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外向けのプロフィールには載せてない事 Part 4

お待たせしました。パート4。1999年1月、南ミシシッピ大学留学中に心あるアドバイザーのおかげでメキシコのユカタン大学に交換留学することになったわけですが、メキシコに出発する1ヶ月前に全く予想できなかったドラマチックなハプニングに見舞われます。(ここから読んだ人はパート3でおさらいしましょう!あ、最初から読んでくださいね。)

あれは忘れもしない1998年秋(←かなり曖昧)。大学3年生になってようやく授業にも普通についていけるようになった頃でした。キャンパス生活も3年も経つと友達もたくさん出来、広大なキャンパスの至る所で授業とバイトの過密なスケジュールの合間にクラスメイトや友人と世間話をしたり、挨拶したりと忙しいながらも楽しい日々を過ごしていました。

そんな中、毎日必ず立ち寄って友達と話したり、新しい友達づくりに励んだ場所がありました。そう、それは我が母校?ELI(英語集中課程)の建物の前のベンチが並んでいる広場です。何故って?それはですねー。そこには世界中からちょっと変わった面白い留学生が2ヶ月おきに新たに到着するからです。もちろん、そこには偶然綺麗なお姉さんと出会うという淡い期待も(かなり)あったりしました。

例えば、年に一度ある時期(←さて、あれは夏だったかな?覚えてない 笑)なると10数名の現役女子大生が日本女子大(通称 本女=ポンジョ)から1ヶ月の語学留学にELIに来るわけです。その時期はこのELIの前には普段見かけないような輩までポンジョの女の子狙いでうろうろしていました。日本の大学に籍を置いたことのない僕にとっては、まだアメリカに染まっていないピュア?な日本の女子大生と知り合える格好のチャンスでした。こんな機会はステーキ宮のバイトの時以来なので、それはそれは素敵時間でした。でも、彼女達はせっかく仲良く慣れたとしても1ヶ月後には帰国してしまうちょっと寂しい存在でもありました。

その年もご多分に漏れず本女の1ヶ月の滞在は終わり、怒涛のような秋学期が始まりました。だんだん成績も上がってきて、相変わらず財布は空っぽでしたが精神的にはだいぶ余裕が出てきた10月ごろ、僕のELI入学からちょうど3年後に入ってきた語学留学生の中に、すらっとした体型で美しい黒髪、切れ長の優しそうな目をしたアジア人の女性がいました。あの子、日本人かな?綺麗な子だな。あれ?これってもしかして一目惚れ!? そう思って、その日から何となくELIのまえを通る度にその子がいるか探すようになりました。

翌日、ELIに通っている知り合いにその子のことを探ってもらうと、彼女は何と日本人と分かったのですが、日本人の誰とも日本語では話さず、ずっと流暢な英語で話しているらしいと教えてくれました。ストイックで真面目で綺麗でなんて素敵なんだ!ますます好きになっていきました。名前を聞いてびっくりしました!

実は当時僕は超遠距離で付き合っていたガールフレンドがいました。その子は地元に住んでいて、僕がアメリカに来る6ヶ月くらい前に付き合い始めたのでした。その子の名前と同じ名前だったのです。(漢字は違うけれどね。でも罪な男だろ〜!最低!!と思ったかもしれませんが、まぁまぁ、そこはグッと堪えて続きを読んでください。)

その翌日くらいには、知り合い伝いに近寄ってその子に初めて声をかけました。「Tさん!こんにちは。はじめまして。みつです。よろしく。日本にいる僕の彼女もTっていうんだよ。」なんてたぶん、そんな感じで話しかけたような気がします。ハッキリ言ってその時の会話の内容は舞い上がっちゃって覚えてません。その子と話が出来たことによって感情がかなり高まり、頭が真っ白になっていましたから。その後、めちゃくちゃ嬉しくて、乗っていたボロい自転車のチェーンがいつもより大きな音を立てて軋んで、僕の足の裏から全身に伝わって来る程かっ飛ばしていました。まるでどこかの青春ドラマのワンシーンのように。

こうなると、23歳独身、超遠距離恋愛中で男4人と同居中の山崎満広の頭の中はTさんの事ばーっかり考えるようになってました。。。(勉強すべきだろ!) しかーし!この秋学期も後3週間を残すばかり、そして来年1月から僕はユカタン半島での留学生活が始まることになっています。そして故郷には国際電話代が高いので月に1〜2度しか話せないガールフレンドが。。。うわー!なんてタイミングで出会ってしまったんだ!俺は罪な男だ!

それからまた数日後、Tさんと僕はキャンパスですれ違う度に挨拶を交わすようになり、会話もだんだん弾んできて、ちょっとした名前の偶然が、さらなる偶然に繋がり、彼女が小学校から高校まで茨城県で過ごしたこと、何故か共通の友達(まさかのポンジョからの留学生の一人!)がいたこと。そして極め付けは、なんとTさんにも遠距離恋愛中の彼氏が日本にいたこと。。。(あちゃー!もうダメだと思った。涙)

しかし、しかし、1日1日と時が経つにつれ、お互いの恋愛事情とは裏腹に二人はだんだん近づいていったのです。どっちから告白したかは忘れましたが(たぶん俺だろうけど。。。)二人は付き合う事になりました。初めてのデートはハティスバーグ市内の動物園。その日のために数日前から日本人の友達に頼んで車を借りて、その日の最期の授業が終わってから二人で出かけました。動物園の後は映画を見に行って、彼女の住んでいる寮の近くに車を止めて夜遅くまでいろんな事を話しました。

そんな薔薇色で僕の顔に常に笑顔が張り付いていた毎日が約3週間続き、とうとう秋学期の終わりが近づいてきました。その間、二人で海岸沿いの町Beloxiに旅行に行ったこともありました。限られた時間の中で精一杯思い出をつくろうとしたのでしょう。そしてその時、二人はある決意をしたのでした。秋学期が終わったら二人で一時帰国して、日本のお互いの相手に正直な今の気持ちと状況を伝えて別れを告げよう。そして翌年の秋、つまり僕がメキシコから戻るタイミングにあわせて、彼女は大学に入学してまたあのキャンパスで会おうと。。。(いや〜、いつもは心待ちにしている久しぶりの一時帰国ですが、この時ばかりはバンジージャンプの直前くらい気が重かったですよ。)

そんなこんなで、二人は無事一時帰国中にの日本の彼氏・彼女とは別れまして、正式にお付き合いを始めました。。。が。僕がメキシコにいる間、彼女は日本という、距離でいうと約12,000kmのさらなる超長距離恋愛を約9ヶ月くらいしなきゃいけなかったわけです。

しかもメキシコではまだインターネットなんて普及してなかったので、1時間500円くらいする(地元民にはすごく高い)ネットカフェまがいの場所に行くか、大学のコンピューターでメールを見るくらいしか出来なくて、しかも!日本からのTさんからの手紙や小包は酷い時だと2〜3ヶ月くらいかかって到着してたので、それはそれはチャレンジングな時期でもありました。

あれからいろいろありましたが、それからTさんとミシシッピで僕の大学院の2年間一緒に暮らして、その後僕の就職と彼女の卒業と帰国のタイミングで、また2年半くらい離れ離れに(これも約11,000km)。その後、僕が転職してテキサスに引っ越したころ、彼女はワシントン州の大学院に入学。同じ国にいるにもかかわらず距離は縮まったと言っても2150kmの長距離プラス2時間の時差という状況がまた2年ほど続くんです。。。

とまあ、それはそれは長ーい間遠距離恋愛だったわけです。でね、やっぱり僕若かったし、今よりもかなり自分勝手だったので、途中いろいろありまして。。。そして最後は僕に新しい彼女が出来てしまい。。。Tさんにさようならを言わなくてはなりませんでした。(また浮気かよ!!) 人生いろいろありますね。。。本当にゴメンなさい。。。涙

そしてその悲しいお別れから10数年の時が経ち、今僕が世田谷区の家のリビングでこの記事を書いている側で、静かに寝息を立てて寝ている女性。そう僕の最愛なる奥さん。日々大変だけど外出自粛中でも家族4人で楽しく生活できているのは、本当にこの人のおかげ。まさか1998年にミシシッピの大学のキャンパスで出会ったあの美女Tさんと結婚して元気な二人の子供を授かって東京で暮らすようになるとは夢にも思いわなかったな。人生どう転がるかわからないもんですね!

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次こそはユカタンでの留学体験を書きますよ。(本当か?笑 いつまで引っ張る気だ!)

つづく。


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