超高齢化社会で生きていくということ。
以前つぶやいていた「PLAN75」と今読んでいる本について書く
と言っていたので、本と読み終えましたので、書いていこうと思います。
夏川草介さんの「勿忘草の咲く町で」を読んでいました。
夏川さんの「神様のカルテ」シリーズが好きで
ずっと読んでいたのですが、こちらの本にも
神様のカルテの登場人物がちらっと登場するよ。と情報をいただき
早速、図書館で予約して取り寄せました。
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現実問題、超高齢化社会になりつつある日本ですが、
その現状を見事な切り口で描いている作品です。
第二章に登場する谷崎先生の
「山のような高齢者の重みに耐えかねて悲鳴を上げている、倒壊寸前の陋屋です。倒れないためには、限られた医療資源を的確に効率よく配分しなければいけない。そのためには切り捨てなければいけない領域がある。」104頁
この言葉に、祖母を看取った病院を思い出しました。
狭い病室に10人もの患者を無理やりつめこんで、
部屋には、オムツの交換ができていない人ばかりで、
ひどい尿臭がする。その中で祖母に
「少しでも何か食べてね」とは言いつつ。
こんな病院では食べるに食べれない。と思いました。
しかし、もう祖母も89歳、看取りの時と思われたから、
この病院に運ばれてきたのかもしれません。
最期に無理やり好きだったコーラを紙コップに半分入れて
飲ませました。結局、3分の1も飲めませんでしたが、
それでも、一口飲んで、笑顔になってくれたのを思い出しました。
病院は清潔できれいなところばかりではないことを知りました。
そうやって、どこかでもう「これは看取りだ」と判断されているのかもしれません。
しかし、そうしていかなければ、若い人たちを救っていけないのが現状なのです。その難しい葛藤を、研修医の桂先生と看護師の美琴が体験していく物語です。
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これと同時期に「PLAN75」の映画のことを知りました。
75歳で自分がこの先、生きるか死ぬかを選べる世界。
老老介護で共倒れになることもニュースなどで耳にするこの頃。
共倒れになるのなら、自ら死んだ方が良いのではないのか?
いやいや、まだ大丈夫、私は元気。
でも、誰かに迷惑をかけているかもしれない。
その、迷惑をかけているのかもわからなくなっているかもしれない。
そんな時、あなたならどうしますか?
89歳まで生きて、ひどい尿臭の中で亡くなった祖母を考えると、
祖母は本当に生きたかったのだろうか?と思うことがあります。
大好きだったお兄さんが亡くなって、
愛する我が子まで、先に亡くなって、
あの時の祖母は見ていられませんでした。
なので「延命治療は無しでお願いします。」と
入院する時に伝えたのですが、やはり病院はできる限りはする方針なのか
姉は祖母の体を見て「中心静脈や」と言いました。
中心静脈に点滴をすることで、少しでも現状を維持させるのだそうです。
姉的には中心静脈の点滴もせずに、ただゆっくりと娘(私の母)の元へ逝かせてあげたかったのでしょう。
意識の無いまま眠っている祖母を見て
「今日は帰ろう」と言って、帰りに晩ごはんを食べていたら電話がきました
それが祖母の最期でした。
プラン75があったなら、祖母は母が亡くなった時に
そのプランを使ったでしょうか、
また、祖母が亡くなって、大泣きしていた祖父は
その時プランを使ったでしょうか、
生きるとはなんなのか、生きる意味がないと生きられないのか
それが問われる作品だと感じ、この超高齢化社会で葛藤する医師と看護師を描いた「勿忘草の咲く町で」を読んでいて。
PLAN75も観てみようとなりました。
皆さんはPLAN75があったとしたら
それを使いますか?それを誰かに勧めますか?