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君たちは、雑草とどう生きるか。

こんにちは。ガーデンデザイナーの柵山です。

暑い日が続いております。
強い日差しを受け、わさわさと茂る草地をよく見ると、ゆらゆらと時折風に揺れるネコジャラシが多く見られるようになってきました。私の好きな雑草の1つです。

皆様の家周りの敷地やお庭はいかがでしょうか。
梅雨前に忙しくて草取りをできなかった方は、もしかして、暑い日差しの中、覆い茂った草と格闘の日々かもしれません。

「草取りの時間は庭と向き合う時間。可愛らしい草は、そのままにしても良い。」

と、敢えて先に私の思いをお伝えした上で、温暖で雨の多い日本の暮らしの中で、必ず向き合わざるを得ない“雑草”というものについて掘り下げていけたらと思っています。


そもそも“雑草”とは

そもそも雑草という言葉の意味ですが、

「人間の栽培目的以外の草本植物。種が土壌の中に残り易い強靭な植物。農産物の生育の妨げになるもの。」

一般的にこのような意味となっています。
人にとって、不都合なものとしての呼び名となっていますね。

畑や庭など、人が管理している範囲で、意図せずに生えてくる草が雑草であり、同じ草でも、人が関わっていない野山に生えていたら、“野草”と呼ばれるんですけどね。 

雑草とは何か特定の品種を指しているものでもなく、可愛らしい花を咲かせる野草もところ変われば、雑草扱いとなってしまうわけです。

野草という言葉の方がなんだか、イメージは良いですね。
ただ現在、“雑草”と一般的に使われている意味合いとしては、「意図せず勝手に生えてきた利用価値の低いと思われている草類」といったところでしょうか。
こうしてみると、雑草とは、無駄で排除すべき存在のように思えてしまいますが、果たしでそうなのでしょうか。


雑草は、森をつくろうとしている?

「なぜ雑草は生えるのか」なんて、考えたことはありますか?

それは、生産された大量のタネが、風や雨水や生き物たちなどによって拡散されるからで、少しの隙間の土や埃があれば、そこに根を張る強靭な生命力があるからなのです。
ですが、もう少し視点を変えてみたいと思います。

雑草たちは、何をしているのか。

“植生遷移(しょくせいせんい)”という言葉を聞いたことはありますでしょうか?

植物の無い状態のところに先駆植物が定着し、長い年月をかけて 森林を形成してゆく過程のことです。

下の図をご覧ください。

人間が介入しなければ、長い年月をかけて大地は、やがて森になるわけです。
このような視点で植物を捉えた場合、雑草と言われるものたちは、地上で森になる過程の初期段階の先駆的な働きをしていることが分かります。
繁茂しては枯れ土に還り、また発芽を繰り返し、根で土を耕し、土壌を豊かにしてゆきます。
そのように草類が作り上げた土壌は、やがて小さな木々が育つ環境になってきます。

大地が開発で裸地になっても まるで傷口をかさぶたが覆うように、直ぐに草が生えてくる。
見方を変えれば、草たちは、そこがアスファルトのような場所であっても、ひたすらに「森づくり」を行っているということになります。

草たちが森づくりの土壌づくりをしているのであれば、その草は、その土地に必要だから生えているのであり、厄介者の大型雑草ススキやセイタカアワダチソウやチガヤのようなものは深い根や地下茎で縦や横に地盤を耕しているように思えてなりません。

何年も放置した庭が、大型の草で覆われたり、藪化しているのは、森になってゆく過程の姿であり、それが自然界の原理であり、その中で我々は生きています。
そのために、我々は、生活する場においては、植生遷移を止めたり緩めたりする必要があるわけです。
雑草抜きも、樹木の剪定も、言ってみれば、ガーデニングというものが、植生遷移を受け入れ、それを止めたり緩めたりする行為という表現にすると、また違った自然との向き合い方になりますね。

なんだか、スケールの大きな話になってしまいましたが、もう少し身近な目線で不要な雑草と言われる草たちの役割をいくつか挙げてみます。


生物多様性を支える草地

エンジン式の草刈り機で草刈りを始めると、ピョンピョンと何かが飛び跳ねたりします。
バッタや小さなシジミチョウなどの虫たちです。手抜きで草取りをする際は、目線が近づきますので、カマキリやカエルが突如現れドキッとしたりします。
虫たちに申し訳ないな、、と思いつつ、草刈りを続けるわけです。

まさに、草地は生き物たちの住処なのです。
草刈は、そうした生き物たちの住処を奪うことになるわけで、そんな視点も持っておくことも必要かもしれませんね。

こんな話を聞いたことがあります。
ソバの花の受粉時期に、畑の周囲の雑草を刈る場所と刈らない場所を設け、収穫量を計測したところ、刈らずに草地を残した畑の方が、収穫量が高いという実験データが出たということです。
理由は、受粉の差です。ソバの花の受粉を促す虫たちは、夜などに草地に身を隠し住処とします。したがって、草地のあるエリアに虫が集まるからという訳です。


蜜源としての雑草


そのように、受粉によって、自然界の木々や草花は、タネを残し、次世代に命を繋ぐことができるわけです。その受粉を促す役割が、ハチや蝶などの送粉者たちで、それらを支える存在として雑草たちも役割を担っています。
雑草も花が咲くわけで、秋に黄色一面に開花するセイタカアワダチソウなどは、花の少ない秋の貴重な蜜源として、貢献しているのではないでしょうか。

何気ない草地が、地域の生態系にとっては、大きな役割をしているのかもしれませんし、これらのような草の空き地は、現代ではあまり見られない景色の1つになってきた気がします。

大きな視点で捉えた時に、アスファルトの隙間に生える雑草の見え方も変わってきませんか?
雑草を邪魔者として、一切寄せ付けない舗装環境を作ったり、薬剤などで全滅させる行為がちょっと不自然で残酷に思えてきたりします。


雑草ををしむコツ

そう考えると現代人にとって、雑草取りの時間は、大地の自然そのものと向き合う貴重な時間なのかもしれません。
雑草の存在を排除するのでなく、生活に取り入れ楽しむことが、地域の自然環境を感じ、郷土愛を育むための1つの手段でもあると思います。

鑑賞価値が無いように思われる雑草ですが、良く見れば、小さな花ですが、可愛らしい花も咲きます。

ヒメジョオン
ツユクサとイヌタデ

雑草飾りなんていうのも素朴で素敵ですよ。
小さなガラス花器なんかがあると便利ですしオシャレになります。

左から シロツメグサ・ランンキュラス・ハナニガナ
カッコウセンノウとヒメコバンソウ


「雑草という名の草は無い」

現在朝ドラでも放映中の牧野富太郎の言葉が、身に染みてきます。

まず名前を知ること。
人間関係でもそうです。まず名前を知るだけで、愛着が湧いてきます。

厄介者の雑草で有名なドクダミ・スギナ・ヨモギも、最近は、お茶や薬用チンキやオイルにして利用する方も増えています。
春のヨモギの新芽などは、天ぷらにすると美味ですよ。
最近では、お庭づくりの相談の中で、「ヨモギを庭に植えたい」「ドクダミを植えたい」なんていう方もいます。

食用に収穫したカゴの中は、ヤブカンゾウ・ヨモギ・ノビル・カラスノエンドウ


雑草取りは心のバロメーター


雑草の世界は、時間に余裕があればあるほど楽しめる世界かもしれません。

足元にある小さな季節の変化に気づけるなら、心に余裕がある証拠。

逆に言えば、忙しいからこそ、時に雑草取りを楽しむことで、現代のストレスから解放される癒しの時間になり得るとも言えますね。

1日中草取りをするって生産性の無い無駄な時間だと思いますよね?現代の価値観だとそうなります。

ところが、草取りの日の夜は、心地よい身体の疲れと指先に残る土の感触と庭が綺麗になった爽快感も含め、とても充実した日であったと振り返ることになることでしょう。

現代の住宅の中でも上手に雑草地を残し、雰囲気良く観賞することだってできます。草が生えて楽しむことを前提としたお庭のデザインだって可能です。

でもそれですと、もう雑草とは言いませんね。

“雑草“と一緒くたにするのでなく、好きな草を残し、他は取り除く。こうした除草の仕方を選択式除草と言ったりします。

雑草を楽しむための庭作りや雑草の様々な利用の仕方など、まだまだ雑草の話は尽きませんので、、、またの機会に続編をお伝えできたらと思います。


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最後に雑草を受け入れたお庭のご紹介。

芝の中に勝手に生えてきたシロツメグサを丸く残しています。

抜くのが大変な大型雑草ですが、スイバの絶妙な色目が美しく、スイバを残しながら草刈をした状態。

可愛らしいネジバナが咲くエリアは、芝刈りできません。

雑草が生えてくるであろうことを前提に、古レンガの目地を広めに空けています。

タンポポはついつい残してしまいがち。芝生エリアがだんだん草むら化しつつあります。

私のようにあまりにも雑草に心を奪われてしまうと、必要なときに抜けなくなりますので気を付けてください(笑)