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発達障害

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発達障害というテーマをめぐって記述した記事をまとめました。
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記事一覧

「気まずい」を考える(3)

 「気まずい」という状況に対するリアクションの違いから、意識が「いま、ここ」をふわっと離れていきやすい人と、「いま、ここ」に居つきがちな人がいるのではないかと述べてきた。もちろんそれはかなり大雑把な(悪く言えば乱暴な)区別だし、あらゆるコミュニケーションのズレがそこに起因するとも思っていない。ただそのような体質的な差異がコミュニケーション文化の差異につながっていることを想定しないことには、お互いが何を大切にしたり守っているのか分からずに、傷つけあう(あるいは排除する)ことを免

「気まずい」を考える(2)

 さて、チーズケーキ課題の「その後の展開」について想像を膨らませてみたいと思う。恵さんがおじさんのためにチーズケーキを作っているが、おじさんはそうとは知らずに「チーズが入っているのはダメ」と言ってしまう、「あちゃー」な場面。その後恵さんが作ったケーキがチーズケーキだと分かる展開になったときに、それぞれがどう振る舞うか。正解はもちろんない。恵さんとおじさんの関係性によっても、それぞれの文化によっても、振る舞い方は異なるだろう。ただ、意識が「いま、ここ」から離れていきやすい文化圏

「気まずい」を考える(1)

 「チーズケーキ課題」をご存知だろうか。私もつい最近まで知らなかったのだが、有名なサリーアン課題(※1)の応用編としてネット上で紹介されていた。カウンセラーの友人に尋ねたところ、一般的な心理検査で用いられているものではないようだったので、(学術的・臨床的に)信頼に足るテストなのかは分からない。ただ、発達障害の当事者であると(ネットの記事上で)公言されている方々の回答をいくつか読ませて頂き、そこに共通する現象を非常に興味深く感じた。チーズケーキ課題を以下に示す。(※2) 恵さ

お気持ちやりとり派,面倒くさい

 「あ、これ、定型あるあるな怒りだな。」  プリプリと自分が怒っている時、そう自覚することがある。こう言ってしまうと、あたかも自分を「the 定型」と位置付けているかのように誤解されそうだが、私自身もだいぶ能力に凸凹がある人間である。これまでnoteでもさんざん告白してきているが、地図が読めない極度の方向音痴だし、耳で聞いたことを覚えておくことが苦手だし、人の顔が覚えられない。これらも合わせて立派な特性持ちだと言われればその通りで、なんの異論もない。だから定型発達と発達凸凹

異文化理解のためのラボとTwitter

 「お腹がすいた」というのがナチュラルに分からない。  数年前に綾屋紗月さんが「発達障害当事者研究」でその構造を記述されていたのを読み,「!!!!!」と目玉をひんむいた。「今,まさに,私が(ナースとして)お話を聞いている方が困っていることと同じなんじゃないか!?」とピンときた。それは「お腹がすいた」という,表れている事象そのものの共通性ではなく,その大元にあるものが―この場合は,身体各部の情報がてんでばらばらにあがってきて,「お腹がすいた」という意味としてまとめあげることが

文化的差異なんだってば!

 つい最近, 「西尾さんてナニモノなんですか!?」 とストレートにお聞き下さった方があって,しどろもどろしてしまった。いや,それは自分でもよく分かんなくて・・・色々,中途半端な感じで・・・すみません。と全方位に向かって謝りたい気持ちになりましたです。  noteの投稿でも看護師してた,大学院行ってた,でもよく分かんないけど哲学の勉強もしてたっぽい・・みたいな散漫な感じで,「???」が飛んで読みにくかったら申し訳ありません。すんごーく簡単にお伝えすると,精神科の領域でデイケア

無理ゲーをさせられないための

 「寄り目ができない」  なんていうことに気づいたのは,人生40年も生きてからのことであった。寄り目ってあれです,左右の眼球を目の内側へ同時に寄せるやつ。できる人からしたら「何でできないの!?ふざけてるの?」とか言われかねないような簡単なこと(みたい)だけど,いやマジでできないの。どうしたらいいのか皆目分かんない。てゆーか,どこに力入れたらいいの!!?  寄り目をしようとすると片一方の眼球が全くあらぬ方へ動いていってしまう私の様子を見て,家族は驚愕していた。「ほらお母さん,

衝撃的変化の伏線

 前回,綾屋さんと熊谷さんの共著「発達障害当事者研究」との出会いによって,目から鱗をごっそり落とした話を書いた。で,鱗が落っこちたと同時に「私とあなたの身体(≒脳みそ≒知覚)は違う」という思考回路がデフォルトになった新しい身体(≒脳みそ・・以下略)にバージョンアップ。もちろんいいことばっかりではなくて,「なんでもそれ(身体の問題)に見えてしまう」っていう弊害だって無きにしも非ずなんだが,でも私はこの変化自体は免れなかったんだと思っている。  というのも,実はこの話には伏線が

発達障害というテーマとのご縁

 先週突然「発達障害の子どもたちの学習支援に関わる資格を取るための勉強をしている」とお話しましたけれども,無事試験に合格いたしました。ほっ。でもこれはまだ一番下っ端の資格なので,今後上級資格にも順次チャレンジしていきたいと思っている。昨日もあやうく「災害時(子どもの)ひきとり訓練」をすっぽかしかけたウッカリ脳みそではあるが,しっかり頑張りたい。いやしかしムスメよ,「お母さん迎えに来てくれるのかなぁ」とハラハラさせてごめんよー。ひとりポツンと校庭に残されることにならんで,よかっ

「脳は回復する~高次脳機能障害からの脱出」を推す2

 なんなんだ・・・  風邪なのか、花粉なのか、pm2.5なのか、低気圧痛なのか、あるいはその複合体なのか・・・  絶不調である。  歯はものすごく疼き、まぶたはむくみ、肌は荒れ、頭痛と倦怠感、おまけに強烈な眠気。  あああああ!!!不快である。不快指数振り切っている。  せめて低気圧からの害を軽減したいと、さきほど頭痛ーる(※1)佐藤ドクター考案の耳栓をポチった。耳栓に2千円近く払うって普段なら勇気いるけど、なんかもう藁にもすがる思い。あぁ効果がありますように。ていうか爆

「脳は回復する~高次脳機能障害からの脱出~」を推す1

 「好きすぎるやろ!」  というツッコミが入りそうであるが、だって「されど愛しきお妻様」から間があかずにまた超・良書の「脳は回復する」が刊行されたんだもの。しょーがない・・・  というわけで鈴木大介さんファンサイトのようになりつつあるこのnoteだが、今回からは「脳は回復する」を推したいと思う。  ・・・でもね。  正直なところ、「これ、めっちゃいいよ!」と晴れやかな気持ちで勧めることが自分にはできないと感じている。なんというか、むしろ、本書を読んで強烈に喚起されたのは

「されど愛しきお妻様」を推す理由3

 ところで本書にトキメいてしまうのは、お妻様の存在が大きい。なにしろ変人のお妻様の魅力が半端ない。数々の名言(珍言?)に、ハート鷲づかみ。  いやもちろん、いいことばっかりではなくて大変なこともセットで描かれているのだが。でもその唯一無二の変人っぷりをこそ愛している、著者の眼差しにもぐっときてしまうのだ。だから「お妻様を治療しない理由」を読んだときに思わずうるっともしたし、「そりゃそうだ。」と胸にすとんと落ちた。著者の鈴木大介さんは、お妻様を治療しない理由として「発達障害も

「されど愛しきお妻様」を推す理由2

 前回「結果を出すこと」を求めない場所が社会のあちこちに用意されるような社会であって欲しいと呟いたが、まずもって「教育」がそのような場所であるといいなと書きながら思っていた。あらゆる発達の途上にいる小さい方々・若者たちは、その一時点を「点」で区切ったら「できない」ことがたくさんある。どうしてもその結果で評価されてしまいがちであるが、でもどんな子どもたちもそれぞれのペースで脳がしごとをし、頑張っている。そのこと自体を「頑張ってるね!」と評価できる、そんな場所であって欲しい。

「されど愛しきお妻様」を推す理由1

 あちこちで既に言いまわっているが、鈴木大介さんの「されど愛しきお妻様 『大人の発達障害』の妻と『脳が壊れた』僕の18年間」はとにかくすごい。前作「脳が壊れた」と併せて全人類が読むべきなんじゃないかな、と半ば本気で思っているし口に出して言ってもいる。著者の鈴木大介さんは苦しんでいる当事者やそのご家族に届いて欲しいと願っておられるが、(もちろん私もそれを願いつつ)いわゆる「支援」の現場にいる人々にだって必要だと思うし、別に発達障害や高次脳機能障害に(現時点で)関わりのない人々に