【読書】本に「ドッグイヤー」してますか?
ドッグイヤーのきっかけ
ドッグイヤーをご存知だろうか?
栞の代わりに本のページの肩の部分を折り曲げて印をつけるアレである。折り曲げた形状が犬の耳に似ていることから、ドッグイヤーと呼ばれている。
もう30年以上前のことだろうか、何かの本でアメリカでは日本の文庫本に相当するペーパーバックで栞代わりにドッグイヤーすることが流行っていると読んで、何となく格好よさを感じそれ以来ドッグイヤーをする癖が身についてしまった。
ドッグイヤーのよさは、何と言っても手軽に栞の代用ができる点にある。誤って栞を落としてしまって、本をどこまで読み進めたかわからなくなる心配もない。
しかし、本当のメリットは、物理的にページを折り曲げる行為により、本をそこまで読み進めたという達成感を味わえる点にあったように思える。
自分の若い頃の読書スタイルは、本屋で気になった本を見かけたら手当たり次第に購入しては、積読(つんどく)をしておき、その日の気分で読む本を決めて読み進めるスタイルであった。
常に10冊くらいの本を目のつく場所に積んでおき、少し飽きたら次という具合に併読していたように記憶している。本のジャンルもバラバラで、典型的な乱読(らんどく)であった。
もし相手が本ではなく女性だったとしたら、相当にやばいヤツであったのは疑う余地がないところだろう 笑
それはともかくとして、そんな読書スタイルの自分にはドッグイヤーはよく役に立っていた。読み進めたあとに振り返って確認したい箇所が複数個所あるやっかいな本を読む際も目印として大変重宝していた。
一方で、ドッグイヤーは本を大切に扱っていないようで邪道であるといういう意見も当時から根強くあったが、その頃はそんなことは全く意にも介していなかった。自分にとっては何よりも、ページを折り曲げることで本を自分の血肉の一部と化しているかのような感覚が大切であった。
ただ、ドッグイヤーで1回だけ失敗をしたことがある。
新婚の頃、妻からコミックスを借りて読んでいたが、いつもの癖でドッグイヤーをしてしまったのだ。どうも全巻揃えていた大事なヤツだったらしく、「コミックスに折り目をつけるなんて信じられない!」と大激怒させてしまった。
その頃の自分は、本を情報が記載されている媒体としてしか認識しておらず、実体としての本には価値を見出していなかったのだ。
だから、中身を食い尽くした後の本はただの用済みの紙であり、何の躊躇もなく右から左へと古本屋で処分できていた。
しかし、妻は多くの人と同様に、紙の本という実体に価値を見出す側の人間であったようで、その認識のズレにはむしろ新鮮ささえ感じたものだ。
しかし今から振り返ってみても、コミックスにドッグイヤーはちょっとやり過ぎだったなと反省している。
この事件は、その後数十年にわたり妻の脳裏から消え去ることはなく、ときどき思い出したように「そう言えばあの時・・・」と繰り返し恨み節?を聞かされる破目に陥ることとなったのであった。
「ドッグイヤーの怨念恐るべし」である。
ドッグイヤーの終焉
そんなことがありながらも、懲りない自分はその後も相変わらず同じ読書スタイルを貫き、ドッグイヤーもやり続けていた。自分はなかなかに頑固な人間なのだ。
読んだ本の数をカウントしたことはないが、年間100冊として×年数で計算すると、今までにざっと数千冊のオーダーの本を読破した計算になる。
言い換えると、ドッグイヤーの数も数千回ということだ。
しかし、そんな我が愛しきドッグイヤー人生にも遂に終焉を迎える日が訪れることとなる。
原因は老眼という病だ。
いや病というよりも、誰もが迎える運命とでも言った方が相応しいかもしれない。
40代も半ばを過ぎたあたりから、普通に読めていた文字が滲んでかすれてきた。一時は老眼鏡なるツールをしつらえて抗うこともしたが、これは体質の問題かもしれないが、1点を凝視していると気持ち悪くなって使い物にはならなかった。
次に試したのが電子書籍だ。スマホの画面なら、文字フォントをいくらでも大きくして読むことができる。
文明の利器は活用しなければならない。
かさばらないスマホでの読書は、移動時間をつぶすツールとしては最高であった。
しかし、電子書籍での読書体験も、Kindleに保存された電子書籍の数が500冊を超えたあたりで再び限界を迎えることとなった。
目の老化がさらに進んだためか、光る画面を長時間見続けると極度の眼精疲労に陥り、耐えられなくなってきたのだ。
実はnoteアプリの文字も小さすぎて改善してくれないかなと密かに思っている。だから、スマホでnote記事を読むときには、仕方なくわざわざブラウザで開いて読むことにしている。
ちょっと長い記事は、PCに外付けで繋いだ大画面モニターで読むのが快適だ。しかし、この環境でも電子書籍での読書は厳しい。
そんなこんなで、ここ数年は本を読むことが叶わなくなってしまった。
我が愛しきドッグイヤー人生も遂に終焉を迎えたのである。
オンライン読書会の感想
このようなことを思い出して記事にしたのは、lionさんのXスペースでおこなわれた読書会をちょっと覗いたのがきかっけだ。
この読書会の課題図書は、ピエール・バイヤール著「読んでいない本について堂々と語る方法」で、何とも大胆な題名の本だ。
当日の臨場感は、興奮冷めやまぬlionさんの記事を一読していただきたい。
自分は聞き専で参加したが、そもそも読書会自体が初体験であった。
緊張を交えながらも課題本への深い思い入れを語るlionさんや、いつも文字でしか交流していない他の参加者の声を聴いていて、これだけ読書離れや出版業界不況が言われる中でも本への思い入れが強い人たちが集っている現実に対して、何だか嬉しくなってしまった。
同時に抱いたのは、「本を読めなくなった自分には読書会に参加するのはもう難しいんだろうな」という感傷だ。
しかし、自分は寂しくはない。今まで存分にドッグイヤーしてきたからだ。
「何を読んできましたか?」と問われても即答することはできない。その記録はとっくに忘却の彼方に消え去っている。ただ読んだという記憶だけはドッグイヤーとともに深く胸に刻み込まれている。
だから、これを読んでくれた読者の方にも問いたい。
本に「ドッグイヤー」してますか?
※lionさん、記事を引用させていただき、ありがとうございました。
#幸せ増幅器
この記事は、高草木陽介さん提唱の#幸せ増幅器企画に参加してます。
この企画は誰でも参加自由とのことです。
(記事を紹介されても、されてなくてもOK!)
この紹介記事を読んでしまったあなた、幸せの輪を広げる活動に参加しませんか?
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