北斎死す、そしてお栄が北斎に!? 末太シノ『女北斎大罪記』第1巻
浮世絵界、いや日本美術界の最高峰というべき葛飾北斎。その北斎が急死し、娘の栄が成り代わっていたとしたら――そんな大胆な設定で描かれる野心作です。偉大な父の作品を遺すために奔走することになった栄の苦闘が始まります。
今日も尊敬する師である葛飾北斎の下を訪れた駆け出し絵師・渓斎英泉。北斎の娘・栄と英泉は、完成したばかりの「北斎漫画」二巻目に目を輝かせるのですが――その直後に思いもよらぬ悲劇が起こります。
北斎が屋根の上に作った執筆場所――そこから誤って北斎は転落、そのまま息を引き取ったのです。
直前まで北斎が手にしていたため、北斎の血に塗れてしまった北斎漫画の画稿。しかし父の画を記憶していたお栄は、その場で北斎そのままの絵を描き直してみせます。
それを目の当たりにした英泉は、とてつもないことを思い付きます。それは北斎の死を秘密にして、栄が北斎になるということ!
父の北斎漫画を完成させるため、そして女の自分が絵師を続けるため、栄もその提案に乗り、一か八か、父に成り代わることを決意するのですが……
北斎の娘であるだけでなく、「吉原格子先之図」など彼女自身の優れた作品により、近年注目が集まっている葛飾栄(応為)。フィクションでも様々な作品に登場している栄ですが、本作のような内容の物語はかなり珍しいといってよいでしょう。
何しろあの北斎が本来よりも30年以上早く亡くなり、その代わりに栄が北斎を名乗っていたというのですから!
どう考えても無理――と言っては身も蓋もないのですが、しかしここで示される北斎を死なせるわけにはいかない理由、そして栄が北斎を名乗らなければいけない理由――特に後者、女性であり常人を遥かに上回る画力を持つ栄がこの先も絵筆を握るためには、北斎の助手であり続ける必要がある、という一種逆説的なそれには、不思議な説得力があります。
そんな本作においてまず目を引きつけるのはもちろん、栄が周囲の目を欺き、「北斎」で在り続けることができるのか、という点であることは間違いありません。
この第1巻においては、いきなり曲亭馬琴が登場――北斎にとっては最大の理解者であり好敵手ともいえる間柄であり、裏を返せば栄が北斎で在るための巨大な障害というべき存在です。この馬琴の目を如何に眩ませるかが、この巻最大の山場といってもよいでしょう。
しかしここで描かれるのは、馬琴との対決というサスペンスだけではありません。栄が本当に乗り越えなければならないのは、死してなお巨大な壁として存在する北斎の存在であり、そしてその北斎に対してまだまだ未熟である自分の才能なのですから。
本作においては冒頭から語られる栄と北斎との違い――それは栄が「見る」天才である一方で、北斎が「観る」天才であるという事実にほかなりません。
栄の才が一度見たものは決して忘れることなく、忠実に描くことができるものである一方で、一度見たものの内側にある本質を見極め、それを描くことができる北斎の才。この両者は、似ているようで全く異なるものであり、北斎はやはり栄とは格が違うとしか言いようがありません。
自身も才があるからこそ、父と自分の間に超えられない差があることを理解できてしまう――しかしそれでも父にならなければならない。そんな栄の真摯な悩みこそが、本作に題材のインパクトだけではない、芸道ものとしての味を与えていると感じます。
史実では北斎が亡くなったのは1849年、その一方でこの第1巻の時点はおそらく1815年。先に述べた通り、30年以上の時間があるわけですが、それが全て本作で描かれるかはわかりません。
しかし北斎漫画だけに絞るのであれば、刊行年代から見て一区切りがついたのではないかと考えられる十編が刊行されたのが1819年と、あと4年間となります。
少なくともその間、栄は北斎であり続けることができるのか。そしてその間に栄は北斎になれるのか――予想すらできない栄の画道は、まだ始まったばかりなのです。