第2回 プロカウンセラーの積読打破 『統合失調症の一族 遺伝か、環境か』Robert Koller (2020). (早川書房 2022) を心理分析する (2)
実際に統合失調症の心理療法を担当してるプロカウンセラーが、統合失調症を抱える家族についての本を読んでみました。
6人が統合失調症というわけではないことと「遺伝的素因」
カウンセラーとして慎重に考えたいのは、日本語版の帯に書かれている「12人兄弟のうち6人が統合失調症に」という記述です。
前回に説明したように、出版社には「統合失調症を強調したい」という意向があるようです。「統合失調症」とはインパクトの強い言葉なので、キャッチコピーとしては成功でしょう(実際に本は話題になっています)。
ただし本書を読むと、6人が統合失調症を発症したわけではありません。統合失調症と診断された人もいるのですが、ほかの精神疾患が疑われる兄弟もいます。
そうなると6人全員が統合失調症だとするのは、やや誇張した表現であるのがわかります。事実に従うと「6人のうち何人かは統合失調症と誤診された可能性がある人で、そのほかの精神障がいになった人もいる」です。
これではインパクトが弱いので「12人兄弟のうち6人が」がキャッチコピーとしては正解です。
しかし臨床現場では診断名が不正確なのは、あまり好ましくありません。
統合失調症かほかの精神障害かによって、治療方針が大きく変わるので、この差は注意しておきたい部分です。
現場では「妄想=統合失調症」と安易な診断をしてしまうことで問題が起きることがあります。
本書でも似たような例が挙げられていますが、躁鬱病の可能性がある人に、本来は適用外である統合失調症の薬を使い、症状が改善しないまま数年服薬を続けるという事態が起きています。これは現場でもよく起きることです。
臨床現場にいる者としては診断名について慎重になります。
遺伝的素因はどの程度影響するのか。
この本の主人公であるギャルヴィン一家は、夫婦のあいだに12人の子どもが生まれました。そして子どものうち6人が精神病の症状を呈したので、遺伝学的な負因があるのではと研究者の注目を集めました。
本書のストーリーは「家族の生活」と「統合失調症の研究者たち」によって展開します。ここから、ようやく本文の内容に入っていきます。(これまではタイトルと帯の分析だけです)。
精神病のなかでも、とくに統合失調症は発症の原因が不明とされてきました。
現在は脳内の神経伝達物質に異常があるという仮説が優勢なのですが、では何がその発症の引き金となるのかは明らかになっていません。
統合失調症は統計的には人類全体の約1%に等しくみられる病気です。そのため育ちなどの環境因ではなく、遺伝的な要因が疑われてきたのですが、親から子に直接遺伝したといえる証拠は発見できていませんでした(遺伝病であれば、親がかかれば子のうち何人かはかならず遺伝的素因を引き継ぐ)。
特定の家族内で発症率が高いというのであれば、それは遺伝的な素因が色濃く影響していると推定されます。遺伝的素因が疑われるケースがあれば、研究にとって重要なサンプルになります。
ギャルヴィン家は、12人の兄弟妹のうち6人が精神症状を発症しました。それは遺伝的負因が強く疑われる珍しいケースであり、研究者の注目を集めたのです。
ただし、ギャルヴィン家のケースの場合、統合失調症以外の病気である可能性も否定できません。本書でも統合失調症以外に、気分障害(いわゆる躁うつ病)かもしれないとも言及されています。
そのうえ兄弟間の虐待がある状況で育ったこと、また幻覚剤など、日本では使用が禁止されている薬物使用や、アルコール依存など、精神症状を引き起こす可能性がある要因が数多くあるのは、私には気になる点です。
将来的に精神状態を悪化させる環境因が多すぎるのです。
当事者に直接会わないと正確な鑑別は出来ないため、本の記述だけで判断するのは難しいのですが。精神症状を発症させるような要因がいくつも重なっているため、統合失調症以外の病名も選択肢に上がってきます。
ただし、そういった状況を加味しても、同一家族内における精神病の発症率の高さからは、本書に登場する研究者が提示したように、遺伝的要因が大きいと考えるのは自然だと思います。
結論としては現在の精神医学において主流の考えのように、遺伝的負因とストレスなど外的な要因が合わさって発症した、と考えるのが適切でしょう。
単一精神病論の復活!?
また本書に登場する遺伝学の研究者が明らかにした内容はかなり興味深いです。「精神病は統合失調症やうつ病などスペクトラムである」という意見が提唱されています。
スペクトラムという観点は、すでに精神医学において論じられてきました。それは「単一精神病論」といわれるもので、いまでは主流の考えではありません。
理論を考究した代表としてフランスのHenri Eyのネオジャクソニズムや、日本であれば京都大学の精神科医、村上仁がいます。
本書によると遺伝学的研究からは、統合失調症について単一精神病に類似した結論をあげています。統合失調症も躁うつ病も、ひとつのスペクトラム上に並べることができて、その一つの極が統合失調症であるとしています。
この考えによってギャルヴィン家における精神病を発症した6人を、ひとつのスペクトラム上に並べることができます。
そうなると家族から検出された遺伝子変異が、精神病の発症に関与していることの理由付けができるのです。事実、ギャルヴィン家の遺伝子から特異遺伝子が特定されました。
この点については詳細な理論的検証が求められていく内容です。これだけでも精神医学の歴史を大きく塗り替えるような大きな発見です。ただし現状では、主流な考えとしては広がってはいません。
この理論は製薬会社では創薬費用の目途が立たないため、医学上、重大な発見にもかかわらず、発見に基づいた薬の開発が行われていません。経済的な理由によって将来有望な治療薬の開発が滞るのは、アメリカ社会の影の部分ともいえるでしょう。
ただし本書の注目すべきことは、精神病の遺伝的負因を明らかにするストーリーだけではありません(その部分だけを読んでも科学思想として面白いのですが)。
なによりも大切なのは統合失調症を含めて精神病を抱える人が家族内に6人も現れた、ギャルヴィン家が経験した「アメリカの家族のストーリー」なのです。
Robert Koller (2020). HIDDEN VALLEY ROAD Inside the Mind of American Family (柴田裕之 訳 2022) 統合失調症の一族 遺伝か、環境か 早川書房
注釈
ネオ・ジャクソニズム
ジャクソン (Jackson, J. H.) の神経機能の進化と退行に関する理論を、精神機能の進化と退行に応用、発展させた説。器質・力動論ともいわれる。
アンリ・エー (Henri Ey) によれば、精神機能は下層機能を上層機能が統合するという階層的な構造からなる。この場合上層機能は下層機能とは異なり、解剖的構造とは直接に結びつかない、時間の中で展開する力動的な機能へと進化する。精神機能は下級構造から上級構造へと進化するが、病的状態とは、その関係が逆になり、上級構造から下級構造へと退行する運動を指す。この場合,、症状はジャクソンが神経機能において示したように、陰性と陽性の二つに区別される。 陰性症状とは、正常時に存在する機能が弱化または消失することである。 ここにエーは精神障害の器質的原因を認める。 一方, 陽性症状とは,この欠落によって生じる下級機能の反応, 再建,再統合作業である。
エーによれば, 精神障害においてこの陰性症状と陽性症状とは弁証的関係にあり, 再統合された機能は自律的な進展さえ可能である。 そしてそこには, 心理的力動性が関与するとしている。 このため彼の説は, 器質力動論とよばれる。
単一精神病論
多様な精神病を唯一の疾患過程(躁うつ病)の表現とみなす論。ヤンツァーリック (Janzarik, W.) などが提唱した。これは19世紀前半のグリジィンガー (Griesinger, W.) などによる考え方の再熱であり、精神疾患を全体的かつ統合的にとらえる独特な精神病理学的視点を提供したという意義は認められるが、病態の病理を明確にして疾患分類を確立するうえではマイナスの面がないではなかった。
アンリ・エー (Henri Ey)
現代フランスの代表的精神医学者。1920年代に精神科医としての生活をはじめ、1933年から1970年までボンヌヴァル精神病院長を務めた。 クロード (Claude, H.) の門下生で、ジャネ (Janet, P.) の影響が強いといわれるサンタンヌ学派に属する。ラカン (Lacan, J.) らとともに, フランス精神医学がそれまでの機械論から力動論へと転換していくうえで、大きな影響を与えたとされている。
村上仁 (むらかみ まさし)
日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。西丸四方、島崎敏樹らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。1964年には日本精神病理・精神療法学会を創設し、後に京都学派と呼ばれる多くの精神医学者を輩出した。
引用文献
氏原寛・小川捷之(2000). 心理臨床大辞典 培風館
村上仁 - Wikipedia
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