4-2. ユクスキュルの生きた時代の哲学傾向【ユクスキュル / 大槻香奈考】
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル(Jakob von Uexküll)は 1864 年 9 月 8 日 生まれ、エストニア出身 のドイツの生物学者であり哲学者です。没年は 1944 年 7 月 25 日、生前のユクスキュルがどんな哲学傾向の時代に生き、思考していたのかを考察してみましょう。
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18 世紀末のヨーロッパは、アメリカ合衆国の独立(1783 年)やフランス革命(1789 年)などが起き た、動乱の時代でした。このような不安定さを孕んだ時代の人々の課題になったのは、新たな時代や社会の在り方を模索することや、その中での自分の在り方を考えるなど「全体をどう捉えるか」ということでした。
そういった背景を持って、近代哲学への歩みが始まりました。その始まりであり代表であるのが、イマヌエル・カント(1724 年 4 月 22 日 - 1804 年 2 月 12 日)です。
カントの理論はプラトン以来の「イデア / 個物」図式と、デカルト以来の「主観 / 客観」図式を融合したものという風にも考えることができます。しかしながら純粋理性批判だけで全てを語るのは難し く、矛盾もありました。後年、カントの理論を受け継ぎつつも弁証法によってすべてを覆う体系を築こうとする哲学者が現れます。それがドイツ観念論を代表するヴィルヘルム・ヘーゲル(1770 年 8 月 27 日 - 1831 年 11 月 14 日)です。
ヘーゲルはカントにおいて提示されなかった各領域(カテゴリー)間を結ぶ仕掛けとして、弁証法を 提示しました。しかしヘーゲルの体系において失われる事柄も多く、異を唱える哲学者たちが現れます。道徳的に生きよと唱えていたカントの理論を引き継ぎ、ヘーゲルがさらに理論を強化したことで失われる(見落とされる)ことになったものとは「ひとりのかけがえのない人間としての在り方」でした。
さらに近代化が進むと、人々は技術や生産手段・生活様式の近代化と過去への追想などが交錯する中で生きることとなりました。そこで生まれたのが、ヘーゲルの思想を時代に見合うように引き継ぎつつ、時代に施される形でヘーゲルを批判した、ショーペンハウアー(1788 年 2 月 22 日 - 1860 年 9 月 21 日)やキルケゴール(1813 年 5 月 5 日 - 1855 年 11 月 11 日)らの哲学です。19 世紀末になると主張はさらに過激になり、後に「グレート・ジャーマン・トリオ」や「思想の三統領」と呼ばれるマルクス、フロイト、ニーチェらの思想が生まれます。
中でもフリードリヒ・ニーチェ(1844 年 10 月 15 日 - 1900 年 8 月 25 日)はギリシャ以来の哲学的思考図式を根本から転覆させるものでした。「すべての価値はルサンチマン(主に弱者が強者に対して「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つこと)によるのだから価値は無い」と、価値そのものの価値 を否定します。すなわちニヒリズム(虚無主義)です。
価値は世界の外部に根拠を持つものではなく、 世界の内部における心理的・社会的関係から生まれたとされるならば、それによりイデアや神は不要となってしまいます。そしてニーチェは宣言しました「神は死んだ」と。
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――こうして見渡してみると、ユクスキュルの生きた時代は思想の概念の大きな転換期であり、内外共に 激動の時代であったことがわかります。
しかしながらユクスキュルは、機械論を受け付けず、あくまで「生物の環世界でのふるまい」を温かなまなざしを持って観察していたと考えられます。すなわちニーチェ的な考え方よりもカントに(あるいは古代ギリシア哲学)近かった、もしくは共感しやすかったことが推測できます。
むしろ、ユクスキュルがニヒリストでしたら、生物に対するあのような観察や考察は出来なかったことでしょう。
※ナツメ注釈:この段階(2020年11月末)ではカント哲学への理解がまだまだ及ばず、言葉足らずになっていることをお詫びいたします。今後さらに読み込み、理解を深めていく所存です。
※この章では端的に全体の流れを掴むために特に『哲学マップ(ちくま新書) 貫成人著』に大変お世話になりました(※参考文献の章にも記載)。
本来ならば全哲学者の歴史背景・思想の推移を自身で把握し解釈した上で文章化するべきですが、時間の関係でそこまで私の解釈が及ばず、最後の結論に達するまでに多く引用させて頂きました。心からお礼申し上げると共に、今後益々研鑽して参りますことをここに記します。
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