創作に意味なんていらない
私は叔母(母の妹)のことを、小さな頃から名前でゆめちゃん(仮)と、友達のように呼んでいます。
一番たくさんあそんでもらった、私の初めてのお友達です。
数年ぶりに会ったゆめちゃんは、タンスからごそごそと、小さな頃に私が贈った手紙の束を出して見せてくれました。
大切に保管してくれていたその気持ちがあたたかくて、涙をぐっと堪えたのはここだけのひみつ。
タイムカプセルみたいに、小さな頃の私がそこにいました。
そして思い出したのが、私は絵を描くことが好きだったということ。
手紙だけじゃなく、絵をたくさんプレゼントしていたのです。
創作が得意なゆめちゃんの影響で、私もものづくりが好きでした。
あんなに毎日絵を描いていたのに、いつしか描かなくなってしまったのは何でだろう?
作ることが大好きだったはずなのに、学校の授業の図工や美術は嫌いでした。
作るものを決められて、点数を付けられて、それなのに突然「今日は自由に絵を描きましょう」とか言われても何を描けばいいのかさっぱりわからなくて、苦しくなったことを今でもよく覚えています。
いつからか自分は絵が苦手だと思い込んでいたけれど、小さな頃の私の絵を見たら結構上手だったからびっくりした。
それに、楽しい気持ちがたくさん伝わってきた。
そのまま純粋に好きなこととして続けられていたら、楽しい趣味になっていたかもしれないのになって、ちょっと切なくなった。
ゆめちゃんが素敵な作品をプレゼントしてくれました。
私が作品を絶賛したら、「ひとつもお金にはならないんだけどね」っておちゃめに笑って謙遜するゆめちゃんは、好きなことを思いっきり好きに楽しむことができる人。
それって本当にすごいことだと思うんです。
余計なものはいらないとスマホは持っていなくて、贅沢と言えば毎日おばあちゃんと乾杯するビールくらい。
日々粛々とちゃんと〝 生活 〟をしていて、いつも家は綺麗に整っていて、ベランダには大切に育てたお花が咲いていて、近くにいる人たちを大切にしながら、楽しみを自分で創り出して。
そんなゆめちゃんのことを、私が20代のときには、なんて質素なんだと思っていたけれど(ごめんなさい。笑)
今は、なんて美しい生き方をしている人なんだろうと思います。
大人になった今、もう自由に好きなものを好きに作っていいという自由がある。
それなのに、これをして何の意味があるのだろうって意味を求めたり、めんどくさがったり。
自由を奪っているのは自分自身だった。
誰とも比べない〝 自己満足 〟って最強だなって、最近すごく思います。
noteもそうけど、ただ純粋に創作を楽しめる人になりたい。
やりたいことに意味なんていらないんだよって、教えてもらえたような気がしました。
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お読みいただきありがとうございました🎨
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