見出し画像

軍歌と朝ドラ「エール」戦時下編

朝ドラ「エール」の戦時下編で、軍歌に対する関心がかつてなかったほど高まっているようなので、この機会に軍歌について少し考えてみたいと思います。

ユーチューブには夥しい数の軍歌がアップされていますが、改めて聞いてみると陸海軍省情報部が総力をあげて作らせただけあって、「軍艦マーチ」(戦後はパチンコ屋のテーマ曲?)「空の神兵」「暁に祈る」「露営の歌」「海ゆかば」「鳴呼神風特別攻撃隊」「若鷲の歌 「(予科練の歌」) 」「同期の桜」「愛国代行進曲」「あゝ紅の血は燃ゆる (「学徒動員の歌」)」「戦友」等、名曲が多いことも事実です。

戦意高揚のプロパガンダである歌詞は抜きにして、メロディだけ聞けば、今聴いても十分通用するいい曲が揃っているのです。           戦後75年経っても軍歌が廃れずに未だに根強い人気があり、一部の界隈で歌い継がれているのも、このメロディのよさが大いに貢献していることは明らかです。

優れた軍歌には、元々軍歌が大嫌いな自分が「中にはいい曲もあるなあ。」などと感心させられてしまい、油断するとそちらの方向に引っ張って行かれかねない魔力が潜んでいるようで怖いです。

作詞家のなかにし礼は、著書「歌謡曲から昭和を読む」の中で、軍歌の名曲として「空の神兵」「若鷲の歌」「同期の桜」「加藤隼戦闘隊」を挙げた後、次のように続けます。

「しかし――と私は思う。いい歌であるからこそ、多くの人が愛し、戦闘意欲をかき立てられた。いい歌であるからこそ、人は勇躍、戦地へと赴いたのである。軍歌は人を煽り、洗脳し、教育するときには大変な効果を発揮するものなのだ。」
だから軍歌は、いい歌であればあるほど、名曲であればあるほど罪深い。
このことを決して忘れてはならないのである。」

と書いています。
「軍歌は、~名曲であればあるほど罪深い。」なるほど、至言です。

この後、軍歌を量産し、積極的に戦争に協力した山田耕筰(「エール」では志村けん)など、当時の有名音楽家たちの戦争責任についてもふれています。

NHKは、「エール」でも古関裕而を取り上げた関連番組でも、「軍歌」という呼称を使わず「戦時歌謡」で統一しているようです。しかし、「戦時歌謡」といいう用語は戦後になって作られた造語なので、戦前に使われているはずはありません。

歴史の真実に真正面から向き合おうとせず、敗戦を「終戦」と言い換えて事の本質を覆い隠し、敗戦などなかったことにしたい歴史修正主義に迎合にする姑息で卑怯な手口です。

では、罪深い代表的な名曲を4曲とトンデモ軍歌を1曲聴いてみましょう。

「暁に祈る」1940

作詞 野村俊夫・作曲 古関裕而・歌 伊藤久男トリオの代表曲。
この三人は当時、「コロムビア三羽烏」と呼ばれていたそうが、「エール」では、企業名が出るのを避けるためか「福島三羽烏」に変更されています。

戦時中、軍歌を量産して「軍歌の覇王」と呼ばれた「エール」のモデル古関裕而ですが、面白いことにこの曲のような短調の軍歌には名曲が多いのに、長調の曲は全然ダメですね。

ユーチューブ映像の前半は、韓国の戦争映画らしいです。
なかなか迫力があるので、一度観てみたいもの。
鶴見辰吾やオダギリジョー、鶴見辰吾、山本太郎も出ていますね。

後半はアメリカ側から沖縄戦を描いた映画『ハクソー・リッジ』の一場面。「シュガーローフの戦い」を中心に戦闘シーンを非常にリアルに描いた戦争映画でした。

「出征兵士を送る歌」1939

メロディは名曲ですが、 「わが大君に召されたる~」から始まる夜郎自大の神がかり的な歌詞がすさまじいです。
なかなかよくできていてインパクトがあるだけに、出征する兵士をその気にさせる戦意高揚効果は抜群だっただろうと想像されます。
恐ろしいことに、出だしのメロディと歌詞は子どもの頃に一度聴いたきりなのに、その後もずっと耳に残り続けました。

映像の中盤は、木下恵介「陸軍」(1944)のラストシーン。
母親(田中絹代)が出征する息子の後を延々と追うこのシーンを入れたことで、監督の木下恵介は戦意高揚に水を差す厭戦的な映画を作ったとして軍部ににらまれ、以後、敗戦まで映画製作を干されることになります。

「あゝ紅の血は燃ゆる」 (「学徒動員の歌」)  作詞 野村俊夫

「学徒出陣」の歌ではなく、勤労動員の歌。勉学の機会を奪われ、強制的に軍需工場などに動員された学生・生徒の士気を高めるために作られた曲です。歌詞・メロディともによくできているので、思わずその気になってしまいそうになります。B29による軍需工場の爆撃により、多くの動員学徒が爆死しました。

歌詞を書いた野村俊夫は、「エール」では頼まれれば躊躇なく次々と軍歌を作る古関裕而にやや批判的な描かれ方をしていましたが、実際には本人も多くの軍歌を作詞しています。

木下恵介と並ぶ日本映画の巨匠黒沢明も軍需工場で働く女子挺身隊員たちを主人公にした戦意(生産)高揚映画「一番美しく」(1944)を第2作として撮っています。黒沢は木下のように尻尾を出すようなことはなく、軍の要求をそつなくこなして、本来撮りたかった第3作「続姿三四郎」(1945)へとつなげています。

「愛国行進曲」1937

1937年に国民精神総動員を目的に内閣情報部が公募。
作詞の応募数は、何と約57000点に上ったそうです。          単純な戦意高揚歌ではなく、よく聴いてみると、題名の通り「万世一系」の天皇陛下をいただく大日本帝国を賛美し、「八紘一宇」を国是として海外侵略を正当化した恐ろしい曲です。

「爆弾くらいは手で受けよ」1941

名曲でも何でもなく、歌詞もメロディもこれ以上はないというくらい最低の軍歌ですが、「決戦盆踊り」「愛国子守唄」」「なんだ空襲」 「進め一億火の玉だ」など、戦前、量産されたトンデモ軍歌の代表曲として。
非科学的な反知性主義の権化のような曲で、戦時中のやけっぱちでファナティック、狂気に満ちた国民の気分をよく反映しています。



いいなと思ったら応援しよう!