TOP Bakery No.3 ~パン屋を始めるまで~
ガーナのパン屋の石本です。
今回は、ガーナでパン屋を始めたきっかけについてお話したいと思います。
2014年後半、クマシから1時間ちょっと北上したあたりにある聴覚障がい者の為の学校でICTを教えている青年海外協力隊の友人を訪ねました。
学校では、小学生低学年から高校生くらいまでの子達が学んでおり、友人もガーナ手話を使いながら子供達にICTを教えていました。静かなはずなのに、騒がしい、皆んな積極的に学んでいる様子が非常に印象的でした。また、手話がわからない私に、子供達は一生懸命絵を描いて教えてくれたり、身振り手振りで説明してくれたり、とにかく私が1人で不安にならない様に気遣ってくれていているのが分かりました。皆んな、明るく優しく真面目で良い子ばかりで、本当に貴重な経験をさせてもらいました。
*写真は訪問させてもらった男子寮の部屋で。
そんな中友人から、学校を卒業した後の子供達の就職口がなくて困っているという相談を受けました。良い大学を卒業した学生でさえ就職口を見つけるのが難しいガーナでは、尚更仕事を見つけるのは難しいとの事でした。せっかく学校に来て、手話や英語、数学などを勉強しても、その後仕事が見つからず家で家事を手伝っている卒業生たちが多いとの事でした。
友人が言うには、学校に通わせてもらえている子供達はまだ良い方で、学校に通わせても仕事が見つからないんだから行かせても仕方ないと、子供を学校に行かせない親もいるとの事でした。卒業生たちが社会で働いて自立していければ、聴覚障がいを持つ子供の親たちも、学校に通わせれば将来は仕事を見つけて自立していけるんだと自信を持って子供達を学校に送り出してくれんじゃないだろうか、との事で、そのロールモデルとなる様なことができないだろうかと、相談して来てくれました。
新しい事業を始めようと考えていた私は、せっかくならば真面目で頑張り屋なこの子達にも一緒に働いてもらえる様な仕事を作れないだろうかと考え始めました。
また、出来れば手に職がつけられる様な仕事がいいなと考える中で、様々な事業を検討し、多くの雇用を生み出せる可能性があり、何よりも食べる事が大好きな自分にぴったりなパン屋を始めることにしました。
ガーナのパンは日本のふわふわなパンと異なり、ずっしりとしたパンで正直あまり美味しいと感じることはありませんでした。「これは、日本式のパンを作れば売れるに違いない!」と、パンを作った事もないのに、パン屋をやることを決め、友人経由でパン作りをしている方を紹介してもらい、1泊二日で修行をさせてもらいました。
たかだか一泊二日の修行と簡単なリサーチで、これはいける、という無知な確信と、やらねば、という謎の使命感から、どんどん話は進んで行き、気がつけば元々パン工場だった居抜き物件まで見つかり(しかも、職を失っていたパン職人付き!)、何か大きな流れに飲み込まれている様なスピード感で話は進んで行きました。
2015年5月に日本に一時帰国し(しばし本当にガーナでパン屋をやるか葛藤し)、親や友人達からの資金を支援してもい、ガーナで待つ仲間達に事業資金を送金しました。今にして思えばそこまで大きな金額ではなかったですが、送金ボタンを押す時に「このボタンを押したらもう引き返せない」と指が震えたのを覚えています。
そして、2015年6月、TOP Bakeryをスタートする事になりました。
次回はTOP Bakeryの創業期についてお話できればと思います。