つよくてしっかり者なあなたへ
最近、著名人が自身のパニック障害について発信するのをよく目にします。
私もちょうど1年前、おそらく疲労の積み重ねからパニック発作に襲われました。
なので今はその辛さがよくわかりますが、自分が倒れるまでは、全く想像できませんでした。
きっと多くの人がそうなのではないかと思い、自分はあの時あの感覚をどう表現していたか、倒れた翌日に書いた文章を今になって掘り起こしてみました。
私は幸いこのとき以来発作は起きていないので、パニック障害の定義にはあてはまらないかと思うのですが、1週間くらいはギリギリのところをさまよいました。
その1週間は、もう一生このまま電車や新幹線に乗れないかもと感じるくらい絶望的な心境でしたが、今は特に問題なく、寝不足に気をつけて過ごしています。
以下、ちょうど一年前に書いた文章です。
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2023年8月1日15:06
昨日の夜、はじめて救急車を呼んだ。
連日締切に追われ慌ただしい日々を過ごしていたが、昨日の午前、ひと段落。
ごほうびにラーメンを食べてお腹いっぱいで帰るところだった。
本屋に寄り道して雑誌コーナーをぶらぶらしていた時。
突然、世界が歪むような、まるで舞台が縦横ぐにゃぐにゃに回転して場面転換するかのような感覚に襲われ、あやうくその場で倒れそうになった。
まずい。なにこれ。
なんだかわからないけど、多分ここで焦ったら、いわゆるパニック?になってしまう、ここは深呼吸でいったん落ち着くべきだ。
そう思って私は必死に焦らないように努めた。
しかし世界の歪みはなかなかおさまらない。
なんだかふわふわする。世界が回る。床が動く。
手が痺れるような気がする。
これ、今月3回目くらいだ。おかしいな。
もう2年くらい休んでないし、さすがに疲れすぎてんのかな。
スマホを取り出して、とりあえず「めまい」で検索した。
正直これが「めまい」なのかもわからなかったが、他に当てはまる日本語を知らないので、多分これは「めまい」であってると思う。
「目眩」?「眩暈」?
椎名林檎の歌でしか見たことない。
これまで体験したことがなかったので、感覚はこんなもんだった。
急いで検索したものの、文字が頭に入ってこない。
完全に焦っている。
このままではまずい、一旦帰るか?帰れるか?
もし電車の中で倒れたらめちゃくちゃ迷惑かけるぞ?
どうする???
ぐわんぐわんは続き、立っているのも心配になってきたので、一旦冷静にカフェに入って座ってみることにした。
熱中症かもしれないので、レモネードをがぶ飲み。
でもお茶はずっと飲んでいたし、熱中症ではないだろう。
じっとしてみるも、"めまい"はいっこうにおさまらない。
思い返してみれば、先週あたり、ひどい頭痛で仕事にならない日があった。
え、脳の病気か…?
ますます心配が膨らむ。
しかし、めまいに振り回されているわけにもいかない。
今日また別の締切の仕事がある。
不安はありつつも、家に帰ることにした。
なんとか帰宅し、ベッドに横たわった状態で仕事を進める。
ちょっとでも動くとまた世界が歪み始める。
トイレに行く時はあらゆる家具につかまりながら歩いて、やべー倒れる倒れると思いながらベッドに戻った。
今日の仕事は無事終わったものの、明日は現場仕事だ。
前日にキャンセルするのも迷惑だが、明日ドタキャンすることになるのはもっと迷惑だと思い、代わりを探すことにした。
作家の先輩や後輩に代わってもらえないかLINEを送って、一応病院に行ってみようかと考え始めた時にはもう18:30だった。
18:30はちょうど病院が閉まる時間だった。
Googleマップで調べても、どこも営業時間終了。
どうしてもう一歩早く気付かなかったのかと悔やんだ。
明日起きてから行くか?
しかし世界の歪みはいっこうにおさまらない。
どころか、世界の"うごめき"といった表現の方が近くなってきた。
ぐお゛お゛お゛ん‼︎‼︎‼︎ みたいな。
心配だ。
さすがに心配だ。
なんだか呼吸も荒くなってきた。
色々調べた結果、#7119 という、救急相談ができる窓口があることを知った。
そこに電話をかけるほどおおごとなのか?とも思ったが、もしここで私が突然倒れると、目の前で何も知らずのんびりくつろいでいる父親が慌ててしまう。
自分が冷静なうちにかけよう。
父親に、めまいがするから病院を探す、と伝えると、「ええ、大丈夫なん??もう閉まっとるやろどこも」とまだ焦った様子はなく言っていたが、私の気持ちは焦っていたのでとりあえず電話をかけた。
#7119
感情の起伏のない女の人の声で応答があった。
(悪い意味ではありません)
こちらもつとめて落ち着いて事情を話す。
問診を終え、そしたらお近くの病院を探しますねと言われたあたりから、突然、頭がサーッと血の気が引くような感覚になり、心臓はドクンドクン、手足は力が入らなくなり、目の前が真っ暗になった。
あ〜〜〜!
おわったーーーーー!!!と思った。
脳内で何かしらが起こったぽい。
途切れ途切れの息で
「すみません、ちょっと急に容態が悪くなったんですが」
「ああ、そうしましたら救急車に切り替えることをおすすめします」
「わかりました。救急車にかけさせていただきます。これはもう切って大丈夫ですか?」
電話を聞いていた父親はあわあわと歩きながら、そんなに悪いん?救急車は呼ばんでいいやろ、タクシーで行けばいいが、と言うが、こっちはもう死ぬかもしれないと時すでにパニック。
119
「火事ですか?救急ですか?」
やばい、しぬ、やばい、しぬ。
目の前はまっくら。
最後の力を振り絞って、状況と住所と名前を冷静にはっきり答えて電話を切る。
NSCの滑舌の授業の先生の顔が頭をよぎった。
救急車がタクシー代わりに使われて、本当に必要な人が助からない、みたいなニュースを何度も見たことがある。
私は救急車を呼んでよかったのだろうか。
そっちの心配で頭がフル回転し、意識がしゃんとしはじめた。
少し回復したので、もう一度119をかけた。
「先ほど救急車お願いした岡本ですが、タクシーで行けないこともないかもしれないのでタクシーで行った方がいいですかね?」
「もう救急車向かわせたので大丈夫ですよ。救急隊員にそれ伝えてみてください」
この電話も迷惑だったかもしれない。
119もたくさん鳴っているだろうに。
めまいと手足の痺れもさることながら、救急車がうちのマンションに到着してしまう!という新種の不安がごちゃ混ぜになり、這うように高速移動して保険証、財布、お茶、すぐ脱げるサンダル、何かあった時のためのタオルを用意した。
父はその間ずっと、え〜どうするんよ〜〜ちょっと〜タクシーでいいんじゃないん〜と右往左往していた。
〜〜〜
余談ですが、
私も父もこの時、本来の体調の心配とは別に、救急車さんに迷惑かけてうちまで来てもらう、マンションの他の人に野次馬されてしまう、おおごとにしてしまった、みたいな感情が心に渦巻いていたと思う。
それは私が思うに、(みんなもある程度はそうかもしれないが、)田舎者特有の、"よその目"を気にしたものだったと思う。
父のことをディスっているわけでは全くないが、私は、自分の大切な人が不調を訴えたら、体調を最優先に声掛けしてあげられる人間になりたいと思う。
〜〜〜
そうこうしているうちにピーポーピーポーと聞こえてきた。
自分に向かってくるピーポーは初めてで怖かった。
父に、早く救急隊員のところに行って「タクシーで行けます」と伝えてくれと言ったが、もう来とるが、どうするん、みたいなてんやわんやの言い合いになり、結果的にはたから見たらめちゃくちゃ元気な感じで親子喧嘩しながら階段を下っていった。
それを見た救急隊員さんが、「ああ、よかった…」とボソッと言った。
(1年後追記:この言葉が今も頭から離れません。仕事で来てくれているのに、本当に心配してくれていたのだと感じました)
バカが慌てて救急車を呼んだみたいな感じになってしまった。大変申し訳ない気持ちになった。
まあでもこれは、検査の結果大きな問題がなかったから出てくる感想であって、やっぱり何かあってからでは遅いので、救急隊員さんには来てもらってよかったと思う。
救急隊員さんは優しく、近くの入れる病院をこちらで探してお連れしますよと言ってくれた。
申し訳なさとありがたさでいたたまれなくなり、私は何度もすみませんと言い続けた。
そこから夜間救急で脳外科と耳鼻科を探してくれたが、他にもたくさん急患がいるのか電話がつながらず、体感15分くらい病院が決まらなかった。
救急医療は、本当に大変な現場だと思った。
救急隊員さんからの問診で、くるくる回転するような感じか、ふわふわ浮くような感じか、そこが大事でして、と問われた。
ネットで調べた時にも、そこが脳の問題か耳の問題かの大きな分かれ道だと書いてあったので、大事なのはわかるのだが、これはくるくるなのかふわふわなのか、どっちだ?!!
非常にむずかしい。
自分の言葉で言うなら、平衡感覚が取れない感じ、ぐわんぐわん、なのだが、くるくるとも言えるしふわふわとも言える。
非常に、むずかしい!!
うーーーん!と悩みに悩んだ結果、くるくるでお願いします、と伝えた。
もしふわふわと伝えていたらもっと緊迫感が増していたのだろうか…?こんな大事な言葉選択を任せられるなんて、患者のリテラシーも問われているぜと思った。
ようやく近くの大学病院が受け入れてくれることになり、ピーポーを鳴らしながら進んだ。
外はカーテンで見えないが、私のせいで車や歩行者が道を開けてくれていると思うとまた申し訳なかった。
とても泣きたかった。
救急車のてんやわんやで一時めまいや痺れは小康状態だったが、静かにピーポーに揺られていると徐々にまた呼吸が苦しくなり、手が痺れ始めた。
「しびれ」というが、これまたわかりにくい。
私の言葉で言うと、手の血液がビュンビュン駆け巡り、異常事態!異常事態!と言いながら、ワー!と赤血球たちが走っているような感覚だった。
どうしたどうした、速いよ!!という気持ちになる。
他人に伝える言葉で言うなら、手の表面がジンジン、ピリピリというあたりかもしれない。
これをおそらく人々は「しびれ」という言葉で共通認識を持っているのだろうと思い、「手が痺れます」と伝えた。
しかし痺れはおさまらず、だんだん腕、胃のあたりにまで広がってきた。
そしてついに指先がこわばりはじめる。
目がすわって、開けられない。
やべー!これはまじでおわりだ!!
さっき気抜いてたけど、やっぱ本当にやばい病気だ!
脳梗塞か?くも膜下出血か?
脳から血が出ているの??!えっ?!!!
心配で、不安を声にしていないと落ち着かなくなった。
心配だなぁ、大丈夫かなぁ、大丈夫だと思うんですけどねえ、とずっとひとりごとを言っていた。
救急隊員さんは、過呼吸だとそういう症状が出るので、過呼吸の可能性は考えられますね、ゆっくり呼吸しましょうね、と言ってくれたが、実は、自分としてはめちゃくちゃ落ち着いて呼吸をしている。
過呼吸ってのは、明らかに息が上がっているようなパニックの人が起こるやつじゃないのか…?
私は今いたって冷静に呼吸をしていますよ…?
私、メンタルばか強いわけではないですけど、一生懸命頑張れる人間なので、気を強く持って過呼吸にならないように頑張れますし!はい!!
………?!
過呼吸じゃないなら、えっ、、
ってことは、脳の病気ですかねえ!!?
あああああ心配だ!!
ああああしびれがあああああ
たすけてえええしぬうううう
(すべて心の声。しんだ顔でうなだれている)
私はストレッチャーで病院内に運び込まれた。
救急隊員さんが病院の人に何か説明してくれている。
「かかんき」という言葉が聞こえた。
後から調べたら、
「過換気」とはいわゆる過呼吸のことらしい。
脳神経外科のお医者さんの問診を受け、CT検査をすることになった。
数年前にもおそらく過労で体調を崩して夜間救急にかかったことがあり、ばあちゃんがくも膜下出血で寝たきりなので、脳を見ておこうとMRI検査をしてもらったことがある。
※脳に異常はなかった
MRIは轟音で、怖いというより恐ろしかったのでとても嫌だったが、CTは無音で一瞬で終わった。
それからしばらく、めまい止めの点滴をしながら病院のベッドで結果を待った。
心配で心配で、ひとりごとが止まらなくなった。
ずっと小さな声でぶつぶつと、目に映るものや聞こえるものや感情をすべて口にしてしまっていた。
せいりしょくえんすい……
しんぱいだ…はぁぁ…
3…(ベッドの番号)
しんぱいだ…
でんわがなってる……
しんぱいだ…はぁぁ……
きょうはいしんのおんげんはだいじょうぶか…
はぁぁ…でんわがなってる…
頭がおかしくなったかと思った。
うるさかったらとても申し訳なかった。
そして、こんな毎秒毎秒緊迫した現場、私は笑いに包まれた現場にいるが、こんなにも真逆の、笑えない現場で、人の命を助けてくれる医療の人々は本当にすごいと思い、涙が出てきた。
医療もサービスではあるけど、これはお金を払えばいいとかいう話ではない。
お金では感謝しきれない仕事だと思った。
助けてくれた救急隊員さん、専門知識を持って診てくれた脳神経外科医の方、でかい重い私を運んでくれた看護師さん、感謝が止まらなかった。
自分は今後どういう働き方をしていくべきなのか、世の中に対してどういう貢献ができるのか、ぼんやり考えていると、検査結果を告げにきてくれた。
脳のCT検査の結果、異常はなかった。
はぁぁ…よかったですぅ…と心の声が、変な音色で漏れた。
翌日耳鼻科の検査を受けるために帰宅することになった。
点滴のおかげもあって普通に歩けるようにはなったが、今現在もまだ頭はどこかふわふわしている。
朝起きて死んでいたらどうしようと思ったが、今日も生きていた。
私は130歳くらいまで、あわよくば最新鋭の科学でどこまでも生きのびたい派なので、朝死んでいたら悲しかった。
改めて冷静に思い返すと、#7119の電話中と救急車の中は、過呼吸になっていたのだと思う。
"まさか自分が" とはこのことだと思った。
中学生の頃、よく授業中に過呼吸になる友達がいた。
私だって学校なんか嫌だけど、頑張って泣かずに過呼吸にもならずに学校に通っているし、なんで過呼吸になるのかわかんない。心が弱いのかな?と偉そうに他人事として思っていた。
つまり、自分だってそこまでメンタル強くはない自覚はあるが、我慢して耐えて頑張れば自力で立っていられるし、仕事も止めるわけにもいかないし、気合いがあれば乗り切れる!不安で過呼吸?ならないならないw 心が弱すぎるんじゃないの?私はつよいから大丈夫です!というタイプだったが、この時はしっかり不安に負けて救急車のお世話になっていた。
もしこのような過呼吸なんかとは縁遠い、"自称忍耐強い人"がいたら、もし何かひょんなことで過呼吸になってしまった時のために、頭の片隅に置いておいてほしいなと思った。
ベルトコンベアーに乗っているような感覚で、え?うそ?と思った次の瞬間にはすーっとブラックアウトしています。
すべり台をすべり降りながら、
あーーーーーー です。
えーーうっそーーーん てかんじ。
救急車の中で発作が起きていた時は、ブラックアウトというよりはパニックがただただクレッシェンドしてく感じだったので、過呼吸にも様々な状態や感覚があると思うんですが、何が言いたいかというと、制御不能なので、自分を過信しすぎないようにしよう、ということです。医学的な話ではなく、考え方というか心持ちというか。
呼吸もゆっくりできてるし、私、はっきり冷静な意識あるんで!過呼吸じゃないです!気も強く持ってるから耐えれます!我慢できます!過呼吸とかそういうのならないです!…てことは…この震えと痺れは…やばい病気だ!!とさらなるパニックを呼ぶよりは、過呼吸になることだってあるので、不安がこれ以上余計に広がらないように、今の気持ちが落ち着くといいな、くらいに考える。
これはちょっとした違いだけど、自分のためにもまわりに余計な迷惑をかけないためにも覚えておいてもいいのかなと私は思いました。
何度も言いますが、医学的な話ではなく、自戒を込めて、過呼吸を他人事と思わないようにしようという話でした。
パニック障害、へえ〜大変ですね(T_T)じゃなくて。
ありゃやべえ。絶望。
他人の痛みや苦しみなんかわかるもんじゃない、大体わかったふりだ、でも、想像しないよりは想像つく範囲で想像して思いやるのがいいかも。
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このnoteのタイトルは、「救急車体験記」あたりが最初に思いつくところでしたが、救急隊員の方々や看護師さんお医者さんの労働環境を見ていると、微塵もふざけてはいけないと感じたので、別の角度から書こうと思いました。
そしてこの経験を書き残しておくなら、「自分は大丈夫、めっちゃ頑張れるし精神もフィジカルも強い」という自己認識があるタイプの人が、万が一の時、ちょっとだけ役に立つかもしれないと思ったので、そういう人が釣られそうなタイトルにしました。
正確には「ただ強がりな人」な気もしますが、周囲から「しっかり者」に見られていて、そうならざるを得ない状況の人も多いかもと思ったので、そういう人が自分ごととして気になってほしいなと思い。
ちなみに家で療養していた時、YouTubeでパニック障害について調べていて、個人的に一番びっくりしたのが長嶋一茂さんでした。
あのマイペースそうで柔軟そうなイメージの長嶋一茂さんですらそうなるんだったら、もう強いも弱いもへったくれもないなと思いました。
ただ健康に気をつけて生活しよう、とだけ思いました。
また、最後に、私のような責任感強いので仕事どこまでも頑張れます、任せてください、弱みは絶対に見せたくないので私のことは心配しないでください、大丈夫です、みたいなタイプの人は女性の作家になぜか多いし世の中にもたくさんいると思いますが、上司からするとそういう人が実はいっぱいいっぱいになっていないか気にかけておく必要があるし、弱みを見せてないつもりでも実際は無理に頑張りすぎている感じがダダ漏れて見えているしで、結局むしろ周りに気を遣わせて、つまりひとりよがりなことが多いんだろうなと最近感じています。
この時のめまいやパニック発作もこれといった明確な原因はわからないので、おそらく仕事が立て込んだ寝不足(過労?)なのだと思いますが、本当に仕事に責任感を持つなら、仕事を何でもかんでもできますやりますと巻き取るのではなく、自分の体力と生活に臨時用のゆとりを設けておくべきだし、そのバランス感覚の方が社会人として大事なのではないかと思いました。
人間って本当にむずかしいですよね。