ある怪談作家から見た「ひぐらしのなく頃に」
前にもいったけど、「ひぐらしのなく頃に」は前半で止めとけば傑作の「ホラー」だった。
作者の犯した最大の過ちは、「これは謎解きです」という嘘を最後まで吐き通せず、後半から本当に謎解きにしてしまったことだ。
謎は本当にあったかもしれないが、あんな風に解きがたいものを誰が用意しろと思っただろう。
作家にとっての誠実さの証明は嘘をつき通すことであり、間違っても途中で嘘から本当のことをいってはならない。
解けない謎のことを理不尽と言い、理不尽に放り出すことをホラーという。
だからその意味で「ひぐらしのなく頃に」の前半はホラーたり得た。
別にあの結末で書かれていた構成そのものを否定するつもりは毛頭無い。
何故ならあの構成なら隠されている限り常人には絶対に解明に到達し得ないので、その解明への断絶を以てホラーの前提である理不尽が成り立つからだ。
だから作者はあの構成を絶対に秘匿しなければならなく、自分が死ぬときに棺の中まで持って行かざるを得なかった。
読者はいつまでも絶対に解明に到達出来ないことを知らずに、彼らに謎解きに挑ませ続ける事も出来ただろう。
あの後編との継ぎ合わせは、例えるなら羅生門の続編に蜘蛛の糸を継ぎ合わせるようなものだ。
しかも下人の目の前に、一筋の銀色の蜘蛛の糸が垂れてきて、本編同様途中で切れそうになるのを、下人が非道な行いを悔いて懺悔することでもう一本の糸が垂れてきて、有難くも極楽に到達した、というような改変だ。
正直、一貫性に疑問しかない。平たく言うと、キャラクターの言動を信用できない。
後半の綺麗事の熱弁は、一体何の釈明だろうか? 俺には作者の申し開きにも、嘘を突き通すのに耐え難いやましさを感じるようにもみえる。それが怪談もかつて書いた事のある俺には全く不思議なものだった。
隠された後半について何を聞かれても白を切り通せるだけの面の皮の厚さがあれば、ここまで作品を汚すこともなかったのに、と思う。
追記
個人的に、大声で人前で懺悔するような人間を全く信用しないというのもある。
あれは決して反省の姿ではなく、周りの聴衆(読者を含めた)の良心を人質に取った極めて悪質で冷酷な脅迫に他ならない。