自己回帰という松田ミツノブ白書
お久しぶりです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
『そんなことよりあなた誰?』
『お前のこと全然知らねえよ。』
って思った方が大半だと思います。
今回はじめてnoteを書くことになりましたので、さくっと松田ミツノブとやらを自己回帰(紹介)していきたいと思います。
少しでも共通点や興味があれば、フォローやコメント・サポート等のアクションを起こしていただければうれしさにあふれます!
お送りするのは以下内容で、お時間あればぜひ最後まで読んでみて下さい。それではどうぞ!
1.大学卒業まで
兵庫県尼崎市生まれ、尼崎育ちの生粋の『尼っ子』でございます。
中学校まで地元の公立学校で過ごし、中学から始めたバスケにどっぷりはまり、バスケに明け暮れる日々を過ごしました。
朝7時ぐらいから朝練でシューティング、授業終わってからは夜9時?10時?ぐらいまで練習することもざらにあり…
そのおかげで自分たちの代では全国大会に出場し、全国ベスト16まで行ったのはいい思い出です。
詳細はこちらのnoteで!
兄のアシストもあり、高校からは隣町の西宮市(甲子園球場がある場所でも有名ですね。)にある関西学院に行くことになりました。
ここでもずっとバスケをして、チームのみんなと遊んでふざけてばっかりで勉強した記憶はテスト前しかございません。
バスケ部では少しながらキャプテンをしておりましたが、ヤンチャしてキャプテンを降ろされたり、翌々年の高校入学のパンフレットに載ったり色々経験させて頂きました。
各部活のキャプテン・部長や生徒会が集まった写真で、今となればポーズが意味不明。見ての通り男子校。
また高校生は大学受験の際、受験勉強(指定校などの推薦は置いといて。)がありますが、関学はほとんどの人が内部進学して関西学院大学に行きます。
大学進学後は商学部でマーケティングを勉強しながら(ほとんどしてない…)、バスケ部には入らずサークルでバスケをする道を選びました。
今思うとここでもっとちゃんと勉強してマーケティングやら経営やら会計やらを学んでいたらとか、体育会に入って本気でバスケをしていたらなど後悔が多い大学生活だったなとつくづく感じます。
2.アパレル時代
そんな後悔のある大学生活を過ごしたこともあり、就職活動は上手くいかず(消防士試験に落ちたり、岡三証券の内定辞退したり…)、人生初の就職はアパレル業界でした。
元々学生時代にアパレルでアルバイトをしていたこともあり、洋服も好きだったので『ま、いっか』と若干ネガティブに思ってましたが、United Arrows 原宿本店メンズ館 &SONSで働けたことや、Dior Homme 表参道でSalesやVMDを出来たことは良い経験になり、そのおかげで今のキャリア(広告代理店勤務等)があると思っています。
ただアパレル業界は皆さんが思っているように一見華やかだけど過酷な世界で、自分自身『ファッション』が好きで飛び込んだものの、抜けだすときには少しイヤになっていたのを今でも覚えています。(ファッション関連の詳細も後日、別noteで!)
3.広告代理店時代(~現在)
アパレルから抜けだして就職した先が博報堂DY digitalという広告会社で、私が面接を受けた時は博報堂DYインターソリューションズという名前でしたが、入社時には会社名が変わっているサプライズ。
(この会社を転職して出た約1年後、博報堂DY digitalは合併し無くなりました…。)
入社と共に博報堂DY Media Partners 雑誌局に出向し、ラグジュアリーブランドのメディア担当として働くことになりました。
今までの経験上ブランドやファッションのことはわかっているけど、広告のことが全く分からず大変な時期を過ごしたのを今でも覚えています。
ただその環境は全く辛くはなく、日々新しいことを学んでいけること、広告のプロフェッショナルが多くいる会社であったこと、最先端の事例(カンヌの報告等)の講義が聞けることなど非常に良い体験でした。
下記リンク内にカンヌ等の広告賞に関する詳細を載っけてますので興味のある方はどうぞ!(まさかの電通報)
そんな環境の素晴らしい博報堂Groupを退職し、ネクストステップとして選んだのは外資系(WPP Group)の広告代理店でした。
仕事自体は前職とそこまで変わらず、自由度が高いことや営業を行いながらメディアプランニングを担当すること、英語でのやり取りが多いことが日系代理店とは大きく変わったとこかと思います。(広告・転職関連の詳細も後日、別noteで!)
4.行政書士と宅建士のダブルライセンス
そんな社会人生活を過ごしながら、先程もちらっと書いた大学生活でのやり残しややりきれなかったことの後悔を思い出す機会が多くなり、それだったら『今からでも何か挑戦してみよう!』と思い、社会人になってからいろいろ挑戦するようになってました。
AFETIRIAというセレクトショップをオンラインでオープンして、自分がデザイナーとしてパタンナーにパターンを引いてもらい、生地を選び、サンプルを作成…などを行って洋服を7~8型ぐらい作りました。
リアルでも出店したかったので神戸にあるセレクトショップでポップアップイベントを開かせてもらったりもしました!(そんなAFETIRIAは現在closed...)
また今後のスキルアップや手に職的な何かわかりやすいものは無いかというその当時かなり安易な考えで行政書士と宅建士の国家資格を取得しました。
詳細はこちらのnoteで!
この2つはどちらも国家資格 業務独占資格と言われるもので分かりやすく言うと『この業務はこの資格がないとできないよ!!』という資格。
取得したことでできる仕事の幅が広がる以外に下記あたりは個人的に本当によかったと思ってます。(更にコスパ良し!)
◉日本においていざとなったらこの仕事に本腰を入れれば最低限の給与は得て生活をしていくことができる。
◉あとこのあたりの国家資格を全くの関係ない業界で働きながら取得すると『なんで取得したの!?』や『見た目と違って真面目!』という会話やギャップを生むことができる。
◉さらにさらに最低限のことはできる人という他人からの信頼度が圧倒的に向上する。
おわりに
ざっくりですが、今まで紆余曲折ありこんな感じで32年(俗に言う87世代)を生きてきました。
まだまだ自分が本当にしたいことや掘り深めていきたいことは定かではないですが、一つ絶対にやっていきたいことがあります。
それは『やりたいことをやり、後悔せずスキルアップする』です。
まさか大学時代にサボっていたことで、今こういう風に考えられるようになるなんて思っていなかったので人生においてサボることは大事なのかもしれませんね。
後悔を『過去の後悔』として終わらせるには、
『今』をどう生きていくか
この考えが我々世代には大事なんじゃないかと思っております。
そんな世代の一員として、肩肘張らずマイペースにnoteをこれからも書いていきたいと思います。
今後ともお付き合い宜しくお願い致します。
Thank you for reading my note!!
松田ミツノブ