酔いどれ天使 テーマについて
黒澤明監督の作品を見ようということで二作目です。
今回は酔いどれ天使について。
初めてみた黒澤作品である野良犬とも絡めて書いていきます。
主人公である医者が作中で繰り返し言っていました。
「理性さえしっかりしていれば結核になんてならない。」
「人間に一番必要なのは理性だ。」と。
ここが根底にある作品のように感じました。
もう一人の主人公である、ヤクザの松永は、結核を患っていました。
直すために医者と向き合おうとし、喧嘩をし、また向き合おうとし、
と繰り返していく中で、
医者の言うことを聞こうとしていました。
しかし最後はヤクザの相手を恨み、殺そうとし、そのせいで死んでしまいました。
その時の医者と女性との会話がありました。
女性「もう少しでああならずに済んだのに…。」
医者「それなのにあんなバカしでかすのがヤクザだ。それがくだらないって言うんだ。苦しさだって言うんだ。」
理性させ保っておけばこうはならなかったかもしれないのに…。
話は野良犬に変わります。
野良犬では、
「世の中は悪いがそのせいにして悪いことをする奴も悪い。」
と言われていました。
主人公は、犯人と同じ境遇であったのにも関わらず、
自分の理性によってその道には進みませんでした。
野良犬も酔いどれ天使も、
境遇や環境が悪かろうと、人間は理性によって生きなければならないと説いているように感じます。
一方でこの医者もあまり理性的でないように思います。
人を助けようと必死で、優しい方なんだろうと思いますが、
松永に向かってものを投げたり、子供に怒鳴りつけたり、
相手が危ないことをしていると理性が飛んでいます。
医者が理性的に松永を見守ることができたら、
もしかしたら結果が変わっていたのかもしれないとも思いました。
演出の話にもなりますが、
松永が刺された時、
彼は扉を開けるようにして亡くなりました。
もう少しで悪い道から解放され、
新しい場所で生まれ変わることができたことを意味しているようでした。
池から空気が出ている描写が、
肺に穴が空いていることを暗示していたこともあり、
そういったメタファーが使われているようにも思いました。
(マンドリンと影絵、絵の具まみれになるところ、医者が松永の骨に触れなかったこと、町が岡田のものになったこと、
あたりもメタファーとして使われているのかなと思いましたが、
一旦今日はわからなかったのでまた機会があれば。)
最後に、「酔いどれ天使」というタイトルだったことを思い出しました。
酔う=理性が飛ぶ
ということでアルコールを飲んでいることにもしかしたら意味があったのかも。
医者が消毒用アルコールを水で割って飲んでいたり、
松永がベロンベロンに酔っていたりしたし。
一旦今日は時間もなくなってきたのでここで終わりますが、タイトルにも注目したいと思いました。