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孤独といっしょ

わたしの人生はわたしにしか生きられないので、ちょっとしんどいから誰か代わりによろしくというわけにはいかない。

根本的にわたしは生きていることそのものが苦痛なので、
生きている限りはずっとこの苦しみとともにあるのだろう。
病める時も病める時も病める時も(健やかであるときはない)、
ずっとそばにいる苦痛と孤独が、
当たり前の顔してそのへんに座っているのだ。

メンタル疾患もあるし、婦人科の病気もあるし、ASD気質もあるし、対人恐怖もあるし、山盛りすぎやしないか。
どれかいっこ誰かにあげるよ。

中止してた抗不安薬を再開したらかなり楽になってきた。
上からぐぐっと押しつぶされるような感じが軽くなった。
ふとした瞬間に「もうだめだ、すべてを間違えたのだ、終わりにするべきだ」みたいに思うのがちょっと減った。

とはいえ、わたしは自分の人生を肯定できないでいる。
人とうまく話せず、自ら孤立しておいて、
仲間外れにされるとひどく傷つく弱い自分も嫌だ。
生まれ育った環境も嫌いだ。
母親の監視下で息苦しく育ちたくなかった。
学級崩壊していない学校で、ちゃんと勉強を教えてもらいたかった。
現在の環境も嫌いだ。
こんな狭い部屋で暮らしてしたくもない仕事をして生きていかなきゃならない、この現状も耐え難い。

そのくせ疲れ果ててしまって、現状を変えようという気力もない。

わたしは人より10年ほど成長が遅いのだ。
まったく成長しないわけではないけど、遅すぎるのだ。

どこをどうすればよかったのか、わからないし、
どこをどうすればいいのかもわからない。

でも、生きている意味も、存在意義もなくても生きてていいって思ってる。
それはわたし以外のだれでもそうで、
どんなにだめでも生きてていい。
誰のためにもならなくても生きてていい。
それだけはわかるんだ。



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