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温故知新(60)八大龍王 ヤンガードリアス彗星 若狭彦神社 若狭姫神社 天橋立神社 霧島神宮 玉比咩神社 豊受大神宮 テル・アブ・フレイラ

 豊玉姫命と関係があると推定される八大龍王は、白石神社とつながり、また、卑弥呼と関係があると推定される武当山ともつながっています。八大龍王は、古代インドでは「ナーガ 」という半身半蛇の形でしたが、中国や日本を経て今の竜の形になりました。中国の国産み神話の伏羲と女媧は、下半身が蛇体で描かれています。

 若狭彦神社と若狭姫神社は「近畿五芒星」の中心線上にあることが知られています(近畿五芒星と強い関係「若狭彦神社」)。若狭彦神社(福井県小浜市)の「境外社」の白石神社の祭神は、丹生氏と関係があると推定される「遠敷明神」で、若狭彦神(彦火火出見尊 山幸彦)や若狭姫神(豊玉姫命)と同一神といわれます。オリンポス山と音羽古墳群を結ぶラインの近くに若狭彦神社があり、音羽古墳群とパレルモを結ぶラインの近くに若狭姫神社(小浜市遠敷)があります(図1)。このラインは、音羽古墳群に、丹生氏系図の最初にある神皇産霊尊の墓があると推定されることと整合します。

図1 オリンポス山と音羽古墳群を結ぶラインと若狭彦神社、音羽古墳群とパレルモを結ぶラインと若狭姫神社

 巨石のある白山神社(京都市山科区小山御坊ノ内町)と音羽古墳群を結ぶラインは、瑠璃光院(左京区上高野東山)の近くを通り、音羽山(おとわやま)(山科区小山長尾)と古代都市セリヌス(Selinus Ancient City)を結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。音羽山の山頂には石積があるようです。音羽山とセリヌスを結ぶラインの近くには平安神宮があり、京都御所のある京都御苑を通ります(図2)。音羽山は音羽古墳群と関係付けられていて、このラインは、音羽古墳群と天皇家の関係を示していると推定されます。

図2 音羽山、白山神社(京都市山科区小山御坊ノ内町)、音羽古墳群を結ぶ三角形のラインと八大龍王の社、瑠璃光院、音羽山とセリヌスを結ぶラインと平安神宮、京都御苑

 音羽山(牛尾山)には八大龍王の社があります(図2)。ハドソン湾と八大龍王の社を結ぶラインは、西光寺(石川県輪島市)、大己貴命を祀る能登一の宮 氣多大社(石川県羽咋市)、道元の開山した永平寺(福井県吉田郡永平寺町)、音羽古墳群の近くを通り、八大龍王の社とサギノー湾を結ぶラインは、武当山とつながる冠山越中一宮 高瀬神社(富山県南砺市)の近くを通ります(図3)。氣多大社の境内裏手にある加賀藩の保護した「入らずの森(天然記念物)」の奥宮には素戔嗚尊・櫛稲田姫命が祀られています。

図3 ハドソン湾と八大龍王の社を結ぶラインと西光寺、氣多大社、永平寺、音羽古墳群、八大龍王の社とサギノー湾を結ぶラインと冠山、高瀬神社

 モン・サン・ミシェルとつながりのある天橋立天橋立神社 (天橋立明神)は、八大龍王を祀っています。蔵王権現を祀る修験場だった三岳山の金光寺(福知山市)とサギノー湾を結ぶラインは、天橋立神社の近くを通り、丹後一宮 元伊勢 籠神社眞名井神社(籠神社奥宮)を通ります(図4)。

図4 三岳山 金光寺とサギノー湾を結ぶラインと天橋立神社、元伊勢籠神社、眞名井神社

 三岳山 金光寺や元伊勢 籠神社は、剣山とサギノー湾を結ぶラインの近くにあります(図5)。また、三岳山 金光寺は、高倉下命(孝元天皇と推定)を祀っている三重県伊賀市の高倉神社とチャタル・ヒュユクを結ぶレイラインの近くにあります。

図5 剣山とサギノー湾を結ぶラインと三岳山 金光寺、元伊勢 籠神社

 霧島神宮とサギノー湾を結ぶラインの近くには、八大龍王水神、八大龍王 龍神の池嚴島神社(広島県廿日市市)、八重山神社(島根県雲南市)、佐太神社(島根県松江市)があり、サギノー湾と豊玉姫命をまつる玉比咩神社(岡山県玉野市)を結ぶラインの近くには、八大龍王権現大野神社(鳥取県八頭郡若桜町)があります(図6)。

図6 霧島神宮とサギノー湾を結ぶラインと八大龍王水神、八大龍王 龍神の池、嚴島神社、八重山神社、佐太神社、サギノー湾と玉比咩神社を結ぶラインと八大龍王権現大野神社

 三上山(御神山)にある八大龍王社(東龍王社)(滋賀県野洲市)とサギノー湾を結ぶラインの近くには、井伊家と関係のある長浜別院大通寺(長浜市)、郷社白山神社址(岐阜県揖斐郡揖斐川町)、九頭竜川沿いにある白龍神社(福井県大野市)、高峰山高峰権現堂)(富山県南砺市)、靄山(青森県五所川原市)、定住発展期後半(紀元前2,500年~紀元前2,000年)の祭祀場がある大船遺跡(函館市)があります(図7)。

図7 八大龍王社(東龍王社)とサギノー湾を結ぶラインと長浜別院大通寺、郷社白山神社址、白龍神社、高峰権現堂(高峰山)、靄山、大船遺跡

 八大龍王神社(山梨県甲州市大和町)とサギノー湾を結ぶラインの近くには、八大龍王宮があり豊玉姫命がまつられていると推定される秩父今宮神社(埼玉県秩父市)、世良田東照宮(群馬県太田市)、日光東照宮(栃木県日光市)、名神大社に列する大高山神社(宮城県柴田郡大河原町)、六神石神社(岩手県遠野市)、布引観音・鞭牛碑群(岩手県宮古市)があります(図8)。

図8 八大龍王神社(甲州市大和町)とサギノー湾を結ぶラインと秩父今宮神社、世良田東照宮、大高山神社、六神石神社、布引観音・鞭牛碑群

 八大龍王社元宮(東京都中央区日本橋箱崎町)とサギノー湾を結ぶラインの近くには、常陸國二宮 靜神社(茨城県那珂市)、御岩神社末社 八大龍王神·入四間不動王明王(茨城県日立市)、白水阿弥陀堂(福島県いわき市)があり、いわき市小名浜下神白小三崎には八大龍王宮があります(図9)。建葉槌命(倭文神)を祀る靜神社が八大龍王とつながっていることは、建葉槌命(倭文神)が豊玉姫命と推定されることと整合します。

図9 八大龍王社元宮とサギノー湾を結ぶラインと常陸國二宮 靜神社、御岩神社末社 八大龍王神·入四間不動王明王、白水阿弥陀堂、八大龍王宮

 東京大学名誉教授の松井孝典氏は、『天体衝突 斉一説から激変説へ 地球、生命、文明史』で「彗星の出現と分裂、その破片の地球への衝突という現象は、神話や聖書などの古文書に記されている表現と奇妙に符合する。それはまた、仮想的動物である龍との関わりも指摘できる。」と述べています。科学者のアレン・ウェストとリチャード・ファイアストーンによれば、12,800年前のヤンガードリアス期の初めに、キロメートル級の彗星の破片が8個も北米大陸の氷冠に衝突した可能性があるとしています1)。八大龍王は、12,800年前にサギノー湾に衝突したヤンガードリアス彗星の破片を表しているのかもしれません。

 これらのラインは、豊玉姫命が九頭龍王と見なされていると推定されることとも関係があると思われます。九頭龍王は、八大龍王のうちの和修吉(ヴァースキ、わしゅきつ )で、サンスクリット語の意味は「宝」とほぼ同じなので、豊玉姫命と推定される高良玉垂命の「高良」とつながります。和洲吉は、大洪水のときには、人類の祖マヌの乗る方舟が大波に流されないように、マツヤの角と方舟の舳先を結ぶ綱を担ったとされます。水主神社に伝わる倭迹々日百襲姫(豊玉姫命と推定)の「うつぼ舟」と方舟もつながります。豊玉姫命がヤンガードリアス彗星の衝突と関係があるとされるサギノー湾とつながっていることは、ギョベクリ・テペが、ヤンガードリアス彗星の衝突の記念碑とすると、三輪山倭迹々日百襲姫(豊玉姫命と推定)を祀る水主神社などが、ギョベクリ・テペとつながっていることと整合します。

 火焔型土器は、日常品でなく祭事などにのみ使用された土器といわれ、富山・長野・山形県などでも確認されていますが、火焔型土器(国宝)が出土した笹山遺跡(新潟県十日町市)など、ほとんどが新潟県内、特に信濃川上・中流域(津南町、十日町市、長岡市)で出土しています。津南町、笹山遺跡(十日町市)、長岡市は、大湯環状列石を通る豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)とサギノー湾を結ぶラインの近くにあります(図10)。美術史を専門とする東北大学名誉教授の田中英道氏は、火炎土器は「水紋土器」であるという説を発表しています2)。もしかすると、火焔型土器は、12,800年前にサギノー湾に衝突したヤンガードリアス彗星(八大龍王)をレイライン上に祀るためにつくられ、彗星の衝突によって起こった大津波、あるいは大火災(渦巻く炎)を表現しているのかもしれません。

図10 豊受大神宮とサギノー湾を結ぶラインと新潟県津南町、笹山遺跡(十日町市)、長岡市、大湯環状列石

 ヤンガードリアス期の寒冷化の始まりの頃から農耕が始まったテル・アブ・フレイラは、ジェベル・イルード遺跡と結ばれ棚畑遺跡、真脇遺跡、おのころ島神社安房神社、五所神社、田端環状積石遺構、武甲山はジェベル・イルード遺跡と結ばれています。したがって、テル・アブ・フレイラは縄文人や忌部氏と関係があると推定されます。

 テル・アブ・フレイラと豊受大神宮を結ぶライン(図11)の近くには、但馬大仏(長楽寺)(兵庫県美方郡香美町)、養父神社(やぶじんじゃ)(養父市)、萬福寺(京都府宇治市)、西光院(京都府綴喜郡宇治田原町)、友生神社(三重県伊賀市)、倭白山比咩神社(津市)、阿射加神社(松阪市)があります(図12)。養父神社は、但馬5社のひとつに数えられる神社で、古くから「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神として親しまれてきました。倉稲魂命(うかのみたまのみこと)他が祀られていますが、農耕に必要な牛の売買が養父神社の管理下にあったことから、牛の神様も祀られているようです。『古事記』では、須佐之男命の娘が食物を守る神の宇迦之魂神(倉稲魂命)と記しています。

図11 テル・アブ・フレイラと豊受大神宮を結ぶライン
図12 テル・アブ・フレイラと豊受大神宮を結ぶラインと但馬大仏(長楽寺)、養父神社(やぶじんじゃ)、萬福寺、西光院、友生神社、倭白山比咩神社、阿射加神社

 桓武天皇の命により編纂が開始され延暦23年(804年)に禰宜の五月麻呂らが神祇官に提出した『止由気神宮儀式帳(とゆけじんぐうぎしきちょう)』によると、雄略天皇(昆支王と推定)が伊勢神宮 外宮を建立したとされています。しかし、豊受大神は、元来は葛城氏が代表して奉祀していたとされ、葛城氏の没落後、崇敬の声が大きくなり、丹波国の元伊勢籠神社の真名井神社から遷座したといわれています。

 豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)では、千木(ちぎ)や鰹木 (かつおぎ)の様式からは男神が祀られていると考えられ、豊受大神宮には、縄文系の人々からポセイドーンスサの王ペルセウスと同一視されたと推定される須佐之男命(第7代天皇の孝霊天皇と推定)が祀られていたのではないかと思われます。豊受大神宮はテル・アブ・フレイラとつながっていることから、農耕の神として祀られていて、豊受大神(宇迦之魂神、保食神(うけもちのかみ))が祀られるようになったのかもしれません。皇大神宮(伊勢神宮 内宮)には、女神が祀られていると考えられるので、孝霊天皇の妃の倭国香媛命(天照大御神 大日孁貴と推定)が祀られていると思われます。

文献
1)グラハム・ハンコック 大地舜/榊原美奈子(訳) 2020 「人類前史 下」 双葉社
2)田中英道 2022 「日本国史 世界最古の国の新しい物語 上」 育鵬社