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不登校における「ラストワンマイル問題」

 映画「ラストマイル」を観た。アンナチュラル・MIU404大好き高校生ムスメ氏と観に行ったのだけれども、ストーリーを追うので精一杯。「・・・で、あれはどういう意味だったの?」と首をかしげあう状態だったので、伏線回収するために後日オットーとも観に行ってしまった。2回観てようやく点が線になって、複雑なストーリーをじっくり味わうことができたよー。最高のエンターテイメント作品だと思うので、まだの方はぜひ!

 ・・・と激推しする一方で、この作品は物流業界の「ラストワンマイル問題」を取り上げ、商品がお客さんの元へと届けられる「ラストワンマイル」を担う配送業者の方々が搾取される様と構造を描いており、胸がえぐられる思いがした。とりわけドライバーさんたちの「お客さんのために」という善意や責任感、やりがいが安く買いたたかれている状況が可視化されていて、とてもやりきれなかった。でもこうしたことは物流業界だけではなく、教育や医療、福祉の世界でも起こっていることであり、この社会はいたるところに「ラストワンマイル問題」を抱えている。

 不登校の子どもたちに関わる現場だって同じだ。「学校」という大きな居場所を失ってしまった不登校の子どもたちのためにと、民間のフリースクールや地域の居場所ができてきた。しかし困っている子どもたち、その保護者の方々の負担が大きくならないように運営するのは、公的な財政補助がないと経営的に難しい。一部の自治体はフリースクール利用料を助成するなどの制度を設け始めているが、まだまだ特殊な例である。「子どもたちのために」という思いに支えられてその場や活動が成り立っているけれども、その働きに対して対価がきちんと支払われるような公的な仕組みや制度が整っていない。だから私自身の活動を含め、地域の居場所や(ローカルな)フリースクールは持続可能性という観点からも厳しいなと思うし、本来子どもの教育は公費で賄われるべきであるのに、国や行政に共助を押しつけられている状態だ、とも言える。「子どもたちのために」と活動すればするほど、「共助で何とかなるなら共助で」と公助の費用を出し渋られる構造を強化しかねないというところにモヤモヤしてしまう。これまでロビー活動というか、仲間たちと不登校施策に関する要望書や陳情書を提出するなど声をあげてきたのにはいくつか理由があるのだが、その一つは「そうしなければ、国や行政から搾取される構造を維持してしまうから」である。目の前の困っている子どもたちのために「ラストワンマイル」を担いつつも、中長期的にサステナブルな形で子どもたちを支える仕組みをいかに作っていくか、という視点も重要であると感じている。

 そしてこの数年で「共助」の土壌もやせ細ってきていることを肌で感じている。パンデミックで一度断絶してしまったコミュニティのつながりは、日本社会全体の余裕のなさを背景に、回復へと向かえていないように思う。もちろんそのかわりにSNSなどオンライン空間での共助的なつながりは、量的にも、質的にも豊かになっていると感じているけれども、そこにコミットできる層や属性は限定的であったりもする。共助の空間的広がりを歓迎して活用しつつも、リアル地域社会のこれからの形だって同時に描いていかなければならないのだと思う。

 私自身は制度の「すきま」からこぼれ落ちてしまっている子どもたちを制度外から支えるはたらきをしてきたけれども、「すきま」そのものを埋めることはできないと痛感した。だから今ある制度を柔軟に運用することで「すきま」を小さくできないかと、2年前いわゆる校内フリースクールを仲間たちと立ち上げ、運営してきた。また今年度からは、保育所等訪問支援という制度を使って、不登校の子どもたちを学校の中でサポートする活動も始めている。不登校支援はとにかく財源がなく、どうしても「受益者負担」になりがちなのだけれども、教育医療福祉の既存の制度を見渡しながら、どこの財源を活用していけるか、いくべきか、仲間たちと模索中である。

 もうすぐ選挙。
 子どもたちの育ちを社会全体で支え、そのための予算配分をしてくれる代表を選びたいものである。

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Nishio Misato
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