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育児が成功する要素は ①育て手 ②育ち手 ③共同体 先ずは、『根っこの育て手』から育もう!

今日も娘は 無断欠席だったようです

プライバシーが混み入って来ましたので、有料にしてみます
途中で切れますが、よろしくお願いします

担任の先生が、朝の7時半にお父さんのスマホに電話しても出ない・・・💦
朝学活開始まで10分おきに電話してくれたそうです

先生が職員室にいない授業中の9時過ぎに、伝言を残す
「子どもの朝ごはんを食べさせていたから、電話に出れませんでした

あ~ぁ。ゆっくりだけど、悪化してる

中三の朝ごはんを食べさせる。。。1時間半もかけて????
そもそも、中三はご飯を介添えするの????

ってかさ。。。

本論そこじゃないんだよね~

2カ月前までのわたしだったら、発狂したかのように取り乱していたと思う



今は・・・・違う

まずは、苦しみが消えたことが大きい
次に、理屈を理解できたことがある


ずっと、モヤモヤしていたことがある

それは、
同じ親が
同じ環境で
同じようなDNAの子を
育てたのに
なぜに? 

結果は、こんなにも違う人格に育つのか?

 ということ

まずは、『育て手』の問題がある
現代はほぼ、生みの親が育てるわけだけど
同じ一人の人間でも、いくつもの面(人格)を持っているのが普通
という事に、わたしは気が付かなかった

子どもの感情欲求には、5つあって

  1. 守られたい・安心したい・愛されたい・理解されたい・自分と他者を信頼したい

  2. 自分に自信を持ちたい・上手にできるようになりたい・物事にチャレンジしたい

  3. 自分の欲求、感情、意思を優先に大事にしたい・それらを他者に大事にして欲しい

  4. のびのび暮らしたい・人生を楽しみたい

  5. ルールを守りたい・自分も他者も権利を大事に平等にしたい

           参考文献:『セルフケアの道具箱』伊藤絵美著
まぁ、確かに

これがある子どもは健全

だと思います

だけど、そうは通してくれないのが人の道で・・・・😿


生徒たちを見ていても思うんだけど

①休み時間に、終わっていない課題を「これから、どうするんですか?」と訊きにくる子がいる(物事にチャレンジしたい)
②「それは、こーで。あーで。ここで(教卓の上)やってていいよ。見てるから」と場所を空けると、嬉しそうに笑ってる(自分と他者を信頼したい)

③それに気づいた他の生徒たちが、集まってくる(自分の欲求、感情、意思を優先に大事にしたい)

④先に来た子や、並んで待っている子の脇をと通り
わたし(先生)の肩越しに「これで良いんだよね」と言ってくる(のびのび暮らしたい)

⑤最初の子が、雑踏に埋もれる。。。。

これって・・・・普通ですよね
たった数十人のクラスでも、社会階級(カースト)があるのです

子どもの世界も、大人の世界の縮図であることが ふ・つ・う

 です

ここからが、分かれ道で
⑥「横入りすんなよ」と言える最初の子もいれば
⑥’「並んでんだよ」(自分も他者も権利を大事に平等にしたい)と言える子もいるし
いろいろです

そこを仕切る教師も いろいろな人格者が いるわけです
もはや繰り合わせは無限大で、かつ、受け止める生徒の感性も∞なのです

何の 矛盾も 傷も 受けずに大人に なれるものなのでしょうか?

わたしは、なれませんでした

小学校の時の横入りを注意してくれなかった担任Aのことを
2カ月前まで、恨めしく思っていました

やってもいない悪戯を、わたしのせいだと決めつけて
「どうして、素直に謝れない!」と皆の前で叱責した教科担当Bのことを
2カ月前まで、呪いたく思っていました

だけど、小学生のわたしも
中学生のわたしも、当時は泣き寝入りを受け入れました

その後、何十年も「あ~言ってやればよかったのに、どうして言わなかったの!」

自分で自分を責めながら大人になりました

責められ続けたわたしのインナーチャイルドは、何十年も刺されまくっています

攻撃し続けているのは、大人になったわたしです

そのわたしが、我が子の育て手を担っているわけです

そりゃ~~~ねぇ

娘には、痛い思いをたくさんしたと

1が月前くらいから 猛省をしているところです



同時に、わたし自身の多重人格が生まれたメカニズムも理解しました

矛盾 や 葛藤を 抱える心は苦しいです

ましてや、人生経験の少ない幼少期であれば
もはや策が無いわけです

最もシンプルな解決策は、矛盾や葛藤を分割してしまう事です

わたしを例で言えば・・・
A先生に対して、
「お前に正義は無いのか!! 
だったら、教師の資格なんてね~な!! ボケ!!」

怒鳴るわたし

泣き寝入りして枕を濡らす わたしに
ハッキリ別れたら・・・楽です( ´艸`)


B先生に対して、
「やってもいない事に、謝るわけね~だろうが!」教卓を蹴り倒し
別室指導でしこたま怒られ、結局は謝罪するわたし

泣き寝入りして枕を濡らす わたしに
ハッキリ別れたら・・・そりゃ~明解です( ´艸`)


わたしのように
明確に分裂するまでの 潔さもなく・・・・
かと言って、
妄想上で 先生をボコボコにして憂さ晴らしをする 爽やかなもなく・・・・

幼いやっちゃん(わたしのインナーチャイルド)にだけ
責めを負わせ続けたわたしが、育て手となると

歪が生まれるのは、もはや必然だったと感じました
「やっちゃんは、哀しかったんだね」
「やっちゃんは、悔しかったんだね」
「A先生のことを、やっちゃんは どお思ってるの?」
「B先生を、やっちゃんは どおしたい?」

などと、対話をするようになりました
ただし「ごめんね」は言ってはいけないと わたし思います
このお話は、コメント欄にでも。。。

残りは、ほぼほぼ まとめです
もし良かったら、ご購入くださると嬉しいです
よろしくお願いしま~す( ´艸`)

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