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31文字に託す


私の学校では週に一度クラブ活動の時間があった。確か水曜日の5限だった。基本は自分の入りたいクラブに入るのだが、希望者が多いクラブは第2希望に回されることもある。ある年、私がまわされたのは短歌クラブだった。仲良くしていた子が短歌クラブを担当する国語の先生のことが好きで、「一緒に入ってくれない?」と頼まれたが、私にも好きな先生はいて、その先生はバスケットボールクラブの担当だったから、私はそっちを第1希望にした。先生に「絶対入れてください」と直談判していたし、先生も「希望したクラブに入れるから大丈夫」と言ってくれたので、絶対第1希望に入れると思っていた。だから第2希望なんて何でもよかった。ふと、友達のことを思い出して第2希望を短歌クラブにしてしまった。それがいけなかった。

先生に直談判で安堵した悔やみきれない水曜の午後


短歌クラブに入ったのは4人。私と友達と、あと2人は真面目な優等生。きっと学年全員の中で、第1、第2、もしかすると第3希望まであったかもしれないが、とにかく第何希望であろうと短歌クラブを選択したのは4人しかいなかったのではないかと思っている。圧倒的に人気がなかった。クラブ活動の時間なんて遊べる時間だ。何が悲しくて短歌なんて、と思ったがもう遅い。書いてしまった私が悪い。自業自得。しかも、友達はちょっとヤンチャでよく学校を休む。クラブ活動のある日に限って休んだりする。そうなると、クラブの顔触れは3人。私は他の2人とは話すこともあまりなくて、一人ぼっちのことが多かった。友達に「クラブの日、休まないでよ。私、一人じゃ嫌なんだけど」と何回も言った。友達はごめん、ごめんと言っていたが、何故休むかはわかっていた。毎週クラブの日に一人一首ずつ短歌を作っていかなくてはいけない。それをみんなの前で発表して、先生から講評してもらう。友達はそれが面倒くさかったのだ。

何故君はクラブ活動休むのか元はと言えば君が誘った


私だって面倒くさい。短歌なんて知らないし、みんなに見られるのも嫌だ。でも、そんなことで学校を休んだりするというのは私の選択肢にはなかった。だから、自分を呪いながはも仕方なく毎週作って行った。
優しい先生だったからけなしたりはしない。でもどう考えても下手くそな短歌を晒されるのが嫌だった。優等生たちはそれなりに素敵な短歌を持ってきた。比べられてるみたいで、時々「今週はできませんでした」なんて誤魔化したりしながらなんとかやり過ごす。
そんなある日、私の作った短歌を、先生がめちゃめちゃ褒めてくれた。すごく良いと言ってくれた。先生は、社会人の短歌の会にも所属していて、このまま頑張って続けて、いずれその会にも来てみたらいい、とまで言ってくれた。その短歌は確かこんな感じだった。

人混みに見つけし友の男友達と歩く背中に声かけられず


友達が彼氏と楽しそうに歩いているのを見かけて、何となく気後れして声がかけられなかったという、ちょっと甘酸っぱい乙女心を読んだ。いや違う。当時はそんなことを考えて読んだりしていない。ただただ、思い付いたネタを短歌の31文字になんとかおさめる、そういう作業だった。だけどそれからちょっとだけ短歌が好きになった。あんなに褒められたのは後にも先にもあの一首だけだったけど。


俵万智さんの『サラダ記念日』がベストセラーになったのは、それから何年か後のこと。私もあのまま短歌を作り続けていたら、もしかすると第2の俵万智になれたかも?

継続し腕磨いたら今頃は初の歌集は“みとん記念日”


そんなわけないか。(しかもパクリ)



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