「ボストン1947」時代背景を織り込みつつ爽快なマラソン映画に仕上げた快作【映画感想文】
※映画の内容に深く触れた感想文です。
「ボストン1947」、とても良かったです。
お金の為にマラソン大会に出場し、無愛想を貫いて好かれようともしないが、才能だけは秀でている青年、ソ・ユンボク。
かつてオリンピックで優勝したものの、占領時代だったがために他国のランナーとして表彰され他国の成績として刻まれ、不平を示したために引退を強いられた、ソン・ギジョン。
彼らが紆余曲折あって師弟となりタッグを組み、周囲の人々の応援と助けを借りながら、世界的なマラソン大会であるボストンマラソンでの優勝を目指す、というシンプルで王道なストーリーです。
マラソン大会にクライマックスを据え置き、最大限の感動をそこに持たせるために、師弟ドラマや精神的成長、時代背景などのエピソードを的確に配置して構成してあるとすら言えて、スポーツ映画を観たいという方には特におすすめしたい映画でした。
映画の流れと感想と。
最初は偏屈でいうこともロクに聞かなかったソ・ユンボクだったけれど、だんだんと真面目にマラソンに取り組んでいき、成績をみるみる出していく。その過程で彼が背負っていたものを、周囲も知ることになる。
コーチとなったソン・ギジョンも、自堕落な生活を送っていたものの、次第に心をまたマラソンへとしっかりと向け直す。ソをときに叱責し、ときに背中を押しつつ、ともにボストンへの道を切り開こうと努力する。
そんな彼らの前に立ちはだかるのは、1947年という時代そのものだ。
彼らの故郷は日本軍が撤退した代わりに米軍が闊歩し、韓国はまだその国の名を持たないままで「難民国」とされている。欧米人は日本人と中国人と朝鮮人の区別をつけない、つける必要すらないと思っている。そんな時代に、自分たちの国の名で出場し、国旗を胸につけて大会に出ること、そんな「今となっては当たり前」な土台がないがための困難が次々と襲いかかってくる。
この危機の数々を、同胞たちの努力や、彼らに与する米国の協力者たちの力、そしてソン・ギジョンたちの思いのこもった演説や行動を経て、くぐり抜けていく。
このひとつひとつ彼らがハードルを飛び越える過程に、観ている方も自然と良かった、嬉しい、と素直に共感できる。そういう風に、実は技巧を凝らして作られている映画なのだと思う。
そうして、ついにボストンマラソンが始まる。
何とか国旗を胸につけて、青年はひた走る。42.195kmのドラマが、15分間にわたって繰り広げられる。ここでも差別が描かれ、思わぬハプニングにも見舞われる。どうなることかとハラハラしている。スクリーンの外にいて観ているだけなのに、やっぱり彼らに同調しつづけ、鼓動を高まらせていた。
青年は一番にゴールする。
歴史を知っていれば事実にたどり着いただけの話、けれどその場面にまぎれもなく高揚し、興奮したのは映画の演出の力に他ならない。役者の演技力、演出と脚本、時代を再現した風景、なにもかもあわさって、マラソンを見届けたのと変わらない感動を抱けた。
そんな、とても素晴らしいマラソン映画だったのです。
もちろん、それだけではなく。
時代背景を鑑みれば、日本人が感動したという感想だけを吐くのは、無配慮な部分があるともわかります。ただ、そういった歴史を忘れずにかみしめた上で、それでもなお、映画を楽しめたことも確かで、それは両立しても良い物だと、私は思いたいです。
実話、というかソン・ギジョンは韓国では知らぬ人のいない英雄だそうで、軽くパンフに彼の系譜が書かれていたのですが、生涯を通して彼がマラソンやスポーツ界のために尽くしてきたことを知りました。日韓友好のためにも、行動しつづけたそうです。
そんな方に、いまだにJOCが金メダルを正しい形で彼のものと記せていないことは、悲しいと思いました。
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