選ばれる人
先日、祖父の命日に従いお坊さんが来た。
定期的に実家に来て仏壇に向かって唱えてくれる。
祖父が亡くなったのはもう10年以上も前のことで、何度も来てくれている。
けれど私はこれまで居合わせることが少なく、久しぶりにお坊さんの念仏を聞いた。
久しぶりにお坊さんに会ったけれど、そこにいるお坊さんが
祖父のお葬式でお世話になったお坊さんと同じ人物であることはすぐに分かった。
顔を鮮明に覚えていたわけではない。
けれど、唱える声や冒頭で喉が詰まるところ、愛想の良いところなど
鮮明に覚えていた。
人柄で覚えるとでもいうのだろうか。
印象に残る人は確かにいると思った。
そして、念仏を唱えた後雑談をしてくれる。
形式ばった雑談ではなく、本当に興味を示してくれているのが伝わる。
対照的に、派遣のお坊さんだと愛想なくすぐ帰っていっていたことも
幼いながらに今でも覚えている。
久しぶりに話したお坊さん。
にも関わらず、私のことを覚えていてくれた。
私だけでなく、私の家族構成や母の職業、兄が京大生だったことなど
詳しく覚えていて下さったことに驚いた。
人は興味がないことでないと長期的に記憶することは出来ないと思う。
それともお坊さんはプロ意識で暗記しているのだろうか。
まあそんな内情などどちらでも良くて、ただただお坊さんにリスペクトが増した。
いつか何処かで聞いた
”あなたにしか出来ない仕事”ってあると思う。
少なからず、”祖父のお経を唱えるのはそのお坊さんであってほしい”
そう強く思っている私と母がいたのだから。
私が学んでいるY理論の中に、”随意契約”という言葉が出てくる。
これは直訳だと競争入札によらずに任意で決定した相手と契約を締結することを意味する。
私は、それを発展させて”随意契約の人”という風に使用している。
つまりは、”あなただからお金を払います”と言ってもらえる”選ばれる人”のことだ。
お坊さんのような、より随意契約の人になりたい。
この一件でそう強く思った。
そんな気づきに感謝。