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本が読めなくなったわたしの読書リハビリ記録
大人になって、本が読めなくなった。
Youtubeを観る時間はあるのに。
ポッドキャストを聞く時間はあるのに。
なぜ本を読むべきか理由を並べてくれる人はいっぱいいるけれど、
それはわたしのための理由ではない。
理由は、本当にわたしの行動の動機となるものでなければならない。
読書が趣味な人間はかっこいい。
情報源がネットだけな人間は危うい。
そういう煩悩もありつつ、内的な真の理由はこれだ。
幼少期に本の虫と呼ばれていたあの頃の夢中になる感覚を
今の生活にもねじ込みたい。
あのやめられない感覚が恋しい…。
このページでは、本が読めなくなったわたしが、
何とか楽しく本を読むためのリハビリの記録をまとめていく。
きっかけはこの動画から
本当のことを言うと、もう読書しようとすることは結構諦めていた。
長いこと本を読んでないからか、
目が文字を滑るばかりで全然集中できない。
そんなわたしにきっかけと勇気をくれたのはこの動画。
内容をまとめると大体以下の通り。
生活しながら気になるトピックを集めておくことで、自分にとっての旬な時期に旬な本を手に取れるようになってお得。
選書の基準は読みきれそうな厚さか。
読む前にその本から何を得たいか明確にしておく。
読書に対するハードルを下げる。
分からない・面白くない時は、わたしではなく編集者のせいにする。
読んだ内容を忘れちゃってもいい。
最後まで読み切らなくてもいい。
アウトプットを意識してインプットするとお得。
特に ’読書に対するハードルを下げる’ という項は
わたしが本を読めなくなった原因を考えるきっかけをくれた。
原因が分かれば対処のしようもあるというものだ。
ということで、諦めていた読書をするためのリハビリを
開始することに決めた。
読めないなら、とりあえず聞けばいいことにする
Youtubeやポットキャストの視聴時間をどうにかして読書に変換したい。
そこで自分の生活の中でいつYoutubeやポットキャストの
視聴をしているか調べてみた。
基本は家事や食事をしながらの ’ながら’ 視聴。
その点読書は視覚を必要とするのでハードルが高い。
スキミングする目的なら、聞くだけでも十分なはず。
ということで、読むことを諦め聞くことができないか調べる。
と、やっぱりその方法をまとめてくれている方がいらっしゃった。
試してみると、やはり完全に音声に頼って読み進めるのは難しい。
自動読み上げ機能だからか時々変な漢字の
読み間違えをして意味が取れない。
そもそも書籍そのものが、ながら音声で伝えることを想定していないので、
ポッドキャストのようにするすると内容は入ってこない。
そんな中、わたしに合うと思えた利用方法は、
ひとりで食事をするときに、読み上げを聞きつつ目で追う方法だ。
読み上げ機能を使わずに読書しながら食事をすると
書面から目が離せず、食べ物を口に運ぶ手が止まって
全然食事が進まないという問題があった。
読み上げ機能を使うと、一瞬書面から目を離してその隙に
食べ物を口に入れて、その間の内容は音声によってフォローされ、
また書面に戻るという技が使える。
また、特に読み進めるのが困難な本を
スキミングするのにも効果的だと感じた。
読み進めるのが困難な本は、たいてい内容が難しいため、
せめて表層だけでも理解した気になって自分を許してあげたい。
しかし、皮肉なことに、難しいと感じる本は
そもそも内容の重要な部分とそうでない部分の見分けがつかない。
(だから難しいと感じるのである)
したがってスキミングも難しい。
読み上げ機能は、当然だがわたしが分からなくても
お構いなしにぐんぐん読み上げる。
その中でピンときた部分が、現在のわたしに理解できて
かつ刺さる部分となり、スキミングが強制的に完了する。
読めないなら、とりあえず積めばいいことにする
いつも更新を楽しみにしているYoutubeチャンネルに
積読チャンネルさんがある。
このチャンネルさんは人類の積読を促進することを目的として
本を紹介されているのだが、これを観ていてわたしはふと気づいた。
わたしには積読がない。
収入がなかった頃のわたしにとって、すぐ読みもしない本を積むことは
あまりに贅沢すぎることであった。
しかしながら、スズメの涙程度の収入ができた現在、
自分にその贅沢をさせてあげても良いのではないかという気がしてきた。
というより、自分の貧乏性を利用するのだ。
単にアマゾンでお気に入り登録だけして読みたいリストを育てていると、
結局読まずに忘れていつの間にか旬が過ぎてしまう。
買って積めばそれだけで「せっかく買ったんだから読もう」という
みみっちい心が、読書を後押ししてくれるかも。
ということで、2025年は少なくとも8000円/月の
本を購入して積むことを目標にする。
そもそも、本を買うというのは健やかな営みだ。
本が手に届くまでにかけられた人々の労力に報いることができる。
図書館でも借りれるし、無料でまとめられたコンテンツに
アクセスできるような時代に、
お金を払ってコンテンツを享受する喜び。
ほんの数千円で、出版業界にいる人々の生活を少しだけ支えられる。
この感覚は、なんだか自分に生きててもいいという許しを
与えてくれる気がする。
読めないなら、 とりあえず読了を再定義する
通常、読了は、本を通読してその内容をきちんと理解することで
定義されていると思う。
なんてハードルが高いんだ…。
全ての本を最後まで読み切れる自信なんてないし、
さらにそれをきちんと理解しようなんて到底無理。
この定義がなされたのは、おそらく幼少期の経験に基づく。
学校の図書館から読みたい本を借りて読書に勤しんでいた当時は、
おそらくわたしが読めるだろうと学校側が選び抜いた本の中から
読みたい本を選んで読んでいたともいえる。
つまり、わたしを対象としていない本を手に取る確率は低い。
一方、大人になって手に取る本は選書経験の浅い自分が選書した
いわば、量も内容のレベルや質も雑多な本ばかり。
わたしを対象としていない本も混じっている以上、
この定義で読了するのが難しいのも無理はない。
ということで、わたし向けに読了を再定義することにした。
読了を、読書ノートにまとめを記入すること、と定義する。
読書ノートには次のことを書く。
その本を読むに至った問題意識(問い)
印象に残ったことを最低3つ
読むことで起きた自分の思考の変化を最低1つ
あれば本から得た問いに対するヒント
読み進めていく上で失速してきたら、無理に通読はしないことにして、
代わりにこのまとめを仕上げることによって読了とする。
これで読了できそうな気がしてきた。
つまり、わたしにも本が読めそうな気がしてきた。