僕の好きなアジア映画51: MEMORIA
『MEMORIA メモリア』
2021年/コロンビア、メキシコ、フランス、イギリス、タイ、ドイツ、中国、スイス/原題:Memoria/136分
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ティルダ・スウィントン、エルキン・ディアス、ジャンヌ・バリバール、ダニエル・ヒメネス・カチョ、フアン・パブロ・ウレゴ、ダニエル・トロ
僕はアピチャッポンの映画と相性がとても悪い。というか彼の描きたいことについていけていない。実は本作も表層的にしか理解できていないと感じるし、これをもってして一体何を訴えているのかが未だ腑におちていない。展開がのんびりとし過ぎて、眠気との格闘もかなり厳しかった(笑)。だから今回はとてもダメな感想文です。
タイを離れて南米はコロンビアで撮った映画だが、どこで撮ろうが関係なしに、この映画も実にスローである。前半はともかく後半はいつにも増して遅い。そして今回はある「音」を主題としたものであるため、音楽が登場する機会がない。それがより心地よい眠気を誘う。
ストーリーは彼の映画の中では、動きがある方だと思う。主人公は自分にしか聞こえない爆発音のような音に悩まされている。彼女はその音が何なのかを求め、音響の専門家をたずね、考古学者と親しくなり、やがて川のほとりである男に出会う。その男と語り合い、彼女は爆発音が何であるか、そして自身の存在自体に覚醒する。どうです。一応物語的ですよね。表層的にはこういうこと。でも「だから何なの?」であり、なぜ「彼女?」という必然性、そして伝えたいことは理解できない。特に最後の宇宙船には「ゲッ?」と声が出てしまった。
それでもなお本作は映像体験として無二のものを提示してくれたとは思う。静止画像なのか動画なのか、かなりの長回しをじっと観ていないと判然としない。じっと目を凝らしていると、実は動いている。静止は過去の時間の表象であり、動きは現在のそれである。つまり現在と過去、覚醒と記憶との境界を曖昧なのだ。そして眠っているのか死んでいるのか判然としない男。彼は眠りから目覚めたのか、それとも死から生還したのか。生と死の境界が曖昧だ。この部分の表現にはやられた。しかしこの映像に魅了されながらも、やはり僕は釈然としない。物語の必然性というものが感じられない。元々物語などを希求してはいないのだろうけど。
今回も理解という意味では全くの白旗だ。しかし今まで以上に洗練された魔術的とも言える映像によって、辛うじてこの映画は僕にとって「好き」と言って良い部類になった。もちろん残尿感はとても強いけれど。
2021年カンヌ国際映画祭審査員賞