『ありがとう』は口癖にしてしまう


この前、母と会話していた時にふと言われた。


「あなた達(私たち夫婦)はちゃんと『ありがとう』って言うのよね。それに気が付いた時に、私はあまり言って来なかったな、って思ったの。だからダメだった(離婚してしまった)のかもしれない。」

言われた時はあまりピンと来なくて、「そうか?」という感想しか生まれず、もしそうだと思ったなら、ちゃんと言う様に育ててくれた母の功績なのでは・・・とすら思っていたのだけど、


その後よくよく考えてみたら、私、母から「ありがとう」って言われる様になったの、大人になってから、しかもごく最近だった。
もしかしたら、私が言っているのに気が付いて、言う様になったのかもしれないな、とすら思った。


だからと言って、別に感謝をしない人なわけではなくて、何か「ありがたい」って思った時には、母は感謝の言葉よりも、誉め言葉をよく使う人だ。

怒っている時も多かったけど、いつも過剰に誉めてくれる人。
何か代わりにやると(PC設定とか、おつかいとか、旅行の手配とか)「すごいね!さすがだね!すごく助かるよ!」と、こんな感じに。
プレゼントをあげた時ですら「エライ!さすがだね!」と返ってくる。

だから、考えてみたら「ありがとう」なんてあまり言われて来なかったな、と。感謝されているのはわかるのだけど、直接的な感謝の言葉ではない、という感じ。
それ以上に「ごめんね」もあまり無かったから、昔はよく衝突していたな、という記憶が沸き上がってきたぐらいだ。

でも、私は実際に「ありがとう」って言葉を、とても気軽に、場合によっては過剰に使っている様で、それは特に夫に対してよく言っているのだけど、なんでそうなったのかな~と思い返したら、きっと高校生の時だ、と気が付いた。



当時の私は、それはまあ可愛げも今以上に無いし、反抗期が終わってすぐだったので、家族との関係も微妙で、周りの女友達たちがどんどん大人になっていくのを間近に感じながら、「私も変わらないと!」と焦っていた時期だった。

『女子高生』というブランドを、存分に使わないと!とも思っていた。
流行りものにはある程度手を出したし、普通に恋愛もしたし、一方で、女社会って生き辛いな、と思う経験も結構あったけど、結構私の中では高校生活はターニングポイントの1つだった気がする。


その「変わらないと!」の行動の1つに、「運動部に所属する」というのがあった。

小・中と文化系の部活に所属していた私は、運動神経なんてほぼ無いし、走れば「忍者みたい」と言われ、泳げば「溺れているの?」と聞かれるぐらいセンスが本当に無かったのだけど、

人生経験の1つとして『運動部に所属する』という経験をしたい、と思っていた。

でも運動は本当にダメだと思ったので、選手は絶対無理。
じゃあどうする?と考えた時に、マネージャーになる、という選択肢が目の前に出てきた。

別に好きなスポーツとかは無かったので、1年生の時に仲良くなった子達が皆同じ運動部に所属すると知り、私もそこに便乗。そして女子運動部のマネージャーとして入部する事にした。

私の学年のマネージャーは、未経験の私と、経験者の友人の2人だった。(彼女の事は『相方』と呼んでいた)


運動部は思っていた以上にハードだった。
毎日練習があったし、1日休みの日なんて、年間20日もあったかな?と思えるぐらい。毎日の様に学校に通っていた。

先輩も厳しかった。仲が悪いとかでは無かったけど、いつも緊張感があった。

自分に厳しいと、自然と人に求めるレベルも高いのだろう。
先輩の姿を見て、同期も少しずつ、自分に厳しく、人にも厳しくしていく部分が増えていった。現に一緒に入部した子たちは、2年にあがる前に、皆退部してしまった。先輩と衝突した事が原因の子もいた。


厳しい事、忙しい事、辛い事に慣れると、マネージャーに『やってもらっている事』が、当たり前の事と思われる様になった。

確かに、当たり前、って言っちゃ、当たり前、なので、感謝される機会は日に日に減っていったし、
何となく、なんだけど、部内格差を感じる面も多々あって、「サポートする側は、やはり地位は下なんだな」と思った時が何度かあった。

仕方ない事なんだけど、何となく納得いかない、というか、
部活外では仲良くしている気がするのに、疑心暗鬼になってしまう、というか、うまく自分の中で整理できていないのがわかった。



そんな日々が続いていた時、ふと、『相方』があるお願いをしてきた。

「部員が誰ひとり言わなくなっても、私たちの間だけは、最後まで、どんな小さな事でも『ありがとう』って声かけるのを心がけよう」

私はふたつ返事で了承した。

何でその言葉を言ってきたのか、何でそんな会話をしていたのかは正直あまり覚えていないのだけど、
部活の準備を進めている時に言われた事、どんな表情だったか、どんなトーンで言われたのかを、鮮明に覚えている。


それからというもの、どんな小さな事でも、「ありがとう」と言う様に心がけた。
最初は意識しながら。でも次第に、自然と、何も考えずに言える様になっていたし、彼女からもたくさん言われた。
頼み事をしてやってもらった時だけではなく、気が付かないうちにやってくれた事、自発的にやってくれた事に関しても気が付いたらすぐに言う。
よく2人で会話をしたし、選手の様子もよく観察しておく一方で、彼女の観察も怠らず、彼女もよく気が付いてくれた。すごく心強かった。

2人で支え合いながら、無事引退までマネージャーを勤めた私たちは、最後に「もし1人だったら続けられなかったかもしれない」とお互いがお互いに伝えあった。
でもそれはきっと、彼女が出してくれた『お願い』のおかげだ。
高校卒業してから10年以上経つけど、いまだに鮮明に覚えているぐらいだから。

彼女とはその後、別の事で一回冷戦状態になったのだけど、今でも仲の良い友人だ。頻繁に会う、とか、頻繁に連絡をとる、とかそういう関係では無いのだけど、年に数回は会っている友人の1人だ。


そして、たぶん私は、この頃に「ありがとう」を言うハードルがぐんと下がった気がする。そしてそれは無自覚だ。挨拶とか相槌みたいな感じで言っているんだと思う。

だって、いくら親だからと言って、他人にわざわざ言われるぐらい言っているって、本当に頻繁に言っているんだと思う。

なんか、もはやそれって、口癖みたいだな、と思った。

口癖にしてしまっていて、「ありがとう」の安売り状態になっているんじゃないか、とも思ったけど、別に悪い言葉じゃないし、言われて嫌な気分になるって、相当言い方が悪いか、相当受け取り方が捻くれているかのどっちかな気がするから、安売りしてても良いか、と思っている。

伝えないより、伝えた方が良いのはかわりないので。


そして、私にとってラッキーだったのは、夫ももれなく「ありがとう」が口癖になっている人の様だ、という事だ。

例えば夫は、何か私が家事でもやると必ず「ありがとう」と言ってくれる。
洗濯機を回す(洗濯機に適当に洗濯物と洗剤入れてボタンを押す)だけでも言ってくれる。
そんな感謝する事でもないし、何なら夫の方が色々こなしてくれている日ですら、言ってくれる。(例えば10個のうち、9個夫がやって、私は1個しかできなかったとしても、『1個もやってくれたの!?ありがとう!』って言ってくれる。)

すごい。夫は本当にすごい。

きっと自分の労力と、相手の労力を天秤にかける事をしない人なんだと思う。それってなかなかできないと思うのだけど、夫はさも当然の様にやる。
義実家は本当に仲の良い、温かい家族なんだけど、こんな夫に育ててくれてありがとう、と心の底から思う。

もし天秤にかけてしまったら、自分の労力の方が重いなと思ってしまったら、素直に感謝の言葉なんて出ないだろう。

天秤にかけない、って、私にはまだまだ難しそうで、夫の言動を見ては反省する日々なのだけど、でも、それは無理だとしても、「ありがとう」は最低でもこの先も心がけていきたいし、口癖のままでいる様にしていきたいな、と思う。

それすら忘れてしまった時には、きっと私は夫から見限られてしまう気がするし、
母から「あなた達『ありがとう』って言わなくなったね」とか言われる様な未来が来ないようにしたい。



伝えて困らない言葉は口癖にしてしまう。
ここから先の夫婦生活、口癖はもっと増えるかもしれないけど、
「ありがとう」だけは死ぬまで口癖にしていきたい。

そしていつか、私も、労力を天秤にかけない様な人間になりたい。



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