鬼滅の刃・映画、無限列車、見に行った|夢と現実
毎日3000文字・時々1000文字のmitsです。見に行こうと思ったらNetflixで「予習」してしまう自分に少し笑ってしまいつつも、全部は見られませんでしたが、10話まで見ていきました。
基本、大人の目から見ると「そんなに残酷なシーン!!が連続で」と思いました。でも、思い返せば北斗の拳とか「ヒデブ!」とか言って、体が縦真っ二つに裂けたり、目玉が飛び出たり爆発して肉片になったりしていました。
どんなに残酷でも、大人はもちろんのこと、子供はより「あれは画面・紙の中の仮想世界」と、深いところでわかった上で見ているんですよね。
だからストーリー中に、喜怒哀楽、どんなひどいこと、素晴らしいこと、泣き叫ぶようなことがあっても「劇中のストーリーに起きるすべて」をじつは「メタ」で楽しんでいるんですよね。(ここ、あとから効いてきます。)
炭治郎にとっての喜怒哀楽
その劇中の主人公はじめ、登場人物、たとえばケンシロウ、炭治郎にとってその喜怒哀楽は、人生そのものなのですよね。ユリアを失って悲しむのも。
炭治郎は第一話で家族をすべて無くして悲しみ……僕らは決して劇中の人物ではないから「メタ」で「安心して」皆殺しになっているのを見ている。
映画の方では、ストーリー中の劇中劇=(現実内の現実のような)夢で炭治郎が「●を××すること」で「覚醒」するというシーンがあった。
映画、本筋中の「現実の炭治郎」からしたら夢の中の炭治郎に起こっていることは、僕らにとっての画面の中のケンシロウであり、炭治郎だ。(眠っているから夢の中の生きている炭治郎を見ていないという点が違うけど)
でも夢の中の炭治郎は現実世界では感じないことを夢(仮想世界)では感じている。なぜならその仮想世界の炭治郎にとってはそれが「現実」。
鬼滅の刃・映画版は仮想の世界と現実を扱っている話だけど「少年」ジャンプっていう少年誌が原作な訳で、そんな読者ステージにいわゆる「量子ネタ」が普通にメインストーリーに織り込まれていることに、驚いたりもし、すごい時代になったものだ、と思いました。
・・・と書きましたが、
永井豪のバイオレンス・ジャック
大昔、永井豪が書いたバイオレンス・ジャック(1973年、約50年前)という漫画のキングが作った砂漠の中の想念の街という話を思い出しつつ、「クリエイター」にとっては「想念の現実化」は新しいようで、古くから取り組んでいるテーマなのでしょう、なんて思いながら見ていました。
で、炭治郎が「●を××すること」で「覚醒」するシーンを見ているときにはインセプション(レオナルド・ディカプリオ主演)を思い出していました。
レオナルド・ディカプリオ/クリストファー・ノーランの『インセプション』
インセプションでは、椅子が倒れる、エレベーターの爆発、車が橋から落ちるという「落ちる」ことによって潜在意識の下の世界から帰ってくる、というギミックがありました。
主人公ディカプリオの妻は、「この世界は仮想の世界だから=今この生活は現実ではないから」落ちて帰ることを選んだ=ビルから飛び降りた。そして、その現場にいたディカプリオは殺人犯として追われる身になります。
そう、「現実世界」では死んでしまったんです。でも、現実世界で「落ちて」ひとつ↑のレイヤーで生きているかもしれません。それは「現実」に居続ける限りはわかりません。
無限列車での炭治郎の覚醒
炭治郎が「●を××すること」で「覚醒」することで話が進みますが、炭治郎が「●を××すること」で死ぬのであれば、そこが現実です。でも「いわゆる現実」の炭治郎からすれば夢の中の炭治郎が死んだに過ぎない。
そんなことを考えながら見ていると、、、、ですよ?
ぜひ、そんな前知識で見に行ってみてくださいませ。
そしたら、こんなことを一緒に考えてみませんか?
今、ここで、その『鬼滅の刃』を映画館で見ている自分てのは、面白おかしく見ているけど、果たして、このmitsが生きている、今って、夢とか仮想世界とか1レイヤー↓の世界ではないのか?という疑念は「●を××すること」や、「落ちて」みることでしか、確かめられません。
インセプションのストーリー中「現実ならば、コマはやがて倒れる仮想世界なら倒れない」という設定があるんですね。
現実のディカプリオはようやく殺人犯の責から逃れ、愛娘達に会いに行く、という一見ハッピーエンドなんです。その最後の場面でコマがずっと回転していて、さて、それは、、、という終わり方をした。
さて、とまとめましょう。
成功するとか、しないとか金持ちになるとか経営者になるとか女にもてるとかもてないとか、家族をもって幸せになるとか、世界一周するとか旅するとか友達がたくさんいるとか、頭がいいとか悪いとか、葬式で生き様がわかるとかどうとか、
全部、どの現実?どの仮想世界?どの夢の世界?どのレイヤーの世界?上がある?下がある?
そんなことを考え抜いていくと、投げやりなネガティブなときに使う「どうでもいい」ではなくて、
まぁいいんじゃないって感じの、とらわれない、こだわらない、人生なんて、漫画の中?なんていういい意味での「どうでもよく」なりませんかね?
なんてことを自分の整理もしたくて書きました。そんなこんなでの昨日、餃子を食べに行ったお店に置いてあった本がこれ。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹
僕らが生きている「今の現実」は夢なんでしょうか、、、、、、。
まとめ
✅ 鬼滅の刃映画・無限列車は想念、夢、現実化を扱った「今風」な映画だった。さて、それを見ている僕は、僕らは現実を生きているのか?
✅ そう考えたときに、諸々のことって「どうでもよくない?」
mits 西田
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