見出し画像

言葉は見えるという発見


この3ヶ月、下書きを書いては放置、書いては放置を繰り返していた。その理由は、好きすぎて書きたいことがありすぎて、まとまらなくて記事が長すぎちゃって、どうやってまとめようかと思いながら一週間過ぎたらまたもっと書きたいことが増えるの繰り返し。でもやっぱりどうしても振り返っておきたい。


『silent』


毎回観終えたタイミングで同じことを思う。こんなに話が進まないドラマなのに間延びしないのが不思議だ。例えば伝説の第5話。4話の最後で湊斗から別れを切り出された紬。普通のドラマだと、紬はこれで湊斗という足枷が無くなって想への気持ちに素直になれてまっしぐら、ってとこだけど、silentではそうはならなかった。むしろ紬は想を「顔を見るのが辛い」と遠ざけ、湊斗への気持ちを少しずつ諦めて立ち直っていく回。1時間をそれに費やした。観ている私たちは紬と想が結ばれるであろうことになんの疑いもなく、そこを丁寧に描くことに意味があるのか?と思っていたが、この贅沢な1時間の使い方がとてもドラマらしい作り方だと思えた。ドラマって1時間✖️回数(silentは11回)で、映画よりも長い尺で描けるのだから、描きたいことを丁寧に積み重ねていける時間の余裕がある。そしてその1時間を使って、私たちの安易な予想を裏切って紬はちゃんと湊斗のことが好きだったということが描かれた。だから、別れても友達に戻って心配したり応援したり出来る同士になれたのを、観ている私たちも普通に受け入れることが出来た。そういう1時間の使い方を私たちは知らなかっただけだった。

春尾と奈々の1時間も、あれがあったから最終回の「(春尾と)うまくいかなかったのは聾者と健常者だっからじゃない」という奈々のセリフが説得力を増す。

最終回の落としどころに向かって“新章”だ、“直前スペシャル”だと盛り上げることもせず、silentはずーっと通常運転のまま、静か。この静かさこそが心を清らかに凪いでくれるような気さえしてきた。


ありがとうの使い回し

とか

好きな人が言う「可愛い」は最強

とか

「パンダ スペース 落ちる」で検索してみて。可愛いの出て来るから。それ観て待ってて

とか。

忘れられないセリフもいっぱいあったし、親友・真子ちゃんとのシーンも好きだった。あと、これは年齢的なことなのか、私は篠原涼子さんや森口瑤子さんのセリフに子を持つ母親の想いを共有出来て、泣いた。

言葉じゃ伝えきれない想いを物に託すのよ

とか

何かを楽しむことより、何かに傷付かないことを優先して欲しかったの。でも楽しそうなの見るのが、結局やっぱりほっとする。楽しそうでよかった。

とか。


若い脚本家さんが、親の言葉や想いをちゃんと汲み取って、親が子に伝えたいことをちゃんとセリフにしてくれた、そのことが嬉しかった。


言葉は見える。

そういえば、想がノートの1ページに自分の気持ちを一文ずつ書いて、順にめくって紬に読ませるシーンがあった。紬の読むスピードや理解したかどうか顔を見ながら次のページに進む。最終回ではポストイットや黒板、あるいはかすみ草が登場人物の手から手へと渡り繋がっていくことで、言葉は見えるということを表現した。あの時急いでかすみ草の花言葉を調べた人も多かったはず。“幸せ”のおすそ分け。私たち視聴者もおすそ分けにあずかった。高校時代と現在、変わったことと変わってないこと。言葉が聞こえていても聞こえていなくても、伝えたいことを伝えようとすれば、諦めなければ伝わる。


言葉は見える。

初回に『言葉』についての作文を全校生徒の前で読んだ想と、その声や内容に好意を持った紬、一方的だと思っていたのが実はその時から互いを意識していたことが最終回で明かされる。毎回描かれた過去と現在の繋がり、そしてドラマ全話を通しての繋がり。そこまで考えられてそれぞれが配置されていたのだとわかると、脚本の妙ということに感動する。


“〇〇ロス”という言葉がある。当然『silentロス』を唱える人たちは多いはず。でも私の気持ちはそれとはなんとなく違っていて、それは、最終回のラストに紬と想の幸福や未来が見えて、2人の幸せが私の幸せ、みたいな。私も『紬を幸せにし隊』に入っちゃってるようなそんな気持ちで。だからロスしない。紬や想や、湊斗や真子ちゃんや光や萌、お父さんもお母さんも、奈々ちゃんも春尾も、皆みんな知ってる人みたいな気がしてて、ドラマが終わっても何処かでちゃんと生きてるような気がしてて、それこそが丁寧に描いてきたドラマだったからこその成果。だからもう、それだけで幸せなのだ。


何はともあれ、とても良いドラマに出会えたこと自体が幸せ、そしてこの記事をを書くことで私も誰かに幸せをおすそ分けしたい気分なのさ。





いいなと思ったら応援しよう!