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なるほど。心理検査ってこうやって活かされるのか。という体験

昨日の出来事。

お昼を食べていると、とある1本の電話。

「はい…はい……わかりました…(ええええええええ?!!!)

仕事で、来月から動き出す案件が飛んでしまった。

電話をくれたのはクライアントではなく、いわば仲介役の人。


濁して書くしかないのだが、クライアント側にとある波乱が起き、このギリギリのタイミングでおじゃんになってしまったのである。


3ヶ月前から、チームとして動いていたプロジェクトであったが、こんなにあっさり水の泡と化してしまうとは、なんと世知辛い。


で、そっからしょぼーんとしていたのだが


だいだい自分は落ち込むと、その物事に対してどう落としどころをつけようか考え始める。


それで、最終的には「まあ”終わったこと”だし仕方のないこと。落ち込んでてもしょうがない。次、次!」と結論づけるのがいつものパターンなのだが


その最終的に ”終わったこと” として処理できるようになるまで、終わらせる過程にぐるぐると気を巡らせるわけである。


それで今回の話なのだが


(まじかあ~~…きっつ~~~……ショック~~………いやぁ、こんなことあるんやなあ……そうかあ……そうよなあ………)



などなど、あれやこれと脳内で思う中で


(せっかく準備してきたのに・・・)という思いが浮かんだ後に、

(いや…準備してたって言ったって大したことないやろ。

このくらいで準備が大変だったのに~ってのは、誇張しとるくない?

そうやって自分は自己憐憫にひたって気持ち悪・
・・・・・あ!!!!)


また自己非難はじめとる!!!!!笑


と、気づいてブレーキをかけた。笑


つい先日、心理検査の結果を受けて


相手に怒らずともそれによって自分を責めるのはさすがに辞めよう・・・

みそまる過去のnote記事より

と心に決めたことを、ふと思い出した。


簡単に説明すると、フラストレーションを感じる場面に対して、私は人より自責的に処理する傾向がだいぶ強いということを知った。

それが自分では標準的なことだと思っていたのだが、自罰しすぎということを知ってちょっと驚いた。

”厳しくしない”ことの大切さと、それは”甘え”ではないかという考えとの葛藤を抱いていた自分であったが(自分は自分に厳しくしすぎなのか?もう少しゆるめても”甘え”にはならないのか?)と少し心が軽くなったようにも思えた。

知らず知らずのうちに自分で自分にさらに負荷をかけてしまってるのかもしれないな、と思い、自責的な偏りを少しずつ抑えていけるよう心がけていこうと思ったのである。

※私は自罰傾向が高いということを知った心理検査については以下記事を。


それで今回「あ!!!」と気づいた。


後から振り返ることは出来ていたかもしれないが、無意識に思考をめぐらせているその瞬間に、自分の自責的なクセに客観的に気づき「もうやめよ!」とサインを出せたのは、生まれて初めてかもしれない。


自分で自分のことを知ろうとすると、どうしても自分の考えというフィルターがかかってしまうわけで、客観的な視点で、自分はどういう特徴があるのか知るのって大事やなあ~~としみじみ感じた出来事であった。


そんなわけで、仕事が飛んだのは残念すぎるけど、一歩前進したのかもしれない。。


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