「ドイツと日本 ー労働・戦後処理・現在ー」の本棚
※以下は2017年8月15日に「はてなブログ:つながる本棚」に掲載した記事(削除済)に加筆・修正したものです。
労働
ドイツはまた超少子化国であり、工業製品の輸出国である点も日本と共通している。
一方、日本で「働き方改革」の議論が行われているが、先進国で、統計データ上で特に労働状況や労働生産性が優秀に見え、労働時間が短い国がドイツである。
『ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか』(青春新書)では、ドイツ在住のジャーナリストである熊谷徹氏が、日本とドイツの働き方の違いを分析している。
本書によれば、ドイツでは有給休暇が年間30日で取得率は100%が当たり前で、残業については年10日まで追加で振替休日として取得することができ、実質年間150日の休日があるそうだ。さらに病気による欠勤はこれには含まれず、別途、給与保障がつくそうである。
「そんなに休んで仕事がまわるのか?」と思うが、「他の同僚にも自分の仕事が分かるよう常に整理整頓しておく」という「チームで仕事を片付ける」という就労文化によるところが大きいようだ(そのため休日が多いのは被雇用者で、経営層は上記のように休暇がとれるわけではない)。
一方、日本では「本日は担当者が不在です」といった対応が多く、「仕事が人に紐づいて」いる。担当者でないと仕事が分からない状況だと、休むと仕事がまわらなくなったり長時間労働の原因になってしまう。
本書は他にも統計データと、著者が在留中に得た情報により、ドイツの労働・社会政策(特にメルケル首相の前任者のシュレーダーによる改革)、インダストリー4.0などの産業政策など、ドイツ流の優れた面を紹介しつつ、その「良いとこ取り」を薦めている。
加筆:日本の賃金について
以下は、斎藤正幸、マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソン『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐』(集英社新書)P25に掲載されているグラフである。
「労働分配率」とは売上原価以外の様々な費用を引く前の「売上総利益」のうち、人件費の割合を示す指標である。
例えば売上が1000万円、売上原価が600万円なら、売上総利益は400万円だ。
ここから人件費を200万円計上していれば、労働分配率は200万円÷400万円=50%となる
この労働分配率をドイツと日本で比べた場合、上記のグラフから1980年頃までは75%程度と、さほど差がなかったことが分かる。
ところが、以降どんどん両国とも労働分配率は低下していく。
この際、日本のほうが低下率が大きく、ドイツとどんどん差が開いていることが分かる。
2010年には10%近い差があり、掲載されている4か国の中では断トツで最低である。
また、2010年の直前にドイツ・日本ともいったん大きく低下(リーマンショックの影響と考えられる)した後に回復しているが、この回復度合いも日本のほうが小さい。
最近、「日本の賃金」が話題だが、日本が利益を労働者に分配しようとしない国であることが見て取れるグラフだ。
市場原理主義的なイメージが強いアメリカは、国全体の労働分配率で見た場合は変化がゆるかやかであることにも注目したい。
戦後処理
さて、最初に紹介した本の著者の熊谷氏には、ドイツの戦後処理についての本もある。
日本もドイツも、共に第二次世界大戦の敗戦国だ。
しかし、日本が中国・韓国等の周辺国と歴史認識で問題を抱えている一方で、現在のドイツはEUの主導国として周辺国からの一定の支持を得ている。もしドイツが日本と同様に、周辺国との問題を抱えたままだったならば、今の地位は築けなかっただろう。
なぜ、このような違いが生じたのか。
結論から言えば、その大きな要因は、陸続きであったドイツと、島国である日本の違いにあると言えそうだ。
ドイツは世界大戦以前からヒト・モノ・カネ等の交流が盛んだった。「そうした交流抜きでは国として成り立たない」と認識していたドイツは、ナチス政権を自ら徹底的に否定し、賠償金を含めた謝罪をすることによって、「戦中」と「戦後」のドイツを「政治的に連続性のないもの」と周辺国に認識してもらうことに成功したという。
例えばドイツは、ナチスによるユダヤ人殺害について600万人という数字を周辺国と共有している。これについて、例えば「実は300万人なのではないか」といった議論をすることも可能だったかもしれないけれど、それよりも周辺国との友好関係構築を優先し、今もなおナチス戦犯の捜査・逮捕を続けている。
それに対して、日本は戦前・戦中・戦後について一定の連続性を抱えている。その良し悪しは別として、もし日本が島国でなければ、韓国や中国との問題を差し置いたままにしておくことは難しかっただろう。「ヒト・モノ・カネの中継地点」ではなかったことにより、そういった問題が未解決のまま年月が経ってしまった。
そのため、現在もなかなか周辺国との折り合いがつかず、日本国内でも戦時中についての評価が一致していない。
上記2冊はいずれもドイツをある観点からよく理解できる書籍だが、著者の熊谷氏はドイツびいきな面があり、負の側面についてはあまり触れられていないように思える。
理想化されがちなドイツを批判的にみる
そこで次は、逆にドイツを批判するエマニュエル・トッド氏の著書を紹介したい。
「ソ連崩壊」「金融危機」「アラブの春」を、著書の中で次々と予言し的中させてきたとされるのが、フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏だ。2015年5月に翻訳・出版した本書でも、刊行後に行われたイギリスEU離脱の投票結果まで予想し的中させている。
本書はフランスでのインタビュー記事をまとめたもので、総論としては「ドイツ」と「ロシア」の関係に注目しつつ、実質的にドイツ主導であるEUを批判した内容だ。
タイトルにある「世界を破滅させる」は言い過ぎな感があるが、本書では「国としてのドイツ」だけでなく「周辺国を含めたドイツ圏」を見ることで、その評価が変わる可能性を示唆している。
「周辺国を含めたドイツ圏」とはハンガリーやポーランドなどであり、もっと言えばEU全体になる。ドイツは周辺国の安価な労働力や格差を利用して、その高い生産性や経済力を生み出しているというのがトッド氏の指摘だ。
実際、ハンガリーやポーランドなどはドイツより長時間労働である一方、その所得は低い。この意見に従えば、ドイツは「お手本の国」から一転して「周辺国との格差を利用して裕福になった国家」という評価になる。
もっとも、フランスはプロイセンとの戦争(普仏戦争)まで含めると3度もドイツとの戦争に敗れた歴史がある。
トッド氏はフランス人として、ドイツに追従するしかないフランスの現状に対する不満を隠していない。
よって、熊谷氏の意見を鵜呑みにできないのと同様、トッド氏の意見だけを持ってドイツが周辺国との間に問題を与えている国であると決めつけるのも早計に思える。
補足:そもそもわかりにくい「ドイツの歴史」を整理する
そもそもドイツ史を考えるとき、どこからどこまでがドイツなのか、というのは難しい。
しかも、2つ以上の国として併存していた時期も少なくない。
以下は『ドイツを知るための50章』(明石書店)を元に作った年表である。
476年 古代ローマ帝国(西ローマ帝国)滅亡
800年 カール大帝(シャルル・マーニュ)がローマ皇帝として戴冠。その死後にその帝国は3国に分裂し、うち1つがドイツの元となる。
962年 オットー1世がローマ帝国(後の神聖ローマ帝国)として戴冠。
1500年頃 ルターによる宗教改革
1618年 三十年戦争勃発。
1648年 ウェストファリア条約により三十年戦争終結
1701年 プロイセン王国成立
1806年 神聖ローマ帝国消滅
1814年 ウィーン会議(ナポレオンによる混乱後の統治についての国際会議)
1815年 ドイツ連邦発足
1850年 プロイセン憲法公布(大日本帝国憲法に影響を与える)
1861年 日普修好通商条約(日独国交開始)
1866年 普墺戦争(プロイセン・オーストリア戦争)
1867年 北ドイツ連邦成立
1868年 日本 明治維新(明治元年)
1870年 独仏戦争
1871年 ドイツ帝国成立・ドイツ統一
1889年 日本で大日本帝国憲法公布
1914年‐18年 第一次世界大戦
1919年 ヴェルサイユ条約締結。ヴァイマル(ワイマール)憲法公布。
1929年 世界大恐慌
1932年 ナチ党が議会第1党になる。
1933年 ヒトラーが首相に任命される。
1939年 第二次世界大戦(ドイツのポーランド侵攻)
1940年 日独伊三国同盟
1941年 日本が真珠湾攻撃、ドイツがソ連侵攻・対米宣戦布告
1944年 ノルマンディー上陸作戦
1945年 ヤルタ会談、ドイツ降伏
1949年 西ドイツ、東ドイツ成立
1955年 西ドイツ主権回復、NATO参加
1961年 東ドイツによりベルリンの壁の建設開始
1973年 東西ドイツ国連に加盟
1985年 シェンゲン協定
1989年 ベルリンの壁崩壊
1990年 東西ドイツ統一
1998年 シュレーダー政権発足
1999年 ユーロ導入
2010年 ギリシア危機、ユーロ危機
2016年 イギリスがEU離脱を選択
「日独伊三国同盟」について
最後に、「日独伊三国同盟」について軽く触れておきたい。
上記の年表にあるように、日本の明治維新は1868年、ドイツ(プロイセン)の統一は1871年である。
また、イタリアの国家統一は1861年だ。
一方、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸の発見から大航海時代に入り、大規模な貿易、植民地化が始まる。
当初の主役はポルトガルやスペインである。
1588年にイギリスがスペインの無敵艦隊(アルマダ)を破るとイギリスが制海権を握り、その後、フランスも1795年の革命を経て植民地化を進める。
上記の国々と比べると、日本、ドイツ、イタリアは国家統一と海外進出が遅れた「出遅れ組」であったことは、その後の世界史に大きな影響を与えたように思われる。