ちょっと口角上げてみる
仕事をしていて時々思うことがある。
私って必要とされてないんじゃない?
例えば、新任の方と「はじめまして」の挨拶をする時にはこう言っておく。
“何か分からないことがあれば聞いてくださいね。
私が直接そのことをわからなくても、誰に聞けば良いかは分かりますから”
と。で、しばらくの間は気をつけて見ている。困ってる様子なら声をかけて、私で出来ることなら一緒に解決するし、私では役不足な時は解決してくれそうな人を一緒に探す。請け負ってくれる人が見つかれば私の役目は終わり。そんなことを何度か繰り返し、「私はここにいますよ」「私に聞いてくださいよ」とアピールしているのに、何かを尋ねられることは意外に少ない。私に尋ねなくても解決出来ているかというとそうでもなくて、わからない人同士で「ああかな、こうかな」と仕事が停滞している人を見かける。
あぁ、私に聞いてくれれば‥
そう思うけど、もう私からは声をかけない。何故なら、私では埒があかないであろうことをその人は察して、わざわざ私の手を煩わさなくてもいいと思っていることが分かっているからだ。
それでもどこか淋しい。そう分かっていてもちょっと声をかけてくれたら一緒に悩むのになぁ、と思っている。そうやって一緒に悩んだりすることが人間関係をより近づけると思うから。
もっと言うと、私が役に立つかどうかなんて関係なく、私は誰かとどうでもいい話をしたいのだ。私と話したいと思ってもらいたいのだ。結局はそれなのだ。
私に出来ることはないのか?自分のことを客観的に見てみる。そういえば若い頃から、何故か私の第一印象は“とっつきにくい“冷たそう”、“怖い”と言われたもんだった。自分ではいくら愛想良くしているつもりでも、私のことをよく知らない人から見ると、私は話しかけづらい人のようだ。何が悪い?
あ、そっか、顔だ。私ってわりと「スンッ」ってしてる。それは自分でもわかっている。スンッてしてたら話しかけづらいよね。うん、分かる。
少し前に同年代の人と、歳とって眉間の皺が深くなったって話になった。気づくと眉間に皺寄せてるんだよなぁって。じゃあどうするのが良いかなって話してて、「そうだ、口角を上げたらどうかな」って結論に至ったのだった。やってみると眉間に皺を寄せて口角上げるのって、わりと難しいのだ。口角上げたら眉間に皺を寄せにくいことがわかった。それで、
私たち、微笑み菩薩になろう!
って話してたんだった。そうだ、そうだ、微笑みだ。
そう思って、今年の夏くらいからできるだけ口角を上げている。あらためて気づいたのは、私って本当に「スンッ」って、真顔なことが多いんだってこと。
そんなある日のこと。
今年の春から同僚となった若い女性が私のデスクにやって来た。
「あの、ホントにどうでもいいことなんですけど相談したいことがあって」と切り出され、何事かと構える。「うちのアパートの下水管が臭うんですよ。それでネットで調べたらそういう時に入れる液体薬を売ってるって書いてあってそれを買おうと思ってたら、昨日の夜になって今度はエアコンの管からカン、カンって音がして‥下水管に薬を入れることでそれがエアコンに悪影響を及ぼしたらそれは困るし、こういう時どうしたらいいですかねぇ?私、こういうの初めてで」
あ‥うん。ホントどうでもいい相談だし、てか、何でそれを私に聞こうと思った?私がベテラン主婦だから何でも知ってると思った?アパート暮らししたことないから分からないよ‥
と心の中では思ったけれど、薬を入れても大丈夫だと思うよ。多分エアコンの管と台所の下水管は別物だし、高いところのエアコンの管に、低いところから入れた薬は上がっていかないのでは?
私の精一杯の答えだ。
「ですよね、じゃまずは、薬を買えって話ですよね」
「うん、そうだね。」
「ありがとうございました」
あ、いえいえ、そんな‥何か役に立てたのだろうか?疑問だが納得はいったようだ。ならば、ま、いっか。
というよりも、私は単純に嬉しかったのだ。こんな、ホントにしょうもないことだけど、彼女は本気で困っていて悩んでいて、誰に相談しようかってなった時に私のことを思ってくれた。そういう、しょうもない話題でああだこうだ言うのが私はやりたかったんだから。
口角上げといたおかげだろうか?その後、彼女がどうしたか知らない。特に報告もないし、私からも聞かない。聞けば良いのだけど、なんとなくタイミングを逃してしまった。その後彼女から雑談をしかけられたこともまだない。それでも私は、勝手に彼女との距離を縮めた気でいた。
それからしばらく経ったある日。件の彼女がまた私のデスクにコソコソやって来た。そして小さな声で、「あの、これ高知のお土産なんです。よかったらどうぞ。」と差し出された手の中には焼き菓子が一つ。そういえば彼女は高知県出身だ。
「里帰りしてたの?」と尋ねると、「いえ、父がこっちに来てて」高知のお土産というのは、お父さんの手土産だったようだ。
「父が皆さんにあげなさいって持って来てくれたけど、数が全然足らなくて。だから皆さんには配れなくて」
「え、それを私がいただいていいの?」
「もちろんですっ」
焼き菓子がいくつあったのか知らない。皆に配るだけの数は無かったというが、少し足りないだけだったのかも知れない。何人がもらって何人がもらえなったのかは分からない。
分からないけれど、私は嬉しかったのだ。足りないからあげなくていいや、のほうじゃなくて、あげようと思ってくれたほうに入れてもらえたことが嬉しかった。距離は私からだけじゃなく、彼女のほうからも縮めてくれていたのかも知れない。
おばちゃんは単純なんだよ。
こんなことで喜ぶんだもの。
そして私は、こんなことで喜んでいる自分のことが嫌いじゃない。