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先が分からない不安と楽しさ〜『冬に子供が生まれる』読書感想文


佐藤正午さんといえば『月の満ち欠け』の人。それくらいのことしか知らない。

本屋さんで見かけてタイトルと表紙絵に惹かれた。そういえばフォローしているnoterさんが佐藤さんの大ファンで、これが発売されることを喜んでいた。何しろ7年ぶりの新作なのだ。

『冬に子供が生まれる』/佐藤正午

その年の七月、丸田君はスマホに奇妙なメッセージを受け取った。
現実に起こりうるはずのない言い掛かりのような予言で、彼にはまったく身におぼえがなかった。送信者名は不明、090から始まる電話番号だけが表示されている。
彼が目にしたのはこんな一文だった。

今年の冬、彼女はおまえの子供を産む

これは未来の予言。
起こりうるはずのない未来の予言。
だがこれは、まったく身におぼえのない予言とは言い切れないかもしれない。
これまで三十八年の人生の、どの時代かの場面に、「彼女」と呼ぶにふさわしい人物がいるのかもしれない。
そもそも、だれが何の目的でこの予言めいたメッセージを送ってきたのか。
丸田君は、過去の記憶の断片がむこうから迫ってくるのを感じていた──。

三十年前にかわした密かな約束、
二十年前に山道で起きた事故、
不可解な最期を遂げた旧友……

平凡な人生なんていったいどこにあるんだろう。
『月の満ち欠け』から七年、かつてない感情に心が打ち震える新たな代表作が誕生。読む者の人生までもさらけ出される、究極の直木賞受賞第一作!

小学館HPより


タイトルと表紙絵、このどちらかが違うものだったらもっと明るい、もっと楽しい物語を想像出来たと思う。タイトルだけなら、生まれてくる子どものことを待ち望んでいる夫婦の話とか?この表紙の絵に楽しそうなタイトルが付いていたなら、少年たちの夏休みの思い出話だったかも知れない。


でも違う。このタイトルとこの表紙絵の組み合わせで、それらは途端に不穏な空気を醸し始める。読む前からこの物語の世界観に引き込まれていたのだ。
そもそも物語の語り手は誰なのか?章ごとに語り手が代わっているように思っていたが途中で語り手の正体が明かされる。意外な人物と言っていいだろう。何故その人が語り手なのか。その理由も分かってくる。


不思議な話だった。そういえば佐藤正午さんという人は、『月の満ち欠け』でも“生まれ変わり”がテーマだった。しかも、何度も生まれ変わって、最後にやっと会いたかった人に会える、そんな話だ。生まれ変わるということは人生が再度0歳から始まるわけで、ものごころ付いたころから自分の使命というか、何のために生まれたのか意識しているわけで、そこから会いたい人に会いに行くまでの時間を考えるとそれだけで気が遠くなる。長いスタンスで目的を達成するドラマ『ブラッシュアップライフ』みたいに、だ。
佐藤さんの書かれる物語には不思議要素が不可欠なのかも知れない。今回のテーマは生まれ変わりではなく、魂の“入れ替わり”。しかもそれが、幼い時に見たUFOに関連しているらしいことを読者は感じ始める。それは、それというのは実際に何が起きて何がどう変化してしまったのか、しなかったのか?それを語り手である人物が、自分が経験したことや人づてに聞いたことや自分が知っていることから、自分なりに組み立てた想像というカタチで示される。私たちはそこで答え合わせをする。だけど実際に何があり今も何が起きているのか、続いているのか、どこまでが真実なのか、本当のところは何も分からずに終わる。


テレビで見たことがある。何度も異星人に連れさられた経験がある人、以後も宇宙からのメッセージを受け取り続けている人、体に何かを埋め込まれた人、カメラに捉えられた異星人らしき姿、‥信じるか信じないかはアナタ次第ですっていう類いのやつ。例えば宇宙からのメッセージを受け取る役目を担わされたらその人の人生はそれまでのとは一転しただろうことは想像に難くない。
マルユウとマルセイにもそれが起こったのだろうと想像する。本人たちが認めなくてもきっとそうなんだろうと信じてしまう。小説なのにまるで実際に起こったことを「これはそういうことだったのではないか?」と提示され「確かに、私もそんな気がしてました」と肯定するような、そんな感覚になる。不思議な体験。
そうか、語り手が事実と想像を積み重ね少しずつ真実と信じたいストーリーを構築していく、その過程が私の読書体験そのものだったのだ。

とまあ、不思議な話へと感想を寄せているが、これは夫婦の話でもある。登場人物の一人が語る夫婦論に共感した。

大事な話をすることが夫婦の大事だと思うでしょう。でもそうじゃない。いちばん大事なのは、小さくて平凡な話をすること。何年も何十年も、まずに小さな話を続けること。(中略)きみにできるのは、せいいっぱい長生きして、真秀(妻)の話を聞くこと、そして自分も話すこと、平凡で小さな話を、来る日も来る日も。

そうなんだよな。うちのちゃまが病気をしてから、それは頭の病気だったためにそれ以降なんとなく、なんてことのない雑談みたいなことが難しくなった。私が職場での出来事や同僚のことを面白おかしく話したくても途中で「その人のこと知らんからわからん」みたいに会話を中断されてしまう。だからたまに「へぇ、そうなん」「その人、可笑しいな」などと言いながら聞いてもらえると私のほうが嬉しくなってどんどん話を盛ってまでその会話を続けていたいと思ってしまう。
だからすごく分かる。

それともう一つ、その人がその人である証明は何なのか、どこなのか?を考えた。私自身もnoteでちょっとそんな疑問を投げかけたことがあった。この文章を書いている私が、本人かどうかって証明が難しい、みたいな話。その時いくつものコメントで、私の文章には私らしさがあると言われてとても嬉しかった。ハッキリしたカタチがなくてもその人らしさ、その人がその人だという確証は、顔や職業ではなく、それを見極める側が抱いているその人の印象とかちょっとした思い出とか、そういうものと照らし合わせればきっと気づけるんだ。なんだかホッとした。

UFOだの入れ替わりだの一見オカルトチックな小説だけど、読み終えてみるとそれでも家族は良いな、友達は良いなと、日常の、普通の幸せに心が暖かくなるような一冊だった。


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