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有馬病院の医師の不自然な言動


1.はじめに

2018年12月7日、左手小指を包丁で切ってしまったため、有馬病院(川崎市宮前区、自宅から徒歩圏内)で縫合してもらうことにしました。この病院でも異常な対応があり、縫合後の帰宅時にも異常な現象に遭遇しました。

この記事では、これらの出来事について報告します。

2.有馬病院での出来事

2-1. 縫合した日

縫合後、医師(高齢男性)は私に
麻酔が切れても痛みが続くことは絶対にない」と強調し、
「抜糸まで毎日通院するように」と指示しました。

処置後の支払いまで長時間待たされ、その理由は翌日に判明しました。

その夜、縫合部分に近い関節付近で激痛が続きました。

2024年10月19日に日誌を見直したところ、病院から帰宅後、昼食を取った後に小指の痛みで昼寝ができず、病院に電話をかけたことが分かりました。

就寝後の痛みについては日誌に「非常に痛く」「起床時はそれほど痛くなかった」と記載されていましたが、実際には左手を右手で握りながら何度も唸るほどの痛みで、ほとんど眠れなかったと思います。


2-2. 縫合の翌日

医師の机の上に置かれたカルテを見ると、私のいびつに曲がった左小指の非常に詳細な手書きスケッチが描かれていました。

縫合部分ではないが、その付近の関節付近で激痛が続いたことを医師に伝えると、医師はニヤリしました。

いびつに曲がった左小指の損傷名は
"スワンネック"
とであることを教えてもらいました。

そして
"完全な治癒は難しいが、少し改善できる医師がいるから探してみると良い"
と言われました。

2-3. その後


都内で実績のある医師と病院の候補を二箇所見つけ、報告したところ、医師は
「広島(*)に良い医者がいる」と繰り返し勧めました。

抜糸後の2回目ぐらいの通院時、別の女性の医師から「もう来なくて良い」と言われました。

(*) 私が川崎市に住んでいた2011年夏の日経新聞夕刊に、広島の原爆に関する内容が掲載されており、私が以前から懸念していたことが的中するような内容でした。以降、「広島」という言葉を耳にすると著しい不安や動揺が引き起こされるようになりました。

当時すでに精神的に衰弱していたこともあり、「広島」は私にとってトリガー(trigger)と呼ばれるものだったようです。

翌年の同新聞夕刊には、2011年の内容とは異なる記事が載りましたが、「広島」をトリガーとしたトラウマは解消せず、さらに1年後の2013年には懸念が払拭される記事がやはり日経新聞夕刊に掲載され、ようやくトラウマが収まりました。

このトラウマを乗り越えるのに2年かかったと記憶しています。

有馬病院の医師が「広島」を繰り返し口にしたのは、このことに関連があると考えられます。

3. 考察


医師が、「(麻酔が切れた後、縫合部に)痛みが続くことは"絶対に"ない」と"絶対に"を強調し、翌日近隣箇所で激痛が続いたことを私が報告するとニヤリとした態度は不自然です。

他の病院の探索を勧めたり、紹介したりしているのに、負傷部位と異なる箇所を詳細にスケッチする必要は無いはずです。

さらに、東京都内の実績ある病院を報告したにもかかわらず、「広島の医者が良い」と繰り返し勧められたことも不可解です。

私が小指の激痛のことを報告したときにニヤリとしたことから、「広島」についてある程度私の実情を知っていた可能性もあります。 

★ 以前の経験

2018年4月に3つの異なる医療機関ででたらめな診断や測定、事実上の診断拒否を含む遅延行為を受けました。
詳しくは、以下の投稿を参照して下さい。





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