見出し画像

【2016乳がんの記憶 病欠】心もやられていた

前の投稿↓

異動を言い渡された日の帰り道、「無理しないでね」と「無理しないと動かなくなる」が頭のなか絡まっている。

今週数回、いきなり席の前に現れた自社のえらい人。普段会話しない人。
病気を聞いて見舞いにきたのかくらいに思っていたが、たぶん異動の話をしにきていた。
その人は私に「無理しないでね」といった。

しかし、病院入院中にリハビリについて先生はこういった
「痛いけどね、今無理しないと動かなくなっちゃうからね。がんばってね」

わからなくなってしまった。
病院で「動かなくなっちゃう」と言ったのは切った脇の話だったと思う。
でも今、戻る場所だと信じていた職場に突然異動と言われて心が動かない。

私はがんと言うフィジカルな病だけど、同時にメンタルも痛めている。それをまざまざ感じた。

告知後に主治医にだるさを伝えたら、多くの患者さんが訴えるものらしいが、それは告知のストレスによる心のもたらす症状らしい。

私はきっと崖っぷちで粘っていたのだろう。環境変化にもう心がついていけない。

その翌日から私は会社にでられなくなった。
起き上がれなくなり、
スマホを触ることすらできなくなった。
糸が切れてしまって、全然記憶がない。
日記には
「1つの出来事から、失うものが大きい」と書いてある。

私の勘違いだ。
手術の麻酔から覚めた時、健康になったよな錯覚をした。
とんでもない。
お荷物でしかないと思い知った。
それまで、職場で何を積み重ねてきたとしても、
がんになったことに私の過失がないとしても、
無常なこの世界は”健康”と”病気”に人を分類し、
心も、想いも、これまでも、
そんなものは関係なく、
分類された棚におさめてしまう。

病気分類の私が、「日常に戻りたい」と踏ん張ること自体がバカげたことだったのかもしれない。

それは理解できなくはない。
しかし、それでもやはり疑問は残る。

入院以降これまで職場に無連絡だったわけではない。
仕事に戻ろうとしてきたことを職場は知っていた。
それでもなお、
組織は内示のルール通りのタイミングで唐突に告げる。
そのルールは健康な人を基準につくられていて、
たかが異動内示で心の最後の砦を壊す者のことなど考慮されない。

人が人と関わる中で、
「生存率」と向き合いながらも仕事に戻ろうとする者に
こんなルール通りしかやりようはなかったのか。
企業はこの先もこうやって進むのだろうか。

”健康”タグの外れた私は、
あれから今まで10年間居場所を探し続けていた。
その始まりはあの日だったと思う。

「無理しないでね」
とだけ事務的に言う人は、
「無理しないと動かない。そんな張りつめた身体と心と魂」を知らない。

逆に私は、もう"健康"が当たり前の視点を失ってしまった。

無理をしたかった。
夢をかなえるために。
夢とはなにか。
それは大切な宝。
その宝を人は
「ただの日常」と呼ぶことも知っている。

私は宝を心の奥底の箱にしまって、隠すことにした。
そして、様々なものを諦めて、
病欠に入った。

つづく↓(2015-16年の私と、2025年の私の会話)

マガジンの過去の投稿を整理しました


いいなと思ったら応援しよう!