載能力があり、重機の釣り下げ輸送も可能。発災後ただちに被災地に派遣されていれば生き埋めになった多くの命を救出できていたはずだが、政府は出来る事をやらずに見殺しにした。
動きの鈍さは自衛隊だけの問題ではなく、6千人の「緊急消防援助隊」を擁する消防庁も同様で、僅か3分の1の人員しか派遣されていない。被災規模(阪神大震災の約3倍の規模)に比べると明らかに不十分と言わざるを得ない。
それを象徴していたのが、1月6日に通常通り行われた毎年恒例の消防出初式。自衛隊と同じく、全国最強の災害救助エキスパート組織である東京消防庁レスキュー隊が能登で数百人の住民が生き埋めになっている事実を知りながら、平然と出初式に参加していたのだ。
これらの意図的な不作為は、明らかに政府自民党の「新自由主義棄民政策」に基づくもので、ここには「過疎地における救出救命活動及び復旧復興はコスパが悪いから、できるだけやらないようにする」「自衛隊の本務は国家の防衛であり、災害救助ではない」と言う国民への暗黙のメッセージが明瞭に示されている。
政府自民党の異常な棄民政策には、日本的新自由主義思想が色濃く反映している。新自由主義の教義の通り一般庶民への公助は出来るだけ削って自助任せにし、浮いた公金は宗主国米国や大企業財界、海外バラマキに回したい政府自民党の思惑が透けて見えている。
同時に「緊急事態条項があれば、もっと迅速・大規模に被災地救援と復興が進められる」とのフェイクプロパガンダを広める材料にもなるので、政権にとっては一石二鳥。
驚いたことに岸田総理は能登地震発災後の国会質疑で被災者生活再建支援に関する質問に対し、「災害が多い地域において、保険とか共済、こういった制度への加入も重要である~」と答弁。これは、日本のどこでも災害は起こり得るのだから、国民全員が「万が一に備えて地震特約付きの高額保険や災害保険に入っておくべき」と言ったに等しい。
逆に言えば、イタリアのような災害救援システムが完備されてしまうと災害保険や地震保険の加入者が減り、大口政治献金元である保険会社の売り上げが落ちる恐れがあるので公助はやらないということだ。
基本的に一般庶民の利益と大企業財界との利益は二律背反の関係にあるが、国の対応が災害被災者の生命財産に直結する場合であっても、政府自民党は必ず自民党に巨額の政治献金をしてくれる大企業財界の利益の方を優先する。
長期間放置状態の能登の惨状
こうして、半年近く経っても被災地の瓦礫の山は手つかずで放置されたまま。撤去されたのは4月30日時点で全体の僅か0.3%。瓦礫撤去が進まない原因は、国や自治体の発注単価が安すぎる事と公金を使った事業には漏れなく付いてくる中抜きの存在。
まず元受けが30%を抜き、第一次下請けが20%・・・と言うように抜いて行き、実際の解体作業を行う業者にまで降りて来る頃には雀の涙の金額にまで減っている。
こんな発注額で利益が出ないのでまともな業者は受けたがらない。公費解体なので本来は儲けの柱になる鉄やアルミなどのスクラップは、自治体に返納しなければならないのも一因。
こうして瓦礫処理は、際限なく遅れて行く。
8か月以上経っても瓦礫処理が10%しか進まないのは前例がない。
水道の復旧が遅々として進まないのも、瓦礫が邪魔になって漏水箇所が特定できず復旧工事を阻んでいるからだ。
現在の水道復旧率は輪島市約92%、珠洲市約73%とアナウンスされており、一見復旧が進んだように見える。しかし、これにはカラクリがあり、実際に自宅で水道が出る家はこの数字より遥かに少ない。半年経っても通水しない家庭の方が多いのだ。
発災直後から何度も被災現場に足を運んでいる「れいわ」の山本太郎は、この件について次のように怒りをあらわにしている。
屋内漏水対策工事が、全額被災者の自己負担とされている事も早期の水道復旧を阻む大きな原因となっている。
更に観光事業再開の邪魔になるからと2次避難場所のホテルから早々に被災者を追い出す、水道が復旧していないにも関わらず被災者への炊き出しや弁当支給を中止する、半年近く経っても瓦礫の山を放置するなど、保守王国能登住民に対する政府自民党の冷酷な仕打ちは常軌を逸しており、鬼畜の諸行と言う他はない。
しかも、被災者への弁当支給を中止した理由が、コンビニが営業を再開したからとは呆れる。仕事も失って困窮している被災者に「コンビニがあるのだから自前で毎日弁当を買え」と。
NHKをはじめとするTV各局も自民党の棄民政策に加担しており、遅々として復興が進まない被災地の異常な事態を行政の問題として批判的に報ずる番組は非常に少ない。
被災地の様子を取り上げても復興が進んでいるように錯覚させる表面的な明るい話題ばかりで、政府の不作為によって復旧・復興が停滞している深刻な現実は意図的に隠されている。
更に仮設住宅が全く足りていない中、行政は復旧・復興が進み避難者が減ったように見せかけるために避難所を次々に閉鎖すると共にホテル・旅館などからも追い出しをかけている。
被災者が損壊した自宅に戻ったり、遠方の親戚の家に身を寄せたりせざるを得ないように仕向けているのだ。
こうした行政の悪質な棄民政策や意図的な不作為、半年近く経っても瓦礫が放置されている理由、いつまで経っても平常な生活が戻らない被災者の苦しみなどは全くと言っていい程追及されず報道されない。
震災後の適切なケアがあれば助けられたかもしれない「災害関連死」を含む死者数は既に熊本地震を上回る260名に達している。災害関連死は更に100名以上が申請中なので今後も日を追うごとに増える事は確実。瓦礫が放置されたままなので、3名の行方不明者が未だに見つかっていない。
※能登地震の死者376人の内、災害関連死は185人となった。自殺を初認定した。(20241029 追記)
憲法の基本的人権を平気で踏みにじる極限まで腐敗した反社自民党をこのままのさばらせておけば、日本中のどこでも能登と同じ棄民政策の対象になる得る事を自民党支持者は肝に銘じるべきだろう。
政府が能登地震復旧をサボタージュしているのは住民が珠洲原発の新設を阻んだ報復か
2024年5月26日、能登地震発生半月前まで原発を所管する経産相を務めていた安倍派幹部の西村康稔が支持者との内輪の会合の中で「珠洲市の住民が原発(新設)に反対したから復興が進まない」ととれる趣旨の問題発言をしていた事が報道された。
西村発言からは、保守王国能登の被災住民に対する自民党の常軌を逸した冷酷な対応の理由の一端が垣間見えて興味深い。
もし、計画通り珠洲市に原発が建設されていれば福島第一原発と同様の過酷事故になっていた可能性が極めて高いのに、西村は平気で「地震など1000年に一度」と嘯き歯牙にもかけていないのには唖然とする。
現に石川県志賀町にある志賀原発は震度5強相当の大きな揺れによって外部から電気を受ける際に使う2号機の変圧器が損傷、配管などが壊れておよそ1万9800リットルの油が漏れ出す大きな被害を受けた。この影響であわせて3系統5回線ある送電線のうち、1系統2回線が長期間使えなくなっている。
一部では、馳知事が発した「ボランティアは、来るな。」というメッセージは、志賀原発の損壊状況を民間人に見られたくなかったからではないのか?と囁かれている。
志賀原発の状況がようやく報道時に公開されたのが地震発生から3か月以上も経った3月7日。既に変圧器は修理された後で、損壊状況をうかがい知る事はできなくなっていた。
原子力村には西村だけでなく、多くの大物自民党議員が所属している。原子力村にとって巨大な原発利権を潰した奥能登の反原発派住民は不倶戴天の仇敵。政府自民党による異常な能登復興サボタージュには、そのような能登住民に対する悪意の報復、陰湿な嫌がらせも含まれていたとしても不思議ではない。
夜郎自大の西村の発言には自己中心的で品性下劣、利権の事しか頭にない自民党議員の本音が露骨に表出されており、今の自民党がマフィア顔負けの極悪非道の犯罪組織に闇落ちしていることがしっかり可視化されている。
自公政府は身内や米国、大企業財界のためには一生懸命奉仕するが、国民のためには働かない
以上のように、日本とイタリア・台湾の被災者対応には正反対と言っていい程の大きな開きがあるが、この相違は一体どこから来ているのか。
被災者救援・生活再建などに予算を割きたくない政府自民党のケチケチぶりは憤りを感じるが、別に政府にお金がない訳ではない。ある所には、それこそ唸るほどあるのだ。
例えば、岸田政権の常軌を逸した巨額の海外バラマキ。一般会計予算に計上されている海外協力金が毎年5千億円程度なのに、岸田総理が海外バラマキを始めるとどこからか湯水のように予算が湧いてくるらしくその額は年間数兆円にも上る。岸田政権の海外バラマキ額合計は、約29兆円とも言われている。
また、一般会計予算から一旦繰り入れてしまえば何に使おうが各省庁の自由裁量となる「政府基金」が200もあり、2023年末時点の合計残高も17.4兆円にまで膨れ上がっている。しかも、立憲民主党と会計検査院の調査ではこの内、10.3兆円が不必要とされている。
「基金」に無駄に積み上げられた10兆円の一部でもいいから被災者支援に回していれば、どれほどの被災者が救われたことか。
一事が万事で、政府自民党は国民から一時的に預かった巨額の税金を国民のためには使わずに私物化。見返りやキックバック欲しさに米国や大企業財界、自民党縁故企業などのために勝手に使い込んでいるのだ。
次の記事を参照していただければお分かりいただけると思うが、簡単に言えばイタリアや台湾が基本的に国民のために奉仕する政府であるのに対し、日本の自公政権は国民にではなく米国、大企業財界、その他自民党に大口献金してくれる企業・団体だけに奉仕する政府だという事。
自民党に大口政治献金をしない、できない一般国民など、税金と政党助成金を絞り取るためのATMとしかみていないのだ。
イタリアのメローニ首相が「G7広島サミット2023開会中に本国イタリア北部で起きた洪水被害対応のために日程を切り上げて急遽帰国」というニュースを覚えておられるだろうか。翌日には、メローニ首相が防災服姿で被災地エミリア=ロマーニャ州の災害現場を視察している姿が日本でも報道された。
メローニ首相と岸田総理の立場がもし逆だったら、岸田総理はどのような対応をしただろうか。
残念ながら岸田総理が内閣支持率爆上げに繋がるサミットと言う晴れ舞台をほっぼり出し、災害対応のために緊急帰国という事態はとても想像することが出来ない。精々、「関係閣僚に災害対応には万全を期すように指示した。」程度でお茶を濁すのが関の山だろう。
一刻も早く日本の政界から絶対に国民のためには働かない代わりに国家規模で組織犯罪を働く巨大反社特殊詐欺グルーブ「自民公明」と強欲凶悪新自由主義で政界の汚物入れの半グレチンピラ「維新」、反共と改憲しか能のない現代の民社党「国民民主」、大日本帝国回帰を目指す極右「参政」などの反国民政党や実態は財界の労対部門で労働者の敵「連合」を政界から一掃し、憲法を順守し国民のために働くまともな政府を作る事が求められている。
今こそ国民は政府への抵抗権を行使しよう!
政府自民党が学校で憲法についてまともに教えない憲法隠しを続けて来たため国民にはほとんど知られていないが、日本国憲法にも「国民の抵抗権」に関する規定(しかも義務規定)がある。
憲法12条は、「政府から権利や自由を守るのは国民の義務であり、権利や自由は主張し、行使しなければ取り消される」事を国民に警告している。
上述した台湾花蓮地震の例だが、実は2018年以前は日本の避難所とそう大きな違いはなかった。2018年の大地震で花蓮市は避難所を開設するのに2日もかかり、間仕切りもなく被災者から強い不満が出た。被災者の不満の声は行政側を突き動かし、花蓮市はこの時の教訓を元に現在のような被災者救援システムを整備した。
日本の避難所の実態が戦前とほとんど変わらず、被災者救援が前近代的なまま今日まで来てしまったのは、権利意識(主権者意識)が乏しく被災者自身が不満の声を上げない、上げられない事と、多くの国民が災害を他人事として関心を持たず傍観して来た事も影響している。
政府に改善を要求する際、大きな武器になるのが憲法13条「幸福追求権」と憲法25条「生存権」。
国民を個人として尊重せず、プライバシーのない雑魚寝状態を強いる避難所や自助任せで被災者の生活再建を支援しない日本の「被災者救援制度」は、13条の「幸福追求権」と25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵害しており、明白な憲法違反。
災害被災者は憲法を武器に長い間に心に刷り込まれた「避難所に入れるだけでも有難い」「避難所は雑魚寝が常識」という「社会通念」や知らず知らずの内に刷り込まれた「災害被災受忍論」という呪縛を自ら解き、外国の先進システムを参考に行政に対して改善を要求する声をあげて行くべきなのだ。
また、今回は災害に遭わなかった国民も「明日は我が身」。被災地の状況に心を寄せ、被災者を人間扱いせず劣悪な状況のまま放置する政府自民党を非難し、前近代的な日本の災害救援制度の抜本的改革を政府に要求して行くべ事が必要。
国民自身が怒りの声を上げなければ、公共・公営・公助を日本社会から一掃したい「新自由主義が党是」で、「一に自助、二に共助、三、四がなくて、五に棄民」の政府自民党はサボタージュを決め込むに決まっているのだから。
最後に、佐藤梓氏の名演説をどうぞ。「みんな、もっと怒っていい!」
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