欠点には存在理由がある
こんにちは、たかひとです。
「欠点には存在理由がある」という記事をみかけ、
興味があったので考察してみました。
筆者が言うには、勝負は欠点を克服したから優位に立てるものではない。
もっと徹底した長所と長所のぶつかり合いだ、と。
また、短所を克服することに特化した練習を始めたが、どうも上手くいかなかったとのこと。
分析していくうちに、欠点にはそれなりの意味があり、必要な副作用なんじゃないか、と気づいたとも言っていました。
理屈で考えれば、短所を直せば万事OKと思えるけど、そこを直せば今度は別の箇所に影響が出る。
全体のバランスで見始めると、欠点が欠点だけで存在しているのではなく、長所とセットになっていることがほとんどだった、とのことでした。
だから、「欠点には存在する理由」があったのだ、と。
私は、野球選手のピッチングフォームやバッテングフォームの矯正が、目に浮かびました。
ただここで、スポーツではなく吃音に当てはめると、どうなのだろうか、という疑問が。
長年吃音のことを考えてきましたが、内省するきっかけを与えてくれたくらいしか、今のところ存在理由が思い浮かびません。
それよりむしろ、こっちの方が問題です。
自分が欠点だと思っていることも、そこに意識をとられ過ぎてしまうと、肝心の長所が死んでしまったりすること。
欠点と長所の関係は、失敗と成功の関係に似ていると思われます。
失敗があったから成功したのか、成功があったから失敗したのか、どちらかわからないように、長所と短所も相互関係。
本来人間は「かたより」があるし、ふつうの人なんていない。
でこぼこしているものが、魅力になったり、個性になったりする。
欠点も悪い癖も全て飲み込んで、その中の伸びる部分を見つけ、そこに時間や労力を投下する方法が効果的、ということでした。
欠点の中の伸びる部分を見つけるのは、思考や視点の転換を求められると思いますが、やりがいのあることだと感じました。
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