
努力だけでは育たない子もいるんだよ ~子が嫌いな親が、そんなに悪いのか~
娘のリスカを初めてきいた4年前。。。わたしは、悲しかった
何に例えていいのか分からないくらい、哀しかった
あの悲しみの正体が、ず~~~と分からなかった
今年の秋ごろ、娘のくちから「4人の人格が居る」と聞いたとき。。。
わたしは、攻撃されている と感じた
何でだろう?
とうとう、わたしは気が狂ったのか?
姿かたちもわたしにソックリな、わたしの娘
反対を押し切って産んだ娘
自分の人生を投げうって育てた娘
そんな命よりも大切な娘が、わたしを攻撃などするはずがない!!
どうして、そう思う???
もはや、わたしの頭がおかしいんだ・・・
何をやっても『実感のない』日常生活が1か月近く続いた
起きない毎朝!
勉強をしない毎日!!
スマホだの
イラストだの。。。
もはや、拷問だ
ある朝、当り前の顔で寝ている娘をみてクールに思った
あの時、
本当に殴る蹴るをしておけば
今こんなにも苦しまなかったんだろうな。。。。と、
昭和の子育ては、『暴力』なんて親の懲戒権として当たり前だった
怖かったけど、普通だった
親の言うとおりに従うことが当たり前だった
でも、わたしはそんな親子関係は嫌だった
わたしの親は『理想の親』を演じていた
大人になって【親もただの人間】と感じた時に
「情けない人だな~」とガッカリした
なぜ?本当の自分でわたしに接することをしなかったのだろう
どんなに、無様でもカッコ悪くても、誠の姿で接することができない程、
おそらく、自分に自信が無いのか。。
と哀れに思った
わたしは、そんな親になりたくない!!
だから、弱音も吐いたし
意見も聞いたし
調子に乗った吹聴もした
娘の前では、安心して自分でいられた
なぜなら、わたしは娘に愛されている自信があったから
わたしは、娘の必要とされている自信があったから
だけど。。。。
娘は、わたしの苦しみなんてどこ吹く風で自堕落な生活をしている
わたしが、尻拭いをすることが当たり前の顔をして寝ている顔が
憎らしかった
大事に育てても、
「殴る蹴るの暴行を受けて逃げてきました」って交番でウソを平気で言うんだよね
ウソでも、子どもは信じられて保護されて
やってないわたしは、咎められたよね
話しは前後するけどさ・・・
ど~せ。やったことになってるんだったら、やっても問題ないよね
気持ち良さそうに8時過ぎでも寝ている娘を蹴ってみた
わたしは、罪悪感を感じるのか?
人間って、理性の一線を越えたらどうなるんだろう?
夫も、娘も、『わたしの思う理性』をガッツリ超えている
だけど、のうのうと生きてるよね
一線を越えたら、人生やり直せないと思って57年生きて来たけど
夫も娘も平気で生きてるよね。。。。
冷静に頭の中ではそう考えていた
結果
蹴っても娘は平気で寝ていた
答えは出た
別に相手は何も感じないんだ
わたしの、我慢や努力は無意味だったんだ。。。
へ~~
あれから、1カ月弱が経って気づけたこと
人って、誰かを嫌いになるけれど。。。
「わたしはあの人が、嫌い」って認めることには
とてつもない勇気がいる
口にするには
大変重い覚悟がいる
子が親が嫌いというのも、なかなかのハードルだけど
その逆は。。。。黒部ダムの壁くらい高いと思うよ
だけどさ、、、、
そこを超えなきゃ 生きていけない人も居るんだよね
人間のできる事じゃない と言われても
成さなきゃ生きていけない人も いるんだよ
自分の見えてる景色が全てじゃないし
きれいな景色だけが、尊いわけじゃないんだよね
わたしは、そのことに気づくのに57年もかかったよ。。。。