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血が繋がっているとかいないとか
先日、母方の祖母が亡くなった。
祖母は一昨年の秋に祖父が亡くなってから、独居で生活していた。祖母に会いに行く人は乏しく、遺体は死亡推定日からおよそ一週間後に発見された。孤独死であった。
私は祖父の葬儀以来、一度も祖母に会っていなかった。祖母と私の間にはどこか二人きりにはなれないような、ぎこちない距離があった。それは血が繋がっていないという意識があったのかもしれない。
実祖母は母が幼いときに離婚している。それから母の母、つまり祖母は、何度も変わって今の祖母に落ち着いたようである。
私がそのことを知ったのは小学生高学年になった頃であり、それまで特に事情を知らなかった。が、そのときは既に祖母に対して距離が生じていた。
たとえば、何か表彰されるような嬉しい出来事があると、よく祖父に報告の電話を入れた。祖母が電話に出ることが多く、「あっ、おばあちゃん? おじいちゃんにかわって」と、祖母の気持ちも考えずに、それがごく自然なことなのだと思って伝えていた。
それがあるとき、「おばあちゃんじゃ駄目?」と聞かれて困ったことがある。そのとき、返事に窮した私がなんて答えたのかは覚えていない。ただ、祖母は少し笑って、すぐに祖父に電話をかわったことを覚えている。
祖母は浅草の生まれで、私が物心ついた頃にはスナックを経営し、お客さんから「ママ」と呼ばれていた。何度か店を変えながらも、祖父が亡くなるまで居酒屋を経営していた。
私が祖父母に会うために店を訪ねると、掠れた声で「いらっしゃい」と笑顔を向ける。吸っていた煙草を灰皿に押し付けて、いつも美味しい料理を振る舞ってくれた。特に、汁をいっぱい染み込んだ、濃厚な味のおでんは絶品だった。
また、私のことを「芸人を目指して吉本で頑張ってる孫よ」とお客さんに紹介していた。「芸人じゃなくて、ミュージシャンだよ……」と訂正しても、まるで定型文かのように毎回変わらない紹介内容で、変更されることはない。次第に私も諦めていた。
気が強く頑固で、どんなときも気丈に振る舞う。そんな祖母が初めて狼狽する姿を見たのは、祖父が亡くなったときだった。
棺に入る前に祖父の顔を覗いて兄が泣いていると、「泣いたって帰ってきやしねえんだよ!」と罵倒し、弔問しない常連客に電話しては、「もう二度と店に来るんじゃねえぞ!」と怒鳴り散らしていた。かなり動揺していたのだろう。
祖母の喪服のスカートから膝下の脚が見える。その両脚は、数年前に股関節を骨折し人工骨頭置換術を受けていた。膝は変形し、脚は驚くほど痩せ細っていた。それなのにハイヒールを履き、覚束ない足取りで歩こうとする。すぐに転んでしまいそうだったので、隣で身体を支えた。
「みつるくん、大丈夫よ。ありがとうね」
と、いつもの笑顔を見せる祖母。これまで、祖母に会うときは店のカウンター越しが多かったためか、こんなに脚が弱っていたなんて知らなかった。
祖父の火葬の時間、祖母は一人、皆と離れたところに座って俯いていた。そっとしておいた方がいいのかもしれない。だが、私は敢えて祖母の隣の席に座った。そこで私たちは、他愛もない話をした。こんな風に面と向かって二人でちゃんと会話をしたのは、もしかしたら初めてだったかもしれない。祖母の故郷や生い立ち、祖父との出会い、いろいろなことを聞いた。私にとって初めて知ることばかりだ。私は祖母を全然知らなかったのである。話が終わって席を立つとき、祖母は「みつるくん、ありがとね」と、いつもの笑顔と掠れた声でぼそっと言った。
あれからおよそ一年。今度は祖母が火葬の番を迎えた。
私は前日の夜から、急性胃腸炎におかされてしまった。とても動くことができず、別れの挨拶をすることは叶わなかった。床に伏して苦しみながら、ぼんやりと考えていた。
祖父が亡くなってから、祖母は一人、どんな思いで過ごしていたのだろう。私のことを思い出すことはあっただろうか。
ときに嘘をついたり、汚い言葉を使ったりする祖母だったが、間違いなく私を愛してくれていた。
私も、祖母がお客さんから「ママ」と呼ばれる光景を見るのが好きだった。お客さんに「祖母がお世話になっています」と言うとき、どれほど誇らしかったか。それは祖母が皆から愛され必要とされていると感じられたからに違いない。
祖母は、どこまでも不器用だった。それは祖母を知る人ならきっと皆、感じていただろう。愛想笑いが上手かったが、常に孤独を背負っているような淋しい影を漂わせていた。裏表のないような性格に見えるが、決して本心を語ることはなかった。
祖母が決して口には出さなかったこと、本当は言いたかったが隠し貫いてきたこと、それは何だっただろう。今まで考えようともしなかった。今更、何日もかけて考えた。
すると、この言葉ではないかという、ほぼ確信に近い結論に至った。
「さみしい」
もしかしたら、私の思い違いかもしれない。でも、私にとって、この言葉は、祖母の背後にあった何かを形容するのにぴったりなのだ。
もし、この言葉をわかっていたなら、もっとそばにいただろう。
祖父のいなくなった家を訪ねただろう。たくさんの話をしただろう。
でも、それをしなかった。
祖母に向き合うことをせず、ろくに知ろうともしなかった。
「血が繋がっていないから」
「本当のおばあちゃんじゃないから」
なんだ、それ。
ふざけんなよ。
あのときの自分をぶん殴ってやりたい気持ちになった。
当たり前なんて何一つないのに。
今ここにある愛にどれだけ気づけるか、感謝できるか、伝えられるか。
それが、失う前に本質を見抜くことのできる、唯一の方法なのだろう。
祖母の愛をこの胸に感じられる今。この気持ちを決して忘れない。
しっかり受け止めて生きていくから。
「これからはひとりじゃないよ」
なんて、都合がいいかな。
ありがとうね。おばあちゃん。