秒針が動くたびに「生きてる」と呟いてみる
今週、友人から知人が亡くなったことを聞いた。
新橋の居酒屋でお互いの近況報告が済んだ後、聞いた。
年齢は僕の一つ上で30歳か31歳だ。
亡くなった彼とは一度だけ遊んだことがある。
足立区から、当時住んでいた下北沢まで車で送ってくれるような優しい人だった。
僕の友人は、彼と毎週遊ぶような仲だった。
なんて言葉をかけたらいいのかわからなかった。
友人は落ち着いていたし、何か言葉が必要な様子ではなかった。
ただただ悲しみ、ただただ話を聞くことしかできなかった。
現実味はなかったければ、知人が亡くなったことは事実のようだった。
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僕の周りでは、大学卒業前に仲のいい同級生が一人亡くなり、社会人になっても年下の知人が一人亡くなった。
僕は中学一年生のときに父を亡くした。
だから人よりは「自分がいつ死んでもおかしくないこと」を自覚して生きてきた。
ただ同世代の知人が亡くなると、一気に「死」を近くに感じるようになる。
死ぬのが自分だった可能性だってあったはずだ。
そんな中で自分は生きている。
今日があることは当たり前じゃない。
そう考えるから、僕はここ数日、秒針が動くたびに「生きてる」と呟くようにしている。
実際には時計を見ずに、一秒ずつ「生きてる」「生きてる」「生きてる」と呟いているだけだ。
そう。僕は、いま、生きてる。
この一秒も、次の一秒も、生きてる。
ただの一秒じゃなくて、噛み締めるべき一秒。
亡くなった人の分、生きなきゃいけないなんて強要するつもりは一切ない。
いま生きてること自体が、僕は奇跡だと思うし、ボーナスタイムだと思う。
だから誰とも比較することもなく、たたただ一秒一秒を大切に過ごしたい。
生きてる、生きてる、生きてる、生きてる…
そう呟くだけで、不思議と力が湧いてくる気がする。
しばらく続けていきたいと思う。
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今週のPodcastは、専門用語の乱用について。
みなさんは、どこまで理解して、カタカナ英語を使っていますか?
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生きてるうちに、もっと表現をしていきたいと改めて思った。
今週もお疲れ様でした。
読んでいただきありがとうございました。