Mitsu Yamazaki サステナブル都市計画家

高校卒業後、1995年に渡米。サンアントニオやポートランドで持続可能な都市開発に携わる。2019年に帰国し、これまでのノウハウを用い、日本各地で新規事業や都市開発プロジェクトなどに参画。国や文化の枠を超え、民学産官を繋ぎ、クリエイティブでサステナブルな都市経営支援を行なっている。

Mitsu Yamazaki サステナブル都市計画家

高校卒業後、1995年に渡米。サンアントニオやポートランドで持続可能な都市開発に携わる。2019年に帰国し、これまでのノウハウを用い、日本各地で新規事業や都市開発プロジェクトなどに参画。国や文化の枠を超え、民学産官を繋ぎ、クリエイティブでサステナブルな都市経営支援を行なっている。

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僕の経歴

1975年 6月6日、東京都北区赤羽に生まれる。幼少期から20歳まで茨城県水戸市と勝田市で過ごす。6歳の時に両親が離婚し母と兄と3人の母子家庭で育つ。 小学校ではサッカー。中学でバレーボールにハマり、かなり文系の傾向があるにもかかわらずバレーボール部の推薦で(受験回避のために)県立の工業高校へ入学。 1993〜1995年 大学受験、就職に失敗。 3つのアルバイトを掛け持ちし、留学資金を貯める。 1995年 渡米 。サザンミシシッピ大学付属のEnglish Langua

    • 「持続可能な未来への一歩:社名変更のお知らせ」

      みなさん、ご無沙汰してます。 2024年度が始まりましたが、如何お過ごしですか?  僕の方はというと2017年に独立してから7年越しの願いが叶って、自分の会社の株式会社化、社名変更、そしてそれに伴うウェブサイトやSNS周りの刷新を済ませ、今朝ローンチさせて頂きました。 新年度に入り、新しい(優秀な!)メンバーも加わり新体制で今まで通りのまちづくり、都市デザイン、都市開発に関するアドバイザリー、計画策定などに加えて、今後は日本企業の海外進出や外国企業の日本進出、そして「やっ

      • 都会も地方も「似ている建物」で溢れている危機感世界イチ住みたい街に携わる専門家の提言

        • 人口65万人「世界イチ住みたい街」に日本が学ぶ事過疎化に悩む日本の地方の街づくりのヒントに

          都市計画家・山崎満広さんに訊く!「明るいまちづくり相談室」第2回:地方に若い人たちを呼び込むには、どうしたらいいですか?

          #ソトコト

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          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 5 メキシコ留学編 Vol.3

          マヤの村に課題実習へ! はい。今回はメキシコ留学時代に僕が一番感動した食べ物について書こうと思います。 さて、メリダ市の中心地ではすっかり有名?になった「el chino」(僕)ですが、スペイン語の本場スペインではなくメキシコに留学を決意したのは、ただ単にメキシコの方が生活費が安いというだけではなかったのです。もう一つの大切な理由は、約1200年前に栄えたマヤ文明について学んでみたかったのでした。 小学生の頃、よくテレビで「世界ふしぎ発見!」という番組を見ていて、アメリカ大

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          山﨑満広の『ローカル都市経営学講座』開催決定!

          すっかり秋の陽気ですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。 ぼくは相変わらずいろいろな事にチャレンジし続けています。その中でも一番丁寧に時間をかけてやっているのが、クリエイティブで持続可能な地域経済開発の実践と教育です。 以前から、いろんな方々からのご要望もあり企画しまして、ようやく来月から5回にわたって『ローカル都市経営学講座』を開催させて頂く事になりました。 定員10名のオンライン講座です。詳しくは下記リンクから。 周りに興味ある方がいたらリンクのシェアをお願いします。よ

          山﨑満広の『ローカル都市経営学講座』開催決定!

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 5 メキシコ留学編 Vol.2

          メリダの有名人はまさかの。。。 僕は今でもあの驚きを忘れない。 そう。あれはメリダのぼろアパートで一人暮らしを初めて2週間くらい経った頃である。ほぼほぼ空っぽの部屋と大学の往復のルーティーンにようやく慣れてきて、引越しの時にバス代を節約するために買った中古のマウンテンバイクでいつものように大学に向かう途中、ソカロ(Zócalo=街の中心にある大聖堂、市役所や州政府事務所などに囲まれた広場、メインプラザ)を通り過ぎると、いつもの雑踏とは違う聴き慣れない叫び声が聞こえてきた。

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 5 メキシコ留学編 Vol.2

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 5 メキシコ留学編 Vol.1

          いざ、メリダへ!1999年1月吉日(←もう覚えてない!笑)もちろん、今回も超格安チケットでの超長旅。成田からロサンゼルスまで行って乗り換え、その後もう一度メキシコシティ乗り換えて、そしてようやくたどり着いたユカタン半島の南部の観光地カンクンに到着。(ここまで30時間ちょい!)そこから長距離バスに乗って約4時間北上してようやくユカタン州の州都メリダに着いた。いよいよおいらのメキシコアドベンチャーの始まり! メリダのホストファミリーの家に着いた時には、茨城の実家を出てから既に4

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 5 メキシコ留学編 Vol.1

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 4

          お待たせしました。パート4。1999年1月、南ミシシッピ大学留学中に心あるアドバイザーのおかげでメキシコのユカタン大学に交換留学することになったわけですが、メキシコに出発する1ヶ月前に全く予想できなかったドラマチックなハプニングに見舞われます。(ここから読んだ人はパート3でおさらいしましょう!あ、最初から読んでくださいね。) あれは忘れもしない1998年秋(←かなり曖昧)。大学3年生になってようやく授業にも普通についていけるようになった頃でした。キャンパス生活も3年も経つと

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 4

          外向けのプロフィールには載せてない事 〜朝のルーティーン編〜

          僕は月曜から金曜までの週日は、毎朝起きたらヨガをルーティーンとしています。17分くらいの全身ストレッチの後、呼吸を整えながら3分ほどの瞑想で終わります。最後に胸の前に両手を合わせて、身の回りの物や生き物、地球にも御先祖様(←時々忘れる。笑)にも感謝の気持ちを込めて、「ナマステ」と唱えて終わります。 今日も屋根の下で暮らせること。家族が元気でいること、食べ物が食べられること、仕事があること、自分が今日一日生きられることなどなどに気持ちを込めて感謝します。 これはサンアントニ

          外向けのプロフィールには載せてない事 〜朝のルーティーン編〜

          音声配信 vol.1

          自分の居場所とオープンスペースについて。

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 1.5 〜運命の分かれ道編〜

          少し時を戻します。(話が前後しててすいません!) 僕がそもそもアメリカの大学に進学をしようと決めたきっかけが、たまたま見かけた国連軍に感銘を受けた話は7月29日に書きましたが、一つ肝心な事を書き忘れていました。 それはなぜ僕が海外に目を向けたかという事です。実はここが運命の分かれ道だったのです!(←Facebookで記事を読んでくれた長い付き合いの友達、大塚利恵ちゃんの「いいね」で思い出さされたのでした。書き忘れていてごめんなさい。) あれは僕が18歳の高校3年生の夏で

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 1.5 〜運命の分かれ道編〜

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 3.5

          あれはまだ大学入ったばかりの頃、大学の図書館が24時間ではなくて夜10時くらいになったら閉まってしまいました。 アパートに戻ると小さめの2LDKにむさいルームメイトたちが四人、各々好き勝手に電話で話したりテレビを見たりしていて、自分の個室はないので勉強するには全くもって良くない環境だった。 そんな時おいらはいつも大学の目の前にあるIHOPに入って、コーヒー1杯 (お代わりし放題で$1.50当時)を頼んで4人掛けの席に一人で陣取り教科書とノートを広げ、朝まで勉強しまくってい

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 3.5

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 3

          さてさて、ミシシッピのELI(英語集中課程)に入って6ヶ月でついに大学入学の切符を手にしました。このELIという学校、ただ単に学費が安いだけではなく、アメリカで2番目に古い英語集中課程コースで、1947年に設立以来今でも世界中から語学留学生を暖かく迎え入れているんです!(宣伝か!?裏金とかもらってないです。はい。) だから、当時のELIの同期達は今ざっと思い出せるだけでも、メキシコ、エルサルバドル(聞いたことなかった国名!)、グアテマラ、ブラジル、サウジアラビア、ヨルダン、

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 3

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 2

          さて、昨日の続きです。(長めですが。。。) 1995年10月21日に渡米するところまで話しました。二十歳の時でした。同級生たちは就職か進学して2年が経ち、自分はずっとバイトしかしてなかった劣等感を感じてました。そしてようやくたどり着いた留学でしたが、アメリカに来たからと言って生活が楽になるわけではありません。いや、その真逆。ここから就職するまでの約7年半、僕は人生で一番の貧困期を迎え、その間にこれまた多くの変わった仕事を経験します。 先ずは、時を戻そう。(ぺこぱ風) 目

          外向けのプロフィールには載せてない事 Part 2