Вадим Зеланд(ヴァヂム・ゼランド)氏の最新インタビュー③
②からの続きです。
端的に、「いや知らん」笑
знаком:[形]знакомыйの[短語尾形] с+[造]
~を知っている、経験している、~に通じている
ゼランドさんは、本の中で書いている、世界の捉え方、様々な法則、テクニックなどについて、研究して発見したとか、自分で独自の理論を構築したのではなく、夢で出会った自然保護区の管理人(Смотритель заповедника)から「トランサーフィン」という言葉とそれに関するすべての情報を与えられ、実際に自分で試してみた上で、それを本にしたと話しています。
このインタビューの初めのほうでも、「自分で考えたことではない」、「自分は『トランシーバー』のように伝えているだけ」だと話しています。
Джо Диспенза(ジョー・ディスペンザ)
Джон Кехо(ジョン・キーオ)
ちょうど、1つ前の記事を書いているときに、эзотерикаのカテゴリーでどんな本が人気なのかな?と見ていて、どのサイトでも上位にあった本の著者でもあります。
たとえば
Джо Диспенза/Сила подсознания, или Как изменить жизнь за 4 недели
(ジョー・ディスペンザ/潜在意識の力 4週間で人生を変える方法)
※原題「Breaking the Habit of Being Yourself: How to Lose Your Mind and Create a New One」日本語版「あなたという習慣を断つ」Джон Кехо/Квантовый воин: сознание будущего
(ジョン・キーオ/Quantum Warrior: The Future of the Mind)
※これは日本語には翻訳されていないみたい。Джон Кехо/Подсознание может всё!
(ジョン・キーオ/潜在意識はなんでもできる!)
※原題「Mind Power Into the 21st Century」日本語でも「マインド・パワー」として翻訳が出ている。
※外国人名はロシア語表記でも格変化させなくていいと習ったような気もしますが、実際には本人の性別に関わらず、語尾によって、男性名詞・女性名詞に見えるものは、それと見做して語尾変化させますよね。しかし、中性名詞に見える語尾-о、-еは無変化。人名に限らず、外国由来の固有名詞全般にそういう感じじゃないかな?体感です。
そして、この二人の名前の格変化のさせられ方を見ると、姓と名で性が混ざっててもお構いなしだなーと笑
Виктор Пелевин:ヴィクトル・ペレーヴィン
日本語にもたくさん翻訳されている超人気の小説家。ジャンルとしては、ポストモダニズムだとか、哲学的フィクションだとか、不条理主義だとか、言われていたりしますが、ご本人はどうお考えなのか。作品のタイトルを眺めるだけでも、不思議なタイトル、ぱっと意味が解らないものも多く、結構ハマるとマニアックに読みたい感じになるかも。
インタビュアーが話しているように、表に出てこないタイプの方のようで、謎が多い人物という意味で、確かにゼランドさんと共通点がありますね。
初期の代表作「Чапаев и Пустота(チャパーエフと空虚)」
なんか、知っている響きがする…と思ったら、Amazonの商品ページに「この本を 2007/7/6 に購入しました。」と表示され、買ってたらしいです私。内容を1ミリも思い出せないが。
доводиться:(無人称)~することに(たまたま)なる、機会がある
соприкосновение:接触、関り、相互関係/соприкасаться[動]から派生①触れ合う、境を接する ②相互に関係する、共通点を持つ
мировосприятие:世界観/мир(世界)+восприятие(①受容、感受、理解②〚哲・心〛知覚、認知)
インタビュアーとしては、外来のДжо Диспенза(ジョー・ディスペンザ)、Джон Кехо(ジョン・キーオ)や、国内のВиктор Пелевин(ヴィクトル・ペレーヴィン)と比較したりして、共通点や相違点、影響を受けたかなど話したかったんでしょうけれど、ゼランドさん反応薄め。
振り子(маятники)に巻き込まれるつもりはないよ、ということでしょうか。
действительность/реальность
どちらも、訳すなら「現実」
ニュアンスの違いはあるけど、ロシア語の辞典を見ても、реальностьの説明に「действительностьと同じ」ってなっている笑。英語でもどっちもrealityとなってしまうけど、敢えて分けるなら、действительностьはactualityという言い方もありなのかも。(actualityにはактуальностьという対応する語もあるけども)
この文脈では、
物質的なдействительностьも、сон(夢)も、どちらもреальностьである、現れる空間が違うだけ、と言っています。
※ちなみに、英語のrealityをそのままカタカナにして「リアリティ」と言ってしまうと、フィクションに対して「リアリティがある」という時の、「迫真性」の意味合いが前面に出てくる感じがするので、個人的にはしっくりこないなあと思っています。
мало кто [что, какой, где, когда]~:~する人[物、場所、時]は少ない
→мало чем отличаются:違いは少ない
※отличаться+[造]~という点で異なる なので、чтоの造格(чем)をとる
относительно чего это пробуждение?
目覚めが、睡眠状態から覚醒状態になることを意味するのなら、眠りに落ちる前の状態(出発点)はどこか?何から目覚め、どの状態になることを指して目覚めと言っているのか?という問いですね。
(睡眠中の)夢から覚める→現実 これはわかるけど
(現実の)夢から覚める→どこに?
という話をしています。
научиться:習得する、できるようになる
выходить на свою «нулевую точку»:自分の「ゼロポイント」に到達する
выходитьを到達すると訳したけど、この動詞の一番シンプルな意味は、<(どこかからその外に)出る・離れる>。で、出る先が、на+対格で書かれている<自分の「ゼロポイント」>なので、(眠っている状態からその外に)出る(するとそこは「ゼロポイント」)というニュアンスを含みます。
«нулевая точка»/точка Духа:ゼロポイント/スピリットポイント
新たな概念が出てきました。現実の夢から覚めて戻っていく先が、「ゼロポイント」、「スピリットポイント」である、と言っています。そのこころは?
・・・続きます。
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