ミナマタ デモでも…でも。
今だから、撮るべき映画。だからこそ、そら恐ろしく感じる。見えていない脅威に。見えていない事実に。見えていない現状に。
先日予定していた映画、『ミナマタ』を鑑賞してきた。公害を扱う重い社会問題をどのように描くのかが非常に興味をそそられた。
『ミナマタ』2020年アメリカ映画。アンドリュー レヴィタス監督。デヴィッド ケスラー脚本。フォトジャーナリストのユージン スミスとアイリーンの写真集『MINAMATA』に基づく。ジョニーデップ企画主演。美波、真田広之共演。
1956年に公式にメチル水銀による中毒性神経疾患だと確認されているにも関わらず、工場は汚染された廃水を垂れ流し続け、汚染された魚介類を食べ続けなければならなかった地域住民は脳や神経を侵され、手足の震えや痺れや変形、重度な障害を負っていた。満足な補償も治療もないままに被害は拡大。
1970年代 熊本県水俣市周辺では、チッソ工業工場から廃水される水銀による中毒患者やその家族が工場に対し、救済を求める活動をしていた。そこに注目し、世界に問題を報じ、人々に救いの手が差し伸べられるようにと、運動に参加したのがアメリカLIFE紙の元フォトグラファー、ユージンスミスと妻アイリーン。
ユージンは当時52歳。太平洋戦争に従軍カメラマンとして参加し、心身ともに深い後遺症を患い、痛みを緩和させたいが為にアルコール依存症であった。当時21歳のアイリーンと手を携えて、59歳で没するまでに傷んだ心身の最後の力を振り絞るかの様に”水俣”の撮影をする。
エンドロールには現在も続いている世界中の公害問題を抱える都市名が挙げられていた。今も苦しむ人々がいること。国からの救済を受けられずにいる人々がいること。今も裁判が続いていること。
水俣病は日本に限って起きている病気ではなく、中国、ブラジル、タンザニアなど、世界20ヵ国以上の地域で水俣病と同じ水銀中毒が確認されている。
公平に正直に事実を伝えるジャーナリズムの視点でかかれていた。
ユージンの写真や対象物に対しての接し方、一枚の写真が伝える真実が、芸術性を持って訴えてくる。問題の根深さを考えさせられた。
エンドロールが終わるまで立ち上がれない余韻にじんわり涙が出る感動ある映画だった。
…が…残念な点が…これさえなければ、もっと評価が高くてもいいかも…と、気に掛かった点があった。
それを説明するには…深作欣二監督の言葉が浮かぶ。
スターにあまり指示しない監督が、台本を渡されない大部屋俳優には細かく指示することを不思議に思った役者に監督が語った言葉。
「映画はスターだけが映っているのではない。みんなが主役。スターがどんなに一生懸命でも、スクリーンの片隅にいる奴が遊んでいたら、その絵は死んでしまう…」
辛口ではあるが、言わずにはいられないシーンがチラホラ。ジョニデップはひょうひょうとユーモアを忘れない、美波さんも魅力的、真田広之さんも熱い。國村隼さんも厚顔に渋く。青木柚さんもリアル。だけど…画面に映った人々全員の熱量を相乗効果に出来なかったようだと感じた。
その土地を支配する大企業は住民にとって最大の雇用主である。企業はその土地に多額の税金を落とし、また便利なものを市場に提供している。そんな生活と密着した地元の大企業が垂れ流した毒。
その毒で罪のない子供や家族が取り返しのつかない障害を負い、死に至らしめられ、なおかつ奇病と言われ忌み嫌われ、差別されてきた人々。そんな人々が勇気を振り絞って、大企業を相手に声を上げる。企業の闇に光を当て、勝てるかどうか分からない明日をも知れない戦いに身を投じてデモをされている。
真田広之さん演じる、痛みや苦しみ怒りを抱えながら熱く演説する被害者側の人物と、同じ気持ちを抱えた人々がデモをしているはず…だけれど、映画ではその人々が烏合の衆にしかみえないところが残念。撮り方のせいか⁈エキストラへの説明不足が原因か⁈エキストラの人数が少なすぎたせいか?
ユージンが日本に降り立った1971年。私が生まれた歳。1970年代のさまざまなデモの様子はTVで観ていた。幼い私にも必死な形相で何かを訴えている人々の姿は未だに印象的に残っている。だからこそからか…エキストラの迫力不足は否めない。
問題意識の薄さは、映画のエキストラに現れているように思えた。私たちの姿がそこに投影されていると思えば、致し方ないとも思えた。あくまでも私の主観だけれど…
大企業相手に環境汚染訴訟をする映画と言えば、ジュリアロバーツ主演の『エリン ブロコビッチ』を思い出した。クロムに蝕まれる市民の為に立ち上がった一般女性の話の痛快さも良かった。
あまり重すぎる描き方は、鑑賞する気になれなくなるし、だからと言って軽く扱われて良いテーマでもない。切り口や表現方法が問われるテーマだと思う。
今回ユージンスミスさんが亡くなって40年。生誕100年を期にジャーナリストの視点で描かれたことが興味深かった。
映画を見たばかりで、細部が気になってしまったが、何十年か経ってこの映画で思い出すのは、きっとジーンスミスの写真『入浴する智子と母』。胎児性水俣病として生を授かった我が子を慈しみながら一緒に浴槽に浸かる母の姿。イタリアでみたマリアがキリストを抱きかかえる『ピエタ』に重なるような慈愛に溢れた写真だと思う。
ともあれ、これからますます環境問題に一石を投じる映画が撮影されることをに期待している。