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複雑な愛の姿を描く二つの花伝 木原敏江「花伝ツァ」「夢幻花伝」

 今回は先日紹介したフラワーコミックスα版の『大江山花伝』に収録された、共に「夢の碑」の番外編として扱われる残る二編を紹介します。『雨月物語』をモチーフとした「花伝ツァ」、後の世阿弥と足利義満そして南朝の姫君の三人の複雑な愛の姿を描く「夢幻花伝」です。


「花伝ツァ」

 「花伝ツァ」の舞台となるのは室町時代、塩冶掃部介の月山富田城が尼子経久に奪われた頃。国に戻る途中の山里で病に倒れた塩冶方の赤穴一族の若き当主・上月が出会ったのは、村外れに一人暮らす美少年・花車でした。
 自分を「同族」の者と誤解した花車の下に身を寄せ、体を癒やす上月。自分を「鬼」と称する花車に戸惑いつつも、上月は美しい花車に惹かれ、二人は愛し合うようになります。

 そんな中、花車が本当に人を食らう鬼であったと知る上月。しかし彼は花車を見捨てず、将来を誓うのでした。そして来年の菊の節句に戻ると約し、その間は人を襲わぬよう花車に誓わせて出雲に旅立つ上月。しかし出雲で彼を待っていたのは……

 『夢の碑』シリーズに先立つ作品ながら、そこで幾度も登場するのとほぼ等しい「鬼」像が描かれる本作(実は『とりかえばや異聞』の、過去の鬼たちが描かれるイメージシーンに、本作のクライマックスの花車の姿が……)。シリーズの鬼は、人とは異なる姿と力を持ちつつも時に人に負けぬ情を持つ存在として描かれますが、本作の花車も、同様に上月と愛し合い、彼を信じ抜く健気な姿が描かれます。

 しかし本作の背景となる設定から人によっては早々に気付くかと思いますが(そして特に終盤の展開からはそれは明確なのですが)、本作のモチーフは『雨月物語』の「菊花の約」。だとすれば二人を待つ運命は……
 しかし本作は、人と鬼の愛を描く物語として、そのモチーフとはまた異なる凄絶で哀切な展開を辿ります。そして結末に語られる後日談の物哀しい美しさにおいては、本作はモチーフを超えたとすら感じられるのです。

「夢幻花伝」

 一方「夢幻花伝」は、後に「風姿花伝」を残した猿楽の大成者・世阿弥の若き姿を描く長編です。

 幼い頃、父・観阿弥の主筋に当たる家の姫・亜火と兄妹のように育ち、無邪気に将来を誓いあった鬼夜叉。しかし彼の人並み外れた容色と猿楽の才に目をつけた足利義満は、彼を自分の屋敷に置いて深く寵愛するようになります。
 やがて藤若と名を変えた彼は、周囲の妬みにも負けず努力を重ね、義満の寵愛はいよいよ深くなりますが――しかし猿楽の地位向上を背負わされた彼は、心ならずも亜火の愛に背を向けることとなります。
 そんな中、猿楽の席上で起きた義満暗殺未遂事件。その犯人は、亜火の兄であり、南朝の皇子である紗王――図らずも敵味方に別れた藤若と亜火は、別れを告げることもできぬまま、離れ離れとなるのでした。

 それから数年後、父の急死で一族を背負うこととなった藤若改め元清。南朝の残党を名乗る鬼面の賊が世を騒がす中、元清は亜火と再会するのですが……

 世阿弥(以下、世阿弥で統一します)と、彼を幼い頃から寵愛してきた義満、そして世阿弥が幼い頃から心を通わせあったヒロイン・亜火――本作は、この三人が辿る二十年弱を描く物語です。

 面白いのは本作が、観阿弥と南朝の関係(観阿弥の母が楠木正成の姉妹だったという説を踏まえてのもの)を踏まえ、亜火を南朝の姫君とすることで、世阿弥の伝記的物語を、当時の南北朝の動乱と直結させて描くことでしょう。
 さらに世阿弥の寵愛をはじめとする義満の行動に何かと反発する、六分の一殿こと山名氏清を敵役の一人とし、明徳の乱をクライマックスとして描く、史実との絡め方に感心させられます。

 しかしそんな中でメインとなるのは、やはり世阿弥・義満・亜火の三角関係であることは間違いありません。世阿弥の後年の名曲・井筒のように幼い頃から親しみ合いながらも、やがて引き裂かれる世阿弥と亜火の姿もさることながら、世阿弥と義満の関係性――純粋な愛情というには様々なものが混じりすぎている二人の緊張関係は、上記の歴史的背景を巧みに絡めることによって、こちらの目を奪います。

 特に主人として世阿弥を束縛し、苛むような態度すら示す義満は、時に本作最大の悪役とも感じられるのですが――そんな彼が本作のラストシーンにおいて、悲劇を乗り越えてなおも凛として己の芸と愛に生きようとする世阿弥に向ける視線には、権力者ではない一人の人間としての彼の純粋な想いが垣間見られるようでハッとさせられます。

 同書に収録されている他の作品に比べると幻想度は低い(伝奇度は高い)本作ですが、同じ能を扱った『夢の碑』シリーズの「渕となりぬ」の先駆とみなすべき作品かもしれません。

「大江山花伝」についてはこちら


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