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飢饉を乗り越えた奇跡!佐賀・伊万里「すみやま棚田」誕生秘話

極難開(ごくなんびらき)が語る、先人たちの熱い想い


こんにちは
のんびり棚田ライフ亮です。
今回は、すみやま棚田が誕生した背景にある、驚くべき物語「極難開(ごくなんびらき)」についてご紹介します。

幕末、大飢饉に見舞われた伊万里
今から約150年前、慶応年間の1865年から1867年にかけて、佐賀県伊万里市二里町周辺では大規模な飢饉が発生しました。ちょうど幕末、大政奉還があった頃です。人々は食糧難に苦しみ、生きるために必死の状況でした。

吉永伊兵衛の決断と「極難開」

この危機的な状況の中、立ち上がったのが地元の酒造業4代目、吉永伊兵衛でした。当時30歳そこそこだった伊兵衛は、「巨財を投じて開墾が困難な地域に事業を起こし見事に水田をつくり、民を救済した」と伝えられています。この偉業を「極難開(ごくなんびらき)」と呼び、現在もその証として石積みが残されています。

正確な高さは不明ですが4m程度はあります

なぜ、伊兵衛は「極難開」を決断したのか?
伊兵衛は、なぜ困難な開墾事業に乗り出したのでしょうか?それは、人々の飢餓を目の当たりにし、何とかして助けたいという強い思いがあったからでしょう。伊兵衛は、人手を雇い荒れ地を開墾し、新たな水田を作ることを決意したのです。

大型機械もない時代の人々の努力
大型の機械もなかった時代に、人々はどのようにして荒れ地を開墾したのでしょうか?それは、人々の手と汗、そして助け合いによって成し遂げられたものです。石を積み上げ、水路を掘り、一つ一つ丁寧に作業を進めていったことでしょう。彼らの努力と情熱がなければ、すみやま棚田は存在しなかったかもしれません。

150年前の人々が見た世界と、私たちが生きる今
150年前の人々も、私たちと同じように美しい自然や、豊かな暮らしを求めていたはずです。しかし、彼らは私たちが想像もできないような困難な状況に直面し、それでも未来に向かって歩み続けました。

大型の機械もない時代、人々は助け合い、食べるために荒れ地を開墾し、見事に成就させました。こんな先人たちの思いが詰まった場所を私たちは決してなくしてはいけないと思います。

石積みから見た景色

すみやま棚田が私たちに教えてくれること

すみやま棚田は、単なる水田ではありません。それは、先人たちの努力と情熱、そして人々の繋がりを象徴する場所です。私たちはこの場所で、自然の大切さ、食の大切さ、そして人との繋がりを学ぶことができます。

すみやま棚田を訪れるたびに、私は先人たちの偉業に思いを馳せ、そして未来への希望を感じます。私たちも、先人たちの想いを引き継ぎ、この美しい自然を守り、未来へと繋いでいかなければなりません。

すみやま棚田の誕生秘話「極難開」は、私たちに多くのことを教えてくれます。それは、困難な状況でも諦めずに努力すること、人との繋がりを大切にすること、そして自然の恵みに感謝することの大切さです。

すみやま棚田を訪れ、その歴史に触れてみてください。きっと、あなたも何かを感じることができるはずです。

地元の二里町史より引用

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