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絶世の美女・万葉歌人『額田王』は、ペルシャ系美人 …切ない『三輪山』との別れ! 『三輪』『三つ鳥居』とは何か?

 額田王は、万葉集に飛鳥京から近江京に遷都した際に詠んだ詩があります。例えば、
・額田王の近江の国に下りし時作る歌…
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情けあらなも 隠さふべしや
一行(いっこう)は、近江への移転の際に城上郡大神郷に鎮まる大物主神の社に参拝し、その後『上ッ道』を北上して奈良山にさしかかり、雲間に見え隠れしはるかに遠ざかり行く三輪山の姿を望見しつつ近江を目指した際である。

三輪山

三輪山に神の霊威をいつまでも被っていたいという『宗教的心意』が働いていると考えるべきである(「三輪山 日本国創成神の原像」前田晴人著 学生社)。
 ここで『三輪(山)』の暗示するものは何であろうか?
 すでに筆者の別稿(古代出雲はキリスト教国になっていた!『バビロンの中から逃げよ!』…東に新天地を求めて!)で著わしたように2世紀には、バビロン地域(ペルシャなど)から逃れたキリスト教徒達が迫害を逃れて東の果てまで到達していたのである。
 では、『三輪』は、何を指すのであろうか?
 下図は、キリスト教のシンボルを表しボロメオの輪と言われます。

ボロメオの輪は三つの輪が絡み合っているものでキリスト教の三位一体を表しています。
  すなわち、『三輪山』は、キリスト教の『三位一体』を象徴する【神の山】だったのです。
 三輪山の麓にある『大神神社』を見てみましょう。
 『大神神社』のホームページには、
「大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界としてミッ鳥居みつとりいと瑞垣が設けられています。三ツ鳥居みつとりいの起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました」

三ッ鳥居

さらに続けて、
「横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉みとびらがあり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居みつとりいは本殿の御扉の役割を果たしていると言えます」
とあります。
 これは、神に近づくための扉であると言えます。
 では参考までに鳥居にはどのような種類があるのでしょうか?

鳥居の種類

上の『I』が『大神神社』に相当するようです。
 次の図を見て下さい!

キリスト教会の入り口

要は、キリスト教会入り口は上の図のように三つの構成要素で表現されています。
 そうなんです、
★★三つ鳥居は、教会…『神…イエス・キリストに祈りを捧げる場所』
  であった★★
のです。
 これで最初に戻って、『額田王』が『三輪山』の遠ざかる姿を見て、どのような思いであったか、別れを告げる切ない心情を感じざるを得ないのではないでしょうか!!
 


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