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邪馬台国と卑弥呼…魏志倭人伝は実に正確だった   7.卑弥呼・天の岩戸事件は春分『天照大御神』誕生の日だった!

 前稿5.6.では、卑弥呼の住む淡路島で西暦247年3月24日に『皆既日食』が5分近く続いたこと、皆既日食の真っ暗闇をご紹介した。
 この日、3月24日は『世界の新年』(元旦)である【春分】である。
 日本でも新年度は、学校も国家の予算も含めて春分直後の4月1日になりっている通りです。
 古代では、農業が主体ですから冬が終わり、種蒔きの季節は、春分が目安となります。春分には太陽が真東から昇り、真西に沈み天体観測でも容易に知ることが出来ました。
 よく知られた英国のストーンヘンジも太陽の動きと密接に関係しています。古代はこのように太陽の動きから季節を知ることが何よりも重要だったのです。

ストーンヘンジと太陽

「春分」は「二十四節気」のひとつです。
  二十四節気は太陽の動きをもとに1年を24分割した暦で、その時候ごとにふさわしい名前がつけられています。
 春分は二十四節気において一年のはじまりの季節で、皇室の行事「春季皇霊祭(しゅんきこうりょうさい)」という祭日が名前の由来であるといわれています。天皇 自ら 春分の日 に 宮中 三殿の一つである 皇霊殿 ( こうれい でん)で、歴代天皇はじめ 皇后 ・皇族すべての皇祖の神霊を祀 (まつ)る皇室の大祭である。
 実は、この春分である、皆既日食が起きた3月24日(西暦247年)の日が、皇祖神と関係が深い…ということです。
 この日(西暦247年3月24日)に皇祖神…天照が神として誕生し『天照大神』が祀られることになったという訳です。
 春分は世界中で意味を持つ日なのです。
 イラン暦の元日はちょうど春分の日に当たり、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。ヨーロッパなどでも、春分をもって春の開始とする。いくつかの国では休日とされる。
 キリスト教で復活祭の日付を算出するには、春分を基点とし、春分後最初の満月の次の日曜日を復活祭の日と定める。
 古代エジプトでは、崇拝対象でもある太陽の動きは、民にとって重要なものでした。彼らが建てた歴史的建造物の多くは、そうした太陽の動きに合わせて巧みに配置されています。中でも、太陽が真東から昇るエジプトの「春分の日」において、いくつかの建造物は、いつもと違った輝きを見せるよう仕掛けられているのです。アブ・シンベル神殿は、紀元前1250年頃にラムセス2世により建造されました。正面にそびえる4体のラムセス2世像が有名ですが、入り口から60メートルほど奥に、さらに4体の神像があります。そして、春分の日と秋分の日の年2回のみ、日の出の光が神殿の奥まで届き、神像が明るく輝くのです。

春分の日のピラミッド

以上で、春分の日が世界で最も重要な日の一つであることが分かって頂けたと思います。
 では、日本では、この日(西暦247年3月24日)に何があったと想像されるか推測してみましょう。
【想像の実況中継】…
 新年の日であるこの日は『祈りの日』として、『卑弥呼』は、岩穴で人には見えない中で祈り・祀りを行っていました。午前十時頃に5分の皆既日食が起きました。岩穴の前で新年の祈りを捧げていた人達が『突然の暗闇』が襲いました。人々は恐怖に慄き騒ぎが大きくなりました。
 この騒ぎを訝しく思った『卑弥呼』が、岩穴から【ソット】覗き始めました。
 その瞬間に、皆既日食は終わりを告げ、太陽が射し始めました。人々は驚き、その瞬間、【卑弥呼】が、皇祖神『天照大御神』になった瞬間でした。
【想像の実況中継】終わり。
 以上が、想像を逞しくした『天照大御神』誕生の物語でした。

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